柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

公意識

2006-10-21 08:37:27 | Weblog
俳優の藤岡琢也さんの死亡記事です。この人、最近は橋田寿賀子ファミリーとして名が通っていますが(もう一つはサッポロ一番のラーメンのCMですか)、いやいやその前のキャリアもなかなかのもの、昔のやくざ映画には欠かせぬ顔でした。私は勝新太郎、田宮次郎の悪名シリーズが大好きで、DVD買い込んでいるのですが、その中にもしばしば登場します。いわゆる「ちんちくりん」キャラクターの悪役です。柄の悪い関西弁をまくし立てる役ははまってました。うむ、私達も歳をとると言うことです。合掌。
 そば粉100%の表示の偽りが、小麦アレルギーの子に喘息が出て判明したというお粗末な事件。というか、事を大きく言えばそれこそ規範意識の緩み、崩壊ですか。原料の品不足を小麦混ぜることでごまかして、そば100%表示を続けていたという、まぁやりそうなことですが、人の体というのはまこと正直なもので、特にアレルギー反応はその辺の検査機器、探知機よりも高性能高精度です、当たるとすぐ反応します。だから怖いのです、だから厳密に選別せねばならぬのです。この子も、小麦にアレルギーがあると医者が見つけて、医者が鼻の穴を膨らませてこんこんと親に説教するわけです「小麦を避けて下さい。小麦の製品ばかりではありません、少しでも小麦が混じっていると発作が出ますから食品の表示に十分目を光らせてください!」なんて。そう言われて親はちゃんとやりますよ、慣れぬ事でも食材を選んで調理に工夫を凝らして。大変な手間と思いますが、我が子の事なればやらねばなりません。で、今回の事件。そば100%と謳っているから食べさせたのです、間違いありません。小麦が混じっていると表示されていれば決して食べさせません、当然です。こういう信頼を揺るがせるような出来事は決して看過してはならぬと思います。行政がどういう処理するか。ここからが重要なのですが、残念ながらマスコミが騒ぐのはここまでです。私達には何も知らされません。で、おそらくお座なりな対応でうやむやです。怖ろしいことです。何を信用すればいいのでしょうか?
 最後に訂正します。昨日一昨日、核発言の中川昭一のことを大臣と表記しました。大臣相当なのかも知れませんが、正しくはは政調会長でした。間違えました、お詫びして訂正します。
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画期

2006-10-20 08:36:21 | Weblog
週刊新潮に福岡の自殺した中学生の実名、いじめた教員の写真と実名が載ったらしいです、それに対して例によって人権弁護士、家族の名を騙り「プライバシーをいちじるしく侵害する」と警告書を送ったらしいです。今週号が楽しみです(当地にはおそらく今日届きましょう)。先の徳山工専の事件の時もそうでしたが、少年法というどうにも左翼思想の典型雛形のような代物を早く何とかしないと、一般国民はこの手の連中によってずっとつんぼ桟敷に置かれたままになります。隠された部分は必ず腐ります。警察が腐っているでしょう?実際に。何をやっているか外から分からないんですから、何やってもいいわけです。いい加減な捜査、それこそ人権無視した逮捕拘束。公権力は絶大です。しかもその失着は誰の責任でもないのです。法の網は公権力にはかかりません、当然です、公権力発動のための秩序ですから。ううむ、名誉毀損系統の損害賠償額が跳ね上がって、マスコミも大変ですが(金曜日なんとかという、スキャンダル暴露月刊誌がそのお陰で、でかどうかはわかりませんが一応編集長の公式見解では、廃刊に追いやられたのは記憶に新しいです)こうやって穴をあけていって欲しいと思います。個人情報保護法なんていう天下の悪法を平気で作る立法府には多くを期待できませんから。
