みどりの野原

野原の便り

5月31日 桜井市 史跡めぐり 桜井茶臼山古墳・宗像神社・等彌神社・上之宮遺跡・メスリ山古墳・コロコロ山古墳

2024年05月31日 | Weblog

時々雨で傘を差したり畳んだり・・ひどく降らなくてよかった。


街道には古い看板が残っている。


粟原川(おうばらがわ)に架かる小さい橋・跡見橋(とみばし と読む)


川辺に薄いピンクの花 ブラックベリーの逃げ出し?


国道沿いの左手に桜井茶臼山古墳 

もう少し進んで左に入る。

茶臼山古墳の近く、ちょうどくびれ部だそうだ。説明を聞く。
全長204mとも207mとも言われる大型の前方後円墳
何度かの発掘調査で、石室内には水銀朱が塗られ、玉杖や太刀・コウヤマキで造った刳抜式の木棺の一部・中国製や国内製など多種の粉々に割れた銅鏡の破片が見つかった。最新技術により枚数を数えられるようになり、103面以上という銅鏡があったことがわかった。
これは国内最多そうだ。

墳丘の規模や石室の水銀朱・出土品などから、ヤマト王権を率いた王の墓ではないかとのこと。
宮内庁の管理ではないが、荒れているため中に入るのは無理のよう。


宗像神社 創建は天武天皇の皇子の高市の皇子といわれる。
(母は九州の豪族 宗像氏)

当初、鳥見山(とみやま)中腹にあったが、兵火で焼失。興福寺の支配下となり「春日神社」となった時期もあったそうだ。
後、式内大社 宗像神社となる。


出たところに「能楽宝生流発祥の地」の石碑が建っていた。
宝生流は、観世流・金剛流・金春流とともに、能楽大和4座と言われる。

等彌神社


鳥見山(とみやま)山中に創建。後、鳥見山の西麓に鎮座 
祭神は大日霊貴命(おおひるめむちのみこと)
この神は天照大神(あまてらすおおみかみ)の別称とも。神様の名はややこしい。
たくさんの神様が祀られていた。
神社の奥を登ったところにある鳥見山霊畤という祭祀場に行ったことがある。

朝通った「跡見橋(とみばし)」「鳥見山(とみやま)」「等彌神社(とみじんじゃ)」・・いろいろな「とみ」がある。
他の地名には「登美ヶ丘(とみがおか)」などもありますね。

桜井市立図書館のあたりでお昼となる。
雨が止んでて、外でお弁当をたべられラッキー。

午後は上之宮遺跡


古墳時代後期~飛鳥時代にかけての集落遺跡。
掘立柱の建物の遺構もあったらしい。これは石組の園地の遺構   
古墳時代~飛鳥時代の豪族の居宅と考えられ・・聖徳太子の上宮の可能性もあるという。


メスリ山古墳の裾を歩く。
全景は望めないが、全長250mの前方後円墳とのこと。
副室は未盗掘だったとか。
大型円筒埴輪や埴輪列・玉杖・剣・農耕具・・など多数の出土品は一括、重文指定され、多くは橿原考古学研究所博物館で見ることができるそうだ。


足元も悪く墳丘には登らなかったが、ササユリが見れた。

コロコロ遺跡
初めて来た。


隣地より移築されたというこじんまりとした墳丘
40m四方の方墳だそう。
フェンスを開けて石室に入れた。
両袖型の石室。天井石は設置しにくかったのかコンクリート製。
そばに置かれていた平たい石が天井石だったのか。


ガクアジサイ 両性花も満開。

帰り道、クリの花満開。
栗花落(ついり)梅雨入りも近い。

コメント
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