ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

やはり死刑判決が下された事件は、被告人側は最高裁まで争うべきだと思う

2019-12-18 00:00:00 | 社会時評

昨日(12月17日)流れたニュースを。

>大阪 寝屋川事件 高裁「控訴取り下げは無効」 異例の決定
2019年12月17日 17時08分

4年前、大阪 寝屋川市の中学1年生の少年と少女を殺害したとして1審で死刑判決を受けたあとみずから控訴を取り下げていた山田浩二被告について、大阪高等裁判所は17日、控訴の取り下げを無効とする異例の決定を出しました。この判断が確定すれば山田被告の2審が開かれることになります。

山田浩二被告(49)は、平成27年8月、寝屋川市の中学1年生、星野凌斗さん(12)と平田奈津美さん(13)の2人を殺害した罪に問われ、1審の大阪地方裁判所で去年12月、求刑どおり死刑を言い渡されました。

山田被告は判決を不服として控訴していましたが、ことし5月、拘置所の看守とトラブルになったことをきっかけにみずから控訴を取り下げる書面を大阪高等裁判所に提出し、受理されました。

これに対し山田被告の弁護士は「精神障害などの影響があり真意ではない」として取り下げを無効とするよう大阪高等裁判所に申し立てていました。

これについて大阪高等裁判所の村山浩昭裁判長は、控訴の取り下げを無効とする異例の決定を出しました。

その理由については「控訴を取り下げた経緯は通常ありえない、常識では考えがたいもので死刑判決を直ちに確定させるという極めて重大な結果をもたらすのに余りに軽率だ。取り下げを有効として1審判決に対する被告の不服に耳を貸すことなく直ちに確定させてしまうことに強い違和感と深いちゅうちょを覚える。今回にかぎり、控訴取り下げを無効として審理を再開・続行するのが相当だと判断した」としています。

この判断が確定すれば山田被告の2審が開かれることになります。

大阪高検「予想外の決定」
山田被告の控訴の取り下げを裁判所が無効と判断したことについて大阪高等検察庁の畝本毅次席検事は「予想外の決定だ。上級庁と協議して、適切に対応する」とコメントしています。
星野さん母親の代理人「被害者の苦しみや負担 理解を」
山田被告の控訴の取り下げを無効とする決定について、亡くなった星野凌斗さんの母親の代理人を務める奥村昌裕弁護士は、母親本人はコメントを控えるとしたうえで、「裁判所の法的判断にはコメントできません。しかし、この決定によって、再び子どもの命を奪った犯人と向き合わなければならない被害者の苦しみ、負担を理解していただきたい」と話しています。
平田さんの遺族代理人「遺族は懸念」
亡くなった平田奈津美さんの遺族の代理人を務める平瀬義嗣 弁護士は遺族のコメントは特にないとしたうえで、「この1年間は被告に振り回されてきたという印象を受ける。平田さんの遺族も、いったんは被告がみずからの罪を受け入れたと安どしていたが、不安定な立場に置かれることになった」と話しています。

そして2審であらためて審理される可能性が出てきたことについて「遺族は裁判員裁判での死刑判決が上級審で覆されるケースが続いているため、1審の判決が維持されるか懸念を示している」と話しています。

検察があるいは、最高裁に異議申し立てのたぐいをする可能性はあるので、これで確定というわけではないのでしょうが、かりに高裁で審理されるとすれば、個人的には、このニュースを聞いてよかったと思いました。私は死刑廃止論者ですので、基本的に死刑に反対ですが、仮に死刑を認めるにしても、やはり死刑判決が言い渡された裁判は最高裁まで争われるべきです。どんな極悪人、人間のクズ、サイコパスであろうと、人間の命を法の名で奪うわけですから、それくらいの前段階は必要でしょう。

実際問題として、1審で死刑判決が下された事件で、弁護人がした控訴を被告人が取り下げて、やっぱり控訴したいとして裁判所に訴えた事例は散見されます。このたびの天皇の代替わりではそのようなことはなかったようですが、1988年には、昭和天皇の死が近い、恩赦があるかもしれない、その場合確定している必要がある、というので、何人かの死刑囚が控訴あるいは上告を取り下げましたが、恩赦はなく、事実上早く処刑されただけでした。彼(女)らの中には、裁判のやり直しを求めた人もいましたが、当然ながら却下されました。私がこのブログで何回かふれている夕張保険金殺人事件がその1つです。Wikipediaから引用すれば、

>1987年(昭和62年)3月、札幌地裁は実行犯のIに対して無期懲役判決を言い渡し(減刑の対象になり得る自首が認定されたと考えられる)、首謀者のH夫婦については殺人の共謀共同正犯として共に責任を認定し、死刑判決を言い渡した。Iは控訴せず刑が確定。H夫婦は直ちに札幌高裁控訴したが、1988年(昭和63年)10月に突如として控訴を取り下げ、死刑が確定した。妻は戦後の日本において4人目の女性死刑囚となった。

