みどりの野原

野原の便り

4月9日 都祁周辺 善導大師来迎寺・都祁水分神社・白石国津神社・休んば・雄神神社 ショウジョウバカマ

2020年04月09日 | Weblog

カラマツのついでに? 都祁周辺を歩く。


三陵墓古墳公園に駐車 西古墳でお弁当を食べて出発。

途中に「右 ぜんだう大師」の道標があった。

「善導大師 来迎寺」又「多田来迎寺」ともいう。
地元の人は親しみを込めて「ぜんださん」というそうだ。

寺伝では行基菩薩の開基と伝わる。
鎌倉時代、地元の豪族多田氏が本堂を建立したとも。

 
    来迎寺 参道             苔むした石仏が並ぶ

 
本堂(江戸時代の再建)(重要文化財)本尊は阿弥陀如来坐像 善導大師坐像も納められている。

 
境内の階段を登ったあたりに無数の五輪塔群。約100基ほどもあるらしい。
鎌倉時代~平安時代の興福寺の僧侶や、地元豪族多田氏の墓碑だという。
大きいものは高さ2.4mのものも。   右)鎌倉時代後期建造の宝塔(国の重文)         


来迎寺から切通道を下り、車道に出る。

並松池(なんまついけ)

 
江戸時代に造られた溜池で、築造350年記念に建てられた、祖先の偉業を顕彰する碑が建っていた。

都祁水分神社(つげみくまりじんじゃ)
大和の国の水分4社(都祁。宇陀。吉野・葛城)の内の1つ。
水をつかさどる神を祀る。都祁には大和川と木津川の分水嶺がある。

 
鳥居のある入口あたりはクレーンやトラックが入って整備工事中。右)拝殿 手前には能舞台があった。

 
本殿は室町時代中期の造営で檜皮葺、総丹塗り(中世の社伝として国の重文)
境内に「神社創建以来、20年に1度行われてきた、式年御造営奉祝行事が2020年に行われる・・」の看板があった。
40年ぶりの瓦の葺き替えや、境内の整備もされるらしく、参道の砂入れ?もそれに関連したものだろう。
 右)建築中の建物の横を抜けて森に入る。ご造営に際して檜皮を採取されたのか、赤い内皮の痛々しそうなヒノキがたくさんあった。鎮守の森から檜皮を調達されているようだ。

神社入口に「山邉の御井」の案内があったが、どこだろうと言っていたら、うちの案内人が「井戸ではないけど小さい池のようなものを前に見たことがある」というので森に入ってきたのだが・・

 
あった!小さい泉。「山邉の御井」の表示もあった。 
万葉集にうたわれる「山邉の御井」の伝承地はいくつかあるらしいが、ここもその一つだという。
水が湧いているようにも見えないが、少しずつ水路から流れ出ているのを見ると、少量沸き出ているらしい。  
      右)「御井」のそばにショウジョウバカマがたくさん花をつけていた。

白石 国津神社(しらいし くにつじんじゃ)
 
 白石 国津神社 きれいに整備されている。 杉の大木 2本 社殿の奥にも見える。
境内で、近くの女性が「休んば」のことや「雄神神社」のことな教えてくださった。

国津神社からそう遠くない山手の雄神神社への途中、道の北側に3つ、南側に1つ、田んぼの中に合計4つの木立(叢林)がある。これが「休んば(やすんば)」初めて聞いた。
今から行く雄神神社(おがじんじゃ)の神様が、国津神社に来られる時に休まれる神聖なところなのだそうだ。

 
 田んぼの縁をきっちり欠いて区切られている。 そばの田んぼではトラクターで作業中。

南側の「休んば」向こうに2つ目と3つめの「休んば」の小さい木立が見えている。

先の女性によると、昔は休場は7つあったのだとか。「え~っ。この距離で7回も休まれたの?」
神様の休憩所の話は初めてきいて面白かった。

雄神神社(おがじんじゃ)
山すそにある。国津神社に入るところに、国津神社ではなくて、雄神神社への矢印があった。
なんでやろねと言っていたが、雄神神社の方が古いのですよと女性が教えてくださった。
お話を聞いていなかったら、ここへは来ていなかったかもしれない


   雄神神社 入口あたり。        拝殿

 
拝殿 前に丸い鏡が置いてある。「金銀銅鐡」の扁額はどういう意味?
   右)拝殿の後ろに本殿はなく後ろは山。 右)拝殿の後ろに鳥居と石があった。 
ご神体は後ろの山(雄雅山と雌雅山の双耳峰からなる野々上岳)という、大神神社と同様の原始的な信仰形態。
「みわさんの奥之院」と言われる。

駐車場所まで戻り道。


ツクシがいやというほど群生していた。
これほどあると気持ちが悪い。除草剤の影響かな?なんて考えてしまう。

都祁のあたりは木津川と大和側の分水嶺にあたるという。
水の分かれ目というと興味が沸く。
見たいところだが、その場所は、田んぼの水路?のようなところで、わかりにくいらしい。

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4月9日 カラマツはどうなったか?

2020年04月09日 | Weblog

先日(3月13日)ウォーキングの途中に見つけたカラマツ(植栽)

冬芽はその後どうなったか気になって、車で連れて行ってもらった。

ちょうど、お家のご主人らしい方が出ておられて声をかけた。
「40年前、孫の誕生記念に、父が北海道で買ってきて植えたものです」とのこと。
植えられたいきさつをお聞きできてよかった。
(植えられた時の苗の大きさをお聞きすればよかった)
写真を撮り、球果や雌花のついた枝を1本いただいた。

本州でも標高の高い所に生育するというカラマツ。
標高550mほどあるこの地だから、こんなに大きく元気に育っているのだろう。

 
短枝の先に付いたカラマツ雌花 基部には葉が付いている。
                        右)古い球果 雌花

 
茶色く枯れたようになっていて、雌花になりそこなったのかと思ったが・・
雄花なのかも? 帰って割ってみたが、ぐちゃぐちゃになって構造がわからず。
              右)茶色い雄花?と短枝に束生している若葉

鱗片の間には種子になる部分が入っているはず。

  
      雌花          鱗片を取り除いてみた。
扁平なものがあった。 種子には翼のあるそうだが・・よくわからない。


     雄花? 拡大

気がついたのは、たくさんの古い球果は1年だけのものではなく、何年分かが付いているようだ。
丸い冬芽はほとんど球果になるのかと思ったがそうではなく、雌花に、雄花に、葉の束にと、変化していた。

まだまだ謎がいっぱいだ。

ついでに都祁のあたりを歩いてきた。別に書く。

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