 中川大臣に続いて麻生外相が核保有に関する発言(答弁)したとかで朝日が噛みついています(社説)。連中は、こういう言葉尻を掴まえての大騒ぎ大喧伝で世論を形成しようとします。で、今までは首相が打ち消しに躍起になって、弱みに乗ずるの手本を見るように連中さらに畳みかける、挙げ句大臣更迭なんて仕儀、よくありましたね。でも、今度はそうは行かぬようです。中川発言を受けての麻生発言です、繋がっての話です、こういう人達の内閣なのです、方向性なのです。今までの(小泉さん以前の)内閣政府が北朝鮮やら中国やらにとことん弱腰だったということです。拉致問題一つ取り上げてもよくわかるでしょう。ずっと社会党や共産党の叫ぶ大嘘のいいなりになってきた事実が雄弁に物語ります。変わりますよ、これは画期的なことでしょう。大将(安倍さん)が「この話はすでに終わった議論だ」と大きく構えて、大臣達がいままでのタブーに敢えて触れていく、反対勢力のステレオタイプの絶叫にはもう揺れない。いいですねぇ、こういう姿勢を、60年間の埃のかぶった、耳タコの言いがかりはもう取り合わないという態度を続けて欲しいと、切に望みます。
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たられば

2006-10-19 08:41:07 | Weblog
日経のスポーツ欄に豊田泰光(西鉄全盛時代のクリーンナップ)が書いています。この人の説は辛口で面白いのです。日本ハムの今期の成功を評して「選手は俳優と同じで、見られてうまくなる」「新庄に集まるスポットライトが森本らを照らし、成長を促した」と。うむ、うまい言い方だと思いました。人に見られると思うから、綺麗にもするし上手にしようと思うんですよね。こういう根本的なところをしっかり掴まえていないといけません。
 奈良の妊婦たらい回し死亡事件、いかがですか。医療側の大失着には違いありません。誰が、どこが悪かったのか。一週間後に死亡したという結果から言えば、さぞや大出血だったのでしょうし、この若さでのものなら年寄りの脳内出血とは違い、出血しやすい病変をもともと持っていた、つまり医者側から言えば「必然」の病気(不測の事故ではないという意味)であることが多いから、そうであればこの結果は仕方のないことだという理屈が立ちます。医者側はそうやって、早くに見つけていてもどうにもならなかったという理屈で逃げます。一等最初の町立病院の言い分はそうでしょう。でも、新聞報道に拠るところ、CT検査すらしなかった(産科医が内科医の薦めを拒み、必要ないと断じた)ことは処断されましょう。大間違いです。今時意識障害があって、CT機械があって、尚撮影しないというのはちょっと言い訳できぬ事態です。尤も、私が脳神経外科医であり、意識障害の、脳内出血のという事例に慣れているから、その対応の異様さに(古さというか、利用すべき機械を使わない理のなさ)驚くのですが、いや諸兄諸姉、医者は専門が違うとからきしダメなのです。CTの使い方も知らぬと言うか、そんな火急の事態においても自らの経験思い込みが優先してしまうのです。もちろん、この医者の頑迷さに拠るところではあります(臆病な医者ならすぐに撮ります、間違いありません)が、専門を外れると無力、特に重症例には全くの無力と知るべきです。怖ろしいことでしょうが。そして、たらい回しの件、妊婦で分娩間近で、しかも意識障害があってなんて重症例を、県立病院級の大病院以外にどこが収容できましょうか。挙げ句の最後が、吹田の国立循環器病センターでしょう?最初の県立病院の咎は消えません。満床なんぞ何とでもなるんです、特に今症例はまさに火急の重症例ですから。誰が悪いか。初期判断の遅れはあったのでしょうが、町立病院の医師がどう依頼したのか、分娩異常と言ったのか、それとも脳内出血の重症例で分娩間近だと言ったのか。前者なら、当初の県立病院が断っても他があったのかも知れません。ううむ、たらればの論議は不毛ですか。夜の救急の実態です。日本のどこででもあることです。怖ろしいことでしょう?
