柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

女主将

2007-06-13 08:40:41 | Weblog
下関の高校硬式野球部に女主将だそうです。へぇ、時代もここまで来たかという感慨です。硬式野球部に選手として女子生徒がいることはそれほどに珍しくなくなりましたが、依然として強欲傲慢団体高野連は女子選手の公式戦出場を許しません。彼女らは練習試合にでるばかりなのですが、それが決まりとあらば従うだけのこと彼女らもしかたないですからで済ますのでしょうが、見ている方はそうじゃないですねぇ、女子も出してやればいいのに。体力差なんてのは初めから呑み込んでますよ、そういう目で見ますよ。もちろん当初は好奇の眼差しも浴びましょうが、それは私達年寄り達のこと(女が野球?と目を丸くする世代)、女主将が生まれるご時世です、当の本人達は男の女のはないんでしょう。是非混ぜてやればいいですね、そうは思われませんか?これは本人が好きでやっていることですから。でも、これと運動会の棒奪いやら騎馬戦やらを女子生徒にも同じようにやらせるというのとは次元が違います。前にも書きましたが、子供の運動会を見に行って、痛々しい思いがしましたから。男がやれば、勢いよく大声挙げながら荒々しく飛びかかっていく奴が目立ち、そうでない奴が「おうおう優しい奴じゃのう」なんてからかわれ笑われる、それがこの出し物ですからもちろん嫌々やる奴もいましょうが男じゃから仕方ない、で済んできたことです。が、女がやると、大声出す者見るのも何だか気恥ずかしいし、こういう荒っぽいのが似合わない者もたんといる、無理矢理やらされてまことに痛々しい。強制の感でした。男女平等のはき違えの感です。でも、こちらの女主将は違う。記事や写真見ていると、周りの男どもが本当に笑っている。「お前でいいよ」と許してる。女だからダメなんて前提は端っからない。私は極めて単細胞ですから、三年間男と同じ練習続けてきて、こうやって周りに認められて、なんて根性もの青春ものに本当弱いのですが、それにしても時代は来てます。男女共同参画なんてさかんに叫ばれますが、それもきっと私達の世代までのことと思います。わざわざに言わなくても連中、男女の差なんかとうに取っ払っています。女の飛び上がりを抑えつけてきたのは、男じゃなくて年配の女達だったわけですが(女の敵は女)、さて私達の年代の女たち、押さえる相手がいましょうか。弊害も(先の騎馬戦に象徴されるような男女平等のはき違えなど)多いのでしょうが、この結果だけは戦後教育の功の方なんでしょうね。当地でも女生徒会長なんかは当たり前、女応援団長も珍しくない時代です。男がおとなしくなりすぎたという評価もありましょうが、いいえ本来、体格体力差、生殖能力差しか男女間にはないのです。男らしさ女らしさというのは、男女それぞれに特有の感情の湧きの違いであり、行動の色の違いなのです。さよう、色が違うだけです。同じ事象に対して同じように心は反応しているのです。応え方の色が違うんですね。だからこの違いはなくしちゃならぬのです。フェミニスト連中の無体はここすら(ここから)否定することなんです。この女主将の、練習中の喝を聞いてみたいですね。叱りとばす、神妙に男どもが聞き入る。いいじゃないですか。監督の英断に拍手、男部員達にも拍手。甲子園に行ければいいがのう。
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