H夫婦が控訴を取り下げたのは、当時昭和天皇の病状が重篤であり、仮に天皇が崩御すれば恩赦が行われ、これによって夫婦も死刑の執行を免れると期待したためであった。過去にも明治天皇大正天皇が崩御した際には、殺人犯のような重罪人であっても恩赦によって刑が減軽されており、戦後もサンフランシスコ講和条約締結時に死刑囚であっても殺人罪のみであれば無期懲役に減刑されていた(強盗殺人や放火殺人など併合罪が付加される者は対象外)。ただし、恩赦の対象となるには刑が確定していなければならず、裁判が継続中の者は恩赦の対象にならないため、夫婦は恩赦の対象に選ばれるためにわざと控訴を取り下げたものであった。当時、弁護士の提案などにより、H夫婦の他にも恩赦を期待して控訴や上告を取り下げた被告人が少なからず存在した。しかし、H夫婦の期待は外れ、昭和天皇崩御に際しては、懲役受刑者禁錮受刑者、死刑確定者に対する恩赦は一例も行われなかった。そもそもH夫婦の罪状は保険金詐取を目的とした放火殺人であり、前述の通り放火殺人は恩赦の対象外である(減刑令第7条第1項の規定による)ため、仮に当時恩赦が行われたとしてもH夫婦が恩赦の対象に選ばれる可能性はなかったと考えられる。その後、皇室慶事に伴う恩赦が1990年(平成2年、新天皇即位)と1993年(平成5年、皇太子の成婚)の2度行われたが、いずれもH夫婦が恩赦の対象に選ばれることはなかった。

恩赦の期待を絶たれたH夫婦は、1996年(平成8年)5月に「死刑判決を受け、精神的にも不安定で法律の知識もないままに恩赦があると誤認した」などとして札幌高裁に控訴審の再開を申請したが認められず、最後の望みを託して最高裁に提出した特別抗告も1997年(平成9年)5月に棄却され、同年8月1日に札幌刑務所において夫婦とも死刑が執行された[1]。日本における女性死刑囚の死刑執行は、1970年(昭和45年)に執行された女性連続毒殺魔事件以来27年ぶりで戦後3例目であった。

という始末のわけです。なお、注釈もついでに引用しますと、

> ちなみに、H夫婦とほぼ同時期に地裁で死刑判決を受け、恩赦を期待して控訴を取り下げた2人の男性は、H夫婦に先立って1996年(平成8年)12月20日に死刑執行。一方、H夫婦らと反対に控訴を取り下げなかった山中湖連続殺人事件の主犯とされる男性は、1993年(平成5年)に最高裁で死刑が確定するも、最終的に刑執行を受けることなく2008年(平成20年)に獄中で病死している。また、同事件で同じく控訴を取り下げず最高裁で死刑が確定した共犯の男性もやはり刑が執行されず、2017年(平成29年)現在も存命中である。

とあります。なお2008年に病死した死刑囚は、澤地和夫氏です。

それで、1審の死刑判決の後自分で控訴を取り下げた後やっぱり控訴したいと訴えた人物は、奈良小1女児殺害事件の被告人である小林薫で、彼は控訴取り下げの無効を訴えましたが認められず、確定の6年半後に死刑が執行されました。また、京都・神奈川親族連続殺人事件の犯人も、Wikipediaには書かれていませんが、犯罪の世界を漂うによると

>2009年11月、控訴審再開請求。2010年5月、最高裁で棄却、確定。その後、再審請求の準備をしていたとされる。また恩赦も請求していたらしい。

とのことです。人間、気が変わることもあります。そうした場合、死刑判決を受けた後の早い段階での控訴取り下げは、まさに致命的です。また、最高裁までいかないで死刑が確定した人は、そうでない人より執行も早いようです。これは以前拙ブログでも論じました。

多少なりとも自分の命が惜しければ、死刑確定確実でも最高裁まで争うべきだ

いずれにせよ私は、死刑判決の場合は、強制的に最高裁まで審理をするという法律にしてもいいくらいだと考えています。安田好弘弁護士は、スーパー・デュープロセスなるものを提言しています。こちら様から引用させていただきますと、

> その一つが、死刑に関するスーパー・デュープロセスの実現です。憲法31条(「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」)はデュープロセスという規定を定めています。とりわけ、死刑は取り返しのつかないものですから、一般的事件よりも、より厳しいデュープロセス、つまりスーパー・デュープロセスを用意すべきだと思います。具体的には死刑求刑が予想される事件については必要的弁護事件として捜査段階から弁護人をつけなければならない、つまり、弁護人なくして身柄の拘束も取り調べも行ってはならないということ。裁判においては、検察官にすべての証拠の開示を義務づける、すべての事件について精神鑑定を義務づける、それからさらに全員一致制を設ける、さらに今回のような取下げは認めず、必要的上訴を、つまり、必ず三審まで審理することを義務づける、さらに重要なことは検察官が一審有期懲役、一審無罪、一審無期懲役という一審の判決について死刑を求めて控訴、上告することは許されないということ。死刑が確定したあとにも、必ず弁護人をつけること、そして死刑執行する時に最低2週間前には本人および弁護人に告知すること。これは、本人の利益の保護のためです。こういうスーパー・デュープロセスの手続きは、死刑の存置廃止の意見を超えて、賛成が得られるだろうと思います。

としています。これは非常にいい考えだと私は思います。どんな極悪人、人間のクズ、サイコパスであろうと、死刑というのはそれなりに慎重に審理、判決、執行手続きをするべきです。そういうことは、私たちも考えなければいけないなと痛感します。

コメント (7)
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