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ナイーブ

2006-10-18 08:40:41 | Weblog
小久保、ホークスに帰りそうですね。元々、巨人に来たいきさつが「真っ黒」でしたから、ホークスへの確執やいかばかりかということですが。ホークスはのどから手が出ていましょうね。
 毎日新聞コラム「発信箱」元村記者の筆、祖母が孫を産む代理出産について書いています。先に私が「違和感」を表した話題です。この人は、移植にせよ、この代理出産にせよ、他人に犠牲を強いる治療に異議を表しています。「愛の名の下に、家族が危険を負わされていることについて、無頓着過ぎないか」と。でもこういう考え方もありましょう、家族が同意の上でやることならば他人の介入することでもない。ましてや売買、契約とあれば単に需要と供給の関係だ。そういうドライな関係に、倫理という感情論を被せて学会声明がなされ世論が形成されます。彼女が書いている如く、生体移植は(むろん死体移植もそうですが)拒絶反応の壁が高いですから誰でも彼でもというわけにはいきません、生物学的に近親者に限られてきます。そういう無理な無体な選択に対して、人は(社会は)人道とやら人間愛とやら小綺麗な言葉を冠して讃えながら本質を隠してきたのです。その元凶は何か。医者です。移植しか治療方法がありません、などと平気で言い放つ医者です。あなたのお気持ち一つでこの方の命が救われます、なんて脅迫です。代理出産も同じ事です。根津さんは患者が言うから、と逃げますが、こういう手段がある、お母さんが代わられるのが一番トラブルがない、なんて説明したに違いないんです。それを含めて「医者の無頓着」と評するのなら、私も賛成です。
 同じ毎日新聞の三面記事に、58歳の校長が叱責して50歳の中学教諭が自殺したとあります。教育委員会によると、校長の行き過ぎた指導が原因らしいとのことです。パワーハラスメントだそうです。大丈夫かなぁ。こんな奴は(上司)どこにでもいるでしょうに。みんなして潰せばいいのに、自殺してどうするんですかね。で、この校長も自殺するんでしょう。何じゃそら?どんな幼稚な連中の集まりですかね、教員達というのは。子供を預ける・・んですよねぇ、この人達に。嗚呼。 
 中川大臣の核武装に関する発言に対して、まぁよくもこれだけステレオタイプな騒ぎ方ができますね、というくらいの呆れる反応。広島長崎の関連団体は義務のように反対声明を出す。市民団体も同じ。左翼政党もこれまた同じ。原爆は、種々の憎しみと蔑みを込めてアメリカが大量殺戮目的に落としたものです、それを「過ちは繰り返しませんから」なんてまるで落とされたこっち(日本)が悪いような謂を平気でしてきた勢力です。今インド、パキスタン、イランなどだけでなく北朝鮮も持とうとしている核兵器の意味は何なのか。世界唯一の被爆国としての相応の発言態度はあるんでしょうが、もう60年以上の長きに亘り繰り返してきた「現実離れ」はいい加減にしないといけないでしょう。あまりにナイーブに過ぎます。予定調和の反論と謝罪です。つまらないこと、馬鹿馬鹿しいことです。ひっくり返す時期が到来しているんでしょう。そう思います。
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箝口令

2006-10-17 08:41:01 | Weblog
井川、こんな消化試合で完封して、奪三振数が川上に並んだそうです。お前なぁ、中日戦にあんたがもう三つ勝っていれば優勝していたのに、分かってんのんか?諸兄、負けたから中日が勝っただけのこと、単なる必然だなんて言わないで下さい、ここぞというところで勝てなかったのがこのエースだったんです。消化試合で完封して、大リーグ?どうぞ、どこへでもお行きなさい。藪のようになるがオチですぞ。そして、広島黒田。防御率1.85だそうです。プレーヤーとしてのこの記録の凄さは実感できませんが(そういう知識に乏しいので)、よく解説者がしたり顔で言う「黒田が投げれば、二点取れば負けない」という評価、防御率とはこういう出し方なんですね。9回投げたとして平均何点取られるかという比率計算。あくまで単純平均です。よくここ一番の場面で、アナウンサーがピッチャーとバッターの今までの対戦成績なぞを言う、解説者が「この場面では関係ありません」と否定する、よくあるケースです。全くこの如くで、データというのは大きな数であればの比率であって、大きな分母であればあるほど有用とされる代物です、一回一回の偶然性を、なんとか必然性に近づけられないかという「無理」です。ですから、平均値なんてのは何の役にも立たないのです、少なくとも今目の前の事象に関しては。やる前は全くの偶然支配下、結果が出た後で初めて必然化するわけです。平均値や比率は、あくまで抽象的なぼんやりな概念に過ぎないのです。ですからこの手の数字を振りかざす向きにはどうぞご用心を。行政の出す数字はほとんどこの手合いです。
 先週の週刊誌(といっても文春と新潮しか読んでいませんが)には、腎臓売買の事件の記事はなし、新潮にだけ拿捕船長の話が載っていました。へぇと思いました。週刊誌には興味のない話なんですかね、それとも腎臓売買は巷にありふれたできごとだということなのでしょうか。拿捕事件は、これ記事読むと由々しき事態と思うのですが、今北朝鮮問題が佳境で、常任理事国様(ロシア)のご機嫌を損ねることはできぬとあらばやむない箝口令なのでしょうが、さてさて天下の文春が見て見ぬふりなんでしょうか。もっと噛みついてもいい話題です。新聞もTVも黙んまりです。一紙産経新聞だけが10/13の社説で断じているのみです。切歯扼腕、です。是非読んでご覧になって下さい。一方的に船長の言を信じることもできぬのでしょうが、いえ、今回の処置はもうすでに十分にロシア側の「一方的」です。何も言えずに取引のような形で罰を受けるしかなかった、その間日本という国からはなんの援助もなかった(外務省は例によって知らん顔だったそうです)という話は十分に取り上げる価値がありましょう。鈴木宗男は何故黙っている?選挙区民の事件でしょうに、しかも得意のロシア関連の。ことの順番ですかね。こんな取引でいいんでしょうかね。ロシアは敵ですよ、おそらく。向こうさんは日本が味方なんて決して思っていませんね。そうでしょう?違いますかね。
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傷ついた?

