柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

たられば

2006-10-19 08:41:07 | Weblog
日経のスポーツ欄に豊田泰光(西鉄全盛時代のクリーンナップ)が書いています。この人の説は辛口で面白いのです。日本ハムの今期の成功を評して「選手は俳優と同じで、見られてうまくなる」「新庄に集まるスポットライトが森本らを照らし、成長を促した」と。うむ、うまい言い方だと思いました。人に見られると思うから、綺麗にもするし上手にしようと思うんですよね。こういう根本的なところをしっかり掴まえていないといけません。
 奈良の妊婦たらい回し死亡事件、いかがですか。医療側の大失着には違いありません。誰が、どこが悪かったのか。一週間後に死亡したという結果から言えば、さぞや大出血だったのでしょうし、この若さでのものなら年寄りの脳内出血とは違い、出血しやすい病変をもともと持っていた、つまり医者側から言えば「必然」の病気(不測の事故ではないという意味)であることが多いから、そうであればこの結果は仕方のないことだという理屈が立ちます。医者側はそうやって、早くに見つけていてもどうにもならなかったという理屈で逃げます。一等最初の町立病院の言い分はそうでしょう。でも、新聞報道に拠るところ、CT検査すらしなかった(産科医が内科医の薦めを拒み、必要ないと断じた)ことは処断されましょう。大間違いです。今時意識障害があって、CT機械があって、尚撮影しないというのはちょっと言い訳できぬ事態です。尤も、私が脳神経外科医であり、意識障害の、脳内出血のという事例に慣れているから、その対応の異様さに(古さというか、利用すべき機械を使わない理のなさ)驚くのですが、いや諸兄諸姉、医者は専門が違うとからきしダメなのです。CTの使い方も知らぬと言うか、そんな火急の事態においても自らの経験思い込みが優先してしまうのです。もちろん、この医者の頑迷さに拠るところではあります(臆病な医者ならすぐに撮ります、間違いありません)が、専門を外れると無力、特に重症例には全くの無力と知るべきです。怖ろしいことでしょうが。そして、たらい回しの件、妊婦で分娩間近で、しかも意識障害があってなんて重症例を、県立病院級の大病院以外にどこが収容できましょうか。挙げ句の最後が、吹田の国立循環器病センターでしょう?最初の県立病院の咎は消えません。満床なんぞ何とでもなるんです、特に今症例はまさに火急の重症例ですから。誰が悪いか。初期判断の遅れはあったのでしょうが、町立病院の医師がどう依頼したのか、分娩異常と言ったのか、それとも脳内出血の重症例で分娩間近だと言ったのか。前者なら、当初の県立病院が断っても他があったのかも知れません。ううむ、たらればの論議は不毛ですか。夜の救急の実態です。日本のどこででもあることです。怖ろしいことでしょう?
コメント
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