柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

終戦

2011-08-16 08:11:14 | Weblog
終戦記念日でした。66年です。菅さん始め閣僚たちは靖国神社には参りませんでした。石原慎太郎は非難してます、奴ぁ日本人じゃないと。自民党の(自民党だけじゃないそうですが)歴々が集団で参拝している映像が例年通り流れます。古賀さんが先頭です。遺族会という大票田に向けてのパフォーマンス。安倍さんそこにいたんでしょうか。保守論壇では安倍の再登場を期待する声が高まっています、きっちりタカ派であることを示したのはこの人だけでしたから。が、あの潰れ方はいかにもひ弱、小沢さんの手筈にまんまと嵌っての退場でした、あれでは再登板を手放しで待望するわけにはいきませんが。でも、この人も参拝しなかったんですよ首相時代の8月15日。偉そうに言えません(言ってないと思います)。集団でしか参拝できないのか、集団で示威行動の意味を持たせているのか。列を組んでニヤニヤしながらカメラを十分に意識して歩いている連中見るに、前者ですかね。一人で行っても誰も見てくれないだろうし、一人で行くほどの度胸もないしで。12時から武道館での慰霊祭、天皇皇后両陛下の御参列を得ての恒例行事、NHKが放映します。見てました。350万国民の命を奪った戦争です。兵隊さんだけではありません、無差別爆撃で何十万、百数十万の市民も虐殺されての数です。ここに心致さねばならぬと思います。菅さんが、とうとうここまで延命して(本人は初めからそのつもりだったんでしょうね)辞を述べます、大震災原発事故をからませて言います、相変わらずアジアの国々には悪いことをしたと言ってます。あの威厳のかけらもない、オドオドした所作、原稿の棒読み、言葉の力、言葉で国民に伝えようという意思意図の全く感じられない棒読み。改めて情けない奴だとがっかりしました。対して天皇陛下のお言葉。今回は震災の時のビデオ「勅語」とは違い淡々たるものでしたが、戦陣に散り戦禍に苦しんだ人達を思うに、というくだり、戦陣も戦禍も知らぬ人間だらけになって、石原慎太郎の言を借りれば自ら我欲に走り堕落した我々現代の国民にどこまで伝わったことだろうと思いました。赤紙一枚で有無なく兵隊にとられ戦場に死んだ多くの人々があればこそ現在の日本がもたらされているのです。そこをきちんと「定義」しないとならぬと思うのです。戦争遂行した者達だけが悪人(その頭目が天皇陛下という論)、兵隊にとられた者達は犬死させられたという解説が罷り通っている教育現場です。犬死。よくもそんな言葉を使えることだと情けなく思います。どんな思いで死んでいったんだあの人達は。そういう想像力に欠け過ぎです。その考え方の延長上にA級戦犯だけが悪者だ、靖国から分祀せよなんていう屁理屈を振り回すのです。違います。あの時代は欧米の帝国主義に抗って、自存自衛の闘いを強いられたのです。あんな大国(米)相手に勝てるなんて考えないけれど、平気で兵糧攻めしてくる米に対して噛みつく。自存自衛だったのです。そこの整理が全くなされてないから何時まで経っても(66年です)曖昧な終戦記念日なのです。どうして敗戦じゃなくて終戦なのですか。戦争の総括という表現をよくしますが、ズルズルと66年です。挙げ句に左翼政権まで生んでしまった現況です。ううむ。我々国民の所為でしょう。はやく気付かねばなりませぬ。
コメント
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