2006-10-16 08:39:10 | Weblog
いじめ事件、こう言っては被害者に、被害者の親に対して不遜なのでしょうが、これだけ頻発すると見聞きする方も馴れてしまって、他のケースとどう違うのかばかりに注意が(興味が)引かれます。福岡の事件は、当の教員が謝りに行っています、ここが違いますか。TV報道で父親とのやりとりまで聞けました。生々しいこと、臨場感に溢れて、TVのこちら側ですら気まずい思いが湧き上がります。死んでからじゃぁ遅いんです、でもこういう事態にならないと誰も見向きもしないのです。学校がそうだったでしょう?親もそうでしょう?「からかいやすい」と教員が言っていましたが(こういう発言もどうかと思うし、こんな幼稚な男(大人)を教員にしていることこそが間違いの元凶なのですが)、そういう奴がいて、そうでない奴がいる、世の中はどの社会にあっても雑多雑駁、だからこそうまく回っているとも言える筈なんです、そこに気づかないで単に「からかう」から「傷つける」ことになる、ひとえにこの教員の未熟さに起因することです。どうにかしろ!という誹りへの答えはただ一つ、無能教員の馘首罷免です。つまり教育委員会の大改革、安倍さんの言う如く教育基本法の改正でしょう。も一つ気に入らぬは「傷つく」、そしてその逆「癒される」の大安売り状態。きっと、この手の教育の緩み、規範教育の緩みと裏腹の関係なんだろうと私は捉えています。セクハラ騒ぎもその流れだと言うと、反対されますか?セクハラ行為とそうでない行為とどこで線を引くのか、という質問には「女が嫌と思ったら全てセクハラ」らしいですから、何だかなぁ、なのです。何か自分の気に入らぬことを言われただけで「傷ついた」と大声出す。可愛いと思う気持ち、愛しいと思う気持ちを何でもかんでも「癒される」と目を細めている愚。「地球に優しい」ってどういう意味でしょうね。もっと大事なことがありましょうに。被害者意識をこれでもかと煽り、自ら弱者を名乗ることで周りを振り回す。いじめ事件は違うだろう、ですって?いいえ、この場合の被害者は教員になるのです。あるかないかも分からないいじめの責任を、一教員に負わせることは人権に悖るとなるのでしょう。加害者の人権の強さは皆さんよくご存知でしょう。いじめを証明しにくいことをいいことに、ずるずると秩序を壊していくわけです。おわかりいただけましたか。階級闘争、まさにマルキシズムでしょう?嗚呼、安倍さん、どうぞよろしく!
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技術万能?

