ずいぶん以前に私は次のような記事を書きました。
そんなことを言うのであれば、検察は今後裁判員裁判では、量刑不当の控訴はしないのかという話になる
その記事の中で私は、
>> 東京高検は25日、「一般市民の量刑感覚を個々の裁判に反映させるという裁判員制度の趣旨を損なう」とする上告趣意書を最高裁に提出し、要旨を報道機関に公表した。
という記事を紹介したうえで、
>こんなこと言っていたら、今後検察は、裁判員裁判に関しては、量刑不当による控訴をすべきでない、っていう話になりますよ。でも量刑不当で今後も控訴するんだろ?
>量刑っていうのは、無罪を争っているのでない限り裁判の最大の焦点であるわけで、裁判員裁判なら、上級審も地裁の量刑に倣うべきったって、検察、弁護側双方そうはいかんでしょ。弁護側がそういう主張をするのならまだしも、公訴権を持つ国家機関である検察がそういう主張をするというのはどうかです。
個人的には、
>>一般市民の量刑感覚
より裁判官の判例と日々の勉強に基づいた判断のほうがよっぽど信頼できると思いますが、 量刑に市民感覚を適用するとは、まさに悪しきポピュリズムもここに極まったりです。
と批判しました。
それで、別にこの件が、最初の事例ということもないのでしょうが、「どうもなあ」という事例がありました。
>時事ドットコムニュース>社会>福岡女児殺害、双方が控訴
福岡県豊前市で小学5年の女児=当時(10)=が殺害された事件で、福岡地検小倉支部は13日、殺人罪などに問われた内間利幸被告(47)を無期懲役とした福岡地裁小倉支部の判決を不服として控訴した。検察側は死刑を求刑していた。
内間被告も12日付で控訴した。弁護側は有期刑が相当だと訴えている。(2016/10/13-18:02)
量刑不当で控訴しているじゃないですか(笑、いや笑っちゃいかんですね)。
別に、児童への性犯罪で殺人をした人物は1人の被害者であっても死刑にするという判例があるわけでもありませんから、これは実質完全な量刑不当の控訴ですよね。上の上告趣意書と全然そぐわないじゃないですか。まさか、上の上告趣意書は東京高検が出したもので、今回の控訴は福岡地検小倉支部によるものだから関係ない、なんてことは言わないでしょうねえ。こんなのは、この事件が死刑が妥当かどうかなんて以前の問題です。何をいまさらですが、検察というところもその場しのぎのデタラメなところです。
もっともそういうことを言い出すと、検察の上訴権というのは妥当かという問題があります。再審ですら、検察は上訴権があるわけで、それで名張毒ぶどう酒事件は1審無罪が逆転死刑になりましたし、1度再審決定が下ったのにそれがまたひっくり返ったわけです。袴田事件もご同様。現在東京高裁で審理中です。こういったことも、是正しなければいけないことだと思います。
全くですね。
>検察の上訴権というのは妥当かという問題があります。
米国は上訴権は確かありませんし、渥美東洋・中央大学名誉教授(故人)などは上訴権を「人権上適切でないので廃止すべき」と言う立場だったかと思いますね。
『弘前大学教授夫人殺人事件』 (講談社文庫)、『狭山事件の真実』 (岩波現代文庫)、『死刑台からの生還:財田川事件の三十三年』 (岩波現代文庫)の著書がある鎌田慧氏も上訴権廃止派だったかと思います。
>米国は上訴権は確かありませんし
映画「JFK」でも、クレー・ショーは1審無罪で、その後ギャリソンも控訴はしていないわけです。
福岡県豊前市での事件は、遺族が強く死刑を望んでいましたからね。恐らく検察は、遺族の要求に応えようとしたのでしょう。とは言え、あまりにも感情論で動いているように感じますね。
ところで、下記の事件の判決に対する遺族の対応も、「どうもなあ」と思います。
ミナミ暴走 過失運転罪で実刑
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20161102/3682152.html
私が気になったのは、遺族の
>納得できません。いまは、頭の中が真っ白です。判決は娘の命をばかにしているとしか思えず、このままでは、悪い判例になってしまいます。それだけは絶対に避けたいです
という発言ですね。この事件は飲酒による暴走運転により引き起こされたものであり、遺族が加害者に重罰を望むのも無理はないと思いますが、こういう感情論をマスコミが垂れ流すのもどうかと思いますね。
そういうことでしょうね。未成年者の性犯罪の殺人でも、死刑になった罪は、死体を損壊しているとか、それなりのより高度な悪質さを必要とするので、たぶんこの事件はその関係で死刑判決にならなかった部分があったと思います。控訴審でどうなるかはわかりません。
>この事件は飲酒による暴走運転により引き起こされたものであり、遺族が加害者に重罰を望むのも無理はないと思いますが、こういう感情論をマスコミが垂れ流すのもどうかと思いますね。
実は私も、この件でちょっと記事を書く予定でした。来週の発表になるかと思いますが、よろしければnordhausenさんもお読みになってください。
遺族の気持ちを理解しないではないですが、署名が集まったからより重い罪に訴因変更するって、それ法治主義じゃないだろという気はします。
砂川事故、控訴審でも懲役23年 遺族「不満ある。一生刑務所に」
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0389810.html
>遺族代理人の山田廣弁護士によると、広沢さんは「当然の判決で安心した」と述べる一方、「懲役23年には不満がある。一生刑務所に入ってほしい」と語ったという。山田弁護士は「悪質さを考えると量刑は軽いくらいだが、高裁が共謀による危険運転を認定した意義は大きい」と評価した。
この遺族は、「殺人罪を適用して裁判をやり直せ」とでも主張したいのでしょうか。遺族の主張に従えば、危険運転致死罪の最高刑を死刑、無期懲役に引き上げるか、飲酒などの悪質な運転で死亡させた場合でも殺意の有無に関わらずを殺人罪を適用すべきということなのでしょう。これで遺族の不満が消えるかといえば疑問ですね。とはいえ、こういう類の重罰化はこれからも進んでいくと思いますね。
>この遺族は、「殺人罪を適用して裁判をやり直せ」とでも主張したいのでしょうか。遺族の主張に従えば、危険運転致死罪の最高刑を死刑、無期懲役に引き上げるか、飲酒などの悪質な運転で死亡させた場合でも殺意の有無に関わらずを殺人罪を適用すべきということなのでしょう。これで遺族の不満が消えるかといえば疑問ですね。とはいえ、こういう類の重罰化はこれからも進んでいくと思いますね。
私もご意見に同感です。たぶんですが、このご遺族は、どんな重刑が判決に下されても、それ自体では満足しないでしょうし、またそれとは別に重罰化は進む可能性が高いと思います。