2006-10-15 09:39:19 | Weblog
読売のトップ記事は50歳代の親子関係上の祖母が(敢えて婆様とは言いません、私も同世代ですから、すみません)娘夫婦の子を代理出産したという出来事です。この話題、昨日の腎臓投げ捨て事件を中国新聞だけが報道したのと同じように、何故か読売だけの報道です。すっぱ抜きなのか、他紙が無視したのか。ここを考えるだけでも興味のあることではあります。さて、如何お考えですか、特に諸姉の方々。私は気味が悪い。できることだからといって何をやってもいいわけではなかろう、という違和感です。この事例、向井高田夫婦と理由は同じ、ただ借り腹した相手が彼らは外人、こちらは実母だったということです。この発表公表のタイミングはきっと、高裁が親子関係を認める命令を出したからという頃合いを見計らってのことでしょう。新聞のインタビューにもそう答えています。当の根津という医者は昔から産婦人科学会の勧告を無視して、この手の「許されざる」生殖を多々手がけてきた人です。すべては患者のため、求める人がいて応える人がいて且つ安全な技術があれば、両者の同意のある限り何の問題もないという理屈で、頑として学会をはねつけています。彼の意見は一見(一聴?)正論ですが、文化、感情を無視しているところ、人とヒトとの違いを無視しているところに問題がありましょう。つまり技術により人をヒトに貶めていることに気づいていない、というのか気づいているけれどもそれでも技術を優先しているというべきか。向井高田夫婦の場合は、そんなにしてまで子を儲けるべきなのかという違和感はあるけれども、それでも法律上の解釈に私達の感情を納めていくことができましょうが(ひとえに代理母が赤の他人、しかも外人であるという環境が大きく影響しています)、この事例、これ以上の身近はない実母が代理母という「異常」です。誰もが、誰に教えられることなく心の奥底に沈めている近親の、血の臭い、生臭さへの忌避感が呼び起こされているのでしょう。形式的には(法律的には)実母から生まれた子は自分の兄弟姉妹です。当然です。何故か、なんて疑問を許さない絶対的な公理定理です。でも、この医者は言うわけです、「母が娘のために危険性を認識していながら産む意思を、誰が止められるのか」、「目の前の患者を忘れていては、何のために医者になったか分からない」と(読売新聞)。ちょっと違いますよねぇ。この医者の正義感は独善でしょう。確かに技術の進歩はこうやって旧態からの反発違和感をうち破りながら、症例を重ねながら、やがて常態に変化していくものなのですが、血の臭いのするこの気味の悪さは容易には常態にならぬことではないでしょうか。いえ、この医者も言うでしょう、一般的に認知してもらう必要などない、しかし需要と供給の一致した場合は他人の介入することではないとかなんとか。やりたいやつがやるならいいか、で投げましょうか?親子関係なんてのは所詮本人達の合意で成立しているものです。子の本当の父親を知るのは母親だけだ、という厳たる事実。相続問題、つまり金の問題のために父親認定に関してのみ多くのページを割いている民法。本当は誰の子なのか、は法律上、実生活上は全く別問題なのです。というか、知識も技術も現在とは全く違う時代の法律であり、何千年の日本人の心根の文化の結果であるという、極めて単純な因果なのです。DNAのああのこうのというレベルになると、そういう技術に沿った立法処理するしかないのでしょう。そう思います、このままどれだけ議論を続けてもきっと不毛です。しかし、実母の代理出産は違和感拭えません。いかに法律が整備されたとしても、気持ち悪さがつきまといます。この感情は私だけの特異なものでしょうか。同世代の女の方々、如何お考えですか。
 日経新聞、富田メモのすっぱ抜きを自画自賛しています。この事例にはまさに百論百出しました。賛否両論です、もちろん。でも、小泉さんが8/15に参拝しましたので、ちょん。それで終わりました。何ともあっけないことでした。あれは何だったんだ?という顛末でした。つまり、小泉さんを掣肘する意味合いだけのものだったわけです。当の日経もそれ以上を書きませんでしたし、キャンペーンを張るそぶりもなかったですから。馬鹿馬鹿しいことです。世の中というのは銘々の都合のいいように回そうとする勢力の大声の出し合いです。そこに真実などは要らないのです。どう思わせるか。どうプロパガンダするか。正真正銘の真実ばかりが真実ではないのです。真実と思えば真実になるのです。これが世の中の真実です。怖ろしいでしょう?TVや新聞が真実ではないのですよ。私達は何を信じて生きるべきなのでしょうか。ううむ、今日は放り投げて終わります。
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幼稚さ

2006-10-14 08:40:50 | Weblog
名古屋の病院で、移植用の死体腎を捨てちゃった事件です。まったく、こうやって茶化さないと情けなくて。なーにをやっとるか?!不思議なことにこの事件、中国新聞にしか載っていません、どうして?全国紙はどれも無視です。NHKニュースでは報道していました。何でも看護助手の手落ちだったようです。こうやって妙に詳しく報道するのが常です、誰がやったのかをはっきりする目的と、医者でも看護婦でもない看護助手でしたという言い訳意図が見え見えです。資格のない、劣った者がやりました、ので許してください、です。看護婦と准看護婦の差別もそういう時にだけ強烈です。世の中はそういうもんです。で、後でばれるよりは先に謝っておけという、いわば幼稚なワシントンの桜式の「正直至上」に、いい大人達が雪崩を打つわけです。謝罪謝罪。一体誰に頭を下げているんでしょうね。 ブンヤどもは正義の味方然として、秩序の守り神のような顔で鼻を膨らませて、集団暴力で襲いかかる。奴らは自分たちが社会の代表みたいに勘違いしていますから当然と思っているんでしょうが、一体病院長は誰に頭を下げているんでしょうね。ブンヤに?社会に?世論に?馬鹿馬鹿しい。下げるとしたら献腎した人、その家族だけでしょうに。事件そのものは何とも幼稚、単純、こんなのはハイムリッヒの法則以前の問題じゃないかと思うくらいのこと、その非は明白ですが、この対応もなんとも幼稚で情けないことです。お定まり。マニュアル通りという胡散臭さです。むろん愛媛の腎臓売買事件を受けてのこのタイミングです、時期が悪かったのではありますが、何でもかんでも謝罪謝罪という風潮に砂を噛むような未成熟感を覚えたことでした。
 何でもNHKの短波ラジオ国際放送に、拉致問題を重点的に放送するように政府が命令するんだそうです。左翼連中は言論への権力介入として口をそやして非難します、まぁ当然ですわね。でも、大事なことを思想を盾に枉げていくことも許されぬことです。大事なこととは何か。国の方針に係る事項以上に大事なことなんてありません。これも当然でしょう。NHKは朝日と並ぶ左翼の牙城です、識者の指摘する如く特集番組は言うに及ばず、朝ドラの中にも反日思想を詰め込む連中です、さてさて、はいそうですかとすんなりと従いましょうか。もちろん、これが政府の安倍さんの改革の一手で、こう言うところから強権発動していこうということなのでしょうが。ううむ、面白くなってきたじゃないですか。え?この流れは言論統制に繋がる?ひいては軍国主義に?戦前の流れと似ているって?馬鹿馬鹿しい。国の基を忽せにしてきた、させるようにし向けてきた勢力にやっとのことで歯向かおうとしているんです。建て直しです。お間違えのないように、よろしく諸兄諸姉。
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営業努力

2006-10-13 08:40:15 | Weblog
またまたマニアックな話ですみません。新聞死亡欄に華ばらさんの記事です。知らない人は全く知らない、興味の外の話でしょうがすみません。フラワーショーという漫才トリオがありました。姉妹三人組です。かしまし娘スタイルの三人で、真ん中に三味線、左右にギターという歌謡漫才です。最初にテーマソングを歌って、あと流行りの唄に移って、ネタに入るというパターンです。どのトリオも一緒、これがお定まりだったんでしょうね、見る方もわかって見ているわけです。かしまし娘のテーマソングはこっちの話に詳しくない方でもご存知でしょう「うちら陽気なかしまし娘~」のあれです。「ベリーグッ、グッ」とハモる、あれです。フラワーショーのそれは道頓堀行進曲の替え歌でした「ようこそ~みなさま~ごきげんよろしゅ~」ギターのリフが先行します。ここで、お聴かせできないのが残念ですが、「ダダダ、ウンチャウンチャウンチャウンチャ」のあれです。昔は当地でも土曜日の午後一時には角座(かどざ)アワーという演芸番組があって、私は子供の時分から漫才落語大好きでよく見ていました。角座アワーは松竹系の芸人の出る番組でした、吉本ではなく。ですから、色が違うんです。上方柳次柳太とか宮川左近ショーとかが出てきます。その当時からかしまし娘はなかなか出ません、大物でしたから。で、フラワーショー、結構面白かったですが、ま、パターンはどれも同じ、キャラクターで笑わせる、風貌で笑わせるという、基本的な昔ながらの色物系でした。向かって左に立ち、ショートカットでネクタイズボンの男装、男のような女というキャラでもちろんぼけるんですが、フラワーショーは右側に着物姿の大ボケ役のゆりさんがいて、このばらさんはつっこみもさかんにやっていました。真ん中の三味線姉さん(ぼたんさん)が早くに亡くなったのは知っていましたが、二人で続けていたのは知りませんでした。ゆりさんは、今のNHK朝ドラの前の前「風のハルカ」で、大阪のたこ焼き屋のおかみ役やってましたね。あのデブのおばさんです。ああ、フラワーショーと、こっちでは誰も知らない感慨に一人ふけったものですが、それも昔。ああ、死んでいくの~。これまた感慨深いものです。
 ホークス、残念でした。TVでも言ってましたが、ここ二年間、理不尽なプレーオフ制度に煮え湯を飲まされてきて、大文句を言い立てた末に、一位通過チームの一勝アドバンテージを認めさせたんでしょうが、またまた鳶にあげを攫われた形。なんとうまく行かんことよ!でも、去年あれだけ負け惜しみ言い募った「一位チームは待たされ過ぎ」「試合まで期間が開きすぎて、緊張感も体調も維持しにくい」も、嘘だったこと証明されましたね。去年も今年も、ホークスが打てなかっただけのことでした。あれこれ言い訳していただけのことでした。齋藤にはまことに気の毒なことでした。あれだけのピッチャーを揃えて、それぞれが相当に抑えて、尚勝てないのはひとえに打てないからです。いかな齋藤でも零点では勝てませぬ。真剣に小久保を取り戻すべきでしょう。でも、札幌ドーム凄かったですねぇ。パリーグの試合がどんどん面白くなっていくし、ファンが凄いこと。まるで甲子園。福岡も、北海道も成功しました。やはり、いかに地域に密着するか、地域のものとして認知してもらうか。新聞の、TVの、と目や心が中央に(東京に)向いているうちは周りが(地域が)反応してくれぬということです。広島もオリックスも、相当の人口を抱えている街にあるんですから工夫が足りぬと断じてもいいのでしょう。昨日の球場見ていて思いました。営業センスと努力。ですねぇ。
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窮鼠

2006-10-12 08:39:44 | Weblog
NHKの朝ドラ、関西弁のあの独特の間(ま)の連発、大いに楽しんでいます。藤山直美、そっくりの間を再現します、父親の寛美と。きっとアドリブの連発なんでしょうね、安心して笑えます。そこに桜木健一が出ていました。びっくり。また上手な関西弁。この人関西人だったんでしょうか、知らずに聞くと何だか違和感。何故なら「柔道一直線」のイメージだけの人だから。古い話で恐縮でした。
 北朝鮮に日本独自の制裁発動するそうです。輸入禁止、船舶の寄港禁止。人の入国も禁止。マンギョンボン号はすでに出入り禁止になっていますよね。ううむ、この輸入禁止というのが微妙というか玉虫色というか、交易中止とは違うんでしょう。輸出は禁止しないんでしょうか。ここで思い出す(もちろん私の直の記憶ではありません)というか比較の対象になるのは、先の開戦に至るプロセスにおける、いわゆるABCDライン、資産凍結と原油禁輸措置。兵糧攻め。で、窮鼠猫を噛んだわけです。輸入禁止と輸出禁止とでは影響違うでしょうねぇ、でも目的は同じです。兵糧攻め。一応品の良さを前に出して、まずはここでこらえてやるからちゃんと応えろというサインなんでしょうね。で、向こうさんは応えるわけがない。膠着状態が続いて、中国がたぶん間に入って、またまたうやむやでしょうかね。キャスティングボード?中国じゃなくて今度は日本でしょう。安倍さん、どこまでしつこく追いかけるか。もう今度という今度は!という意気込みが伝わるか否か(大国連中に)、そして敵さんの暴発をどの程度に想定するかでしょうね。それを未然に防いで金正日潰せたら最上、どこかを噛ませて国連の力(アメリカの軍事力)を使って一気に潰すが次善と、この機を大事にして欲しいと思うのですが、経済制裁をだらだら続けて敵さんの痩せ細るを待ついう手が採られそうです常識的には。すればやはり噛まねばならなくなりませんかね。安倍さんが声高に非難すればするほど、向こうの恨みはこっちに向きましょう。アメリカ狙うより近場でしょう?さて、政府は敵さんの噛みつきをどの程度に予想しているんでしょうか。どこを狙ってくるんでしょうか。
 
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