ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

映画の話ばかりでなく、戦争によって人生が根本的に変わったということも多かったのだなと改めて思う

2022-08-15 00:00:00 | 映画

あゝ声なき友

過日、渥美清企画・主演で今井正監督作品である『あゝ声なき友』という映画を観ました。1972年の映画です。渥美は、この映画の原作(有馬頼義「遺書配達人」)を読んで感銘を受け、自分で「渥美清プロダクション」を設立して松竹と提携してこの映画を製作したくらい彼自身気合の入った映画のようです。

なお以下複数の映画のネタバレがありますが、それを書かないと記事になりませんので乞うご容赦。Wikipediaからストーリーを引用しますと、

>終戦後、病気入院していたため、部隊で一人生き残った西山民次は、戦友12人の遺書を抱き日本へ帰国した。家族全員原爆で死亡し、身寄りの無くなった西山は、なんとか食い繋ぎながら、12通の遺書を配達するべく旅に出る。そして、行く先々で西山が見たものは、生々しい戦争の傷跡だった。

と、あっさりとした記載ですが、より詳細に、映画.comから。

>終戦--病気で入院していたため、全滅した分隊中ひとり生き残った西山民次は、戦友十二名の遺書を抱いて日本へ帰還した。家族は原爆で死亡。身よりのなくなった民次は、東京で知りあった、同じ担ぎ屋仲間で夜は躯を売っている、花子という女と同棲した。ところがある日女が失踪した。彼女は、民次が探していた戦友島方の妻静代で、身を恥じて逃げ出したのだ。翌年、民次が友人辰一と始めた、進駐軍残飯のごった煮屋は大繁昌。辰一は、板前である民次を頼りにするが、民次はそれより遺書配達に、熱中するのだった。最初に訪ねた鹿児島の西野入国臣は元内務大臣の戦犯として巣鴨から出所したばかりで、息子国夫の手紙に「戦争で若者が死に、老人が生き残ることは許せぬ。お父さんを憎む。」とあるのを見て嗚咽する。戦友上辻の姉美喜は、弟と約束した待合せ場所の博多駅から、恋人を失っても離れようとはしなかった。松本分隊長の父友清は、息子二人が戦死したことを涙ながらに民次に告げるのだった。小樽の戦友西賀の妻紀子は東京空襲で発狂しており、遺書を見てもなんの反応も見せなかった。市原兵長の弟礼の場合は最も悲惨だった。引きとってくれた家での虐待を怒り一家を惨殺、死刑になっていたのだ。米沢で無駄足をふんだ民次は、旅館で女あんまを頼んだがこの女が米沢で探しあぐねた、町よしのとは知るよしもなかった。帰京した民次は静代が病院で瀕死の状態だと知らされた。静代は、民次に夫のやさしい遺書を読んで貰いながら息絶えるのだった。戦友木内の妻千恵子は、木内の戦友でひと足先に除隊していた八木隆弘と再婚して、幸福な生活を送っていた。ところが、木内がまだ生存していた頃に、八木は千恵子に横恋慕し、木内が死んだと偽装していたのである。民次は八木を殴打するが、しかし八木の千恵子に対する愛が、真実なのを知り許すのだった。板前に戻る気になった民次は、辰一の世話でスポンサーの国本に紹介してもらう。ところが、料亭に招かれた席上、国本のお目当の芸者の花番が戦友吉成の遺書の宛名の黒沢桃子と判ったが、花香は、戦争中ほんの子供であり何の感動もみせず、かえって二人の仲を誤解した国本は、民次に店を持たす話を取り消してしまった。ふたたび民次は遺書配達を開始する。百瀬の家を尋ねた民次は、戦死した筈の本人が現われ驚く。百瀬は召集兵であり、年の功で生還できたのである。二人は酒を飲みかわす、が、百瀬は、八年間遺書の配達に熱中した民次を罵しる。しかし、そんな百瀬にも戦争の傷跡はあった。妻に裏切られ、パンパン崩れの女と再婚しており、「忘れてしまえ、その方がずっと楽だ……遺書なんか焼いてしまえ!」と怒鳴り、テーブルに突っ伏しながら、妖しく目を光らせるのだった。

・・・と、ストーリーを引用していると、あれ、これどっかで同じような映画を観たなあと思い出します。似たような映画はたくさんあるのでしょうが、有名どころがこちらですかね。

ひまわり HDニューマスター版

ひまわり』も、戦争で行方不明になったマルチェロ・マストロヤンニの夫を探しに行ったソフィア・ローレンの奥さんが、はるばる旧ソ連へ向かい、なんとか再会を果たしますが、すでに(元)夫は、新しい家庭を持っていたというものでした。

戦争で、戦死あるいは戦傷、もしくは生死はともかく所在が分からなくなった人間がいますと、もちろんそのご当人が一番悲惨ですが(とりあえず「侵略戦争かどうか」といった議論はなしにしておきます)、周囲にも多大な影響が出ます。そしてそれを解消するために過去をほじくっていくと、いつのまにやら相手側はすでに人生の次のステージに入っていて、自分の行動に先方は困惑する、あるいはすでに迷惑の段階にも来てしまっているわけです。渥美清の主人公は、そういった愚直さがたたり、せっかくの仕事も棒に振ってしまうし、友人も愛想をつかして去ってしまう。ソフィア・ローレンは、彼女もようやく次の人生に行こうとしていると、元夫があらためて(これが最後の機会ということでしょうが)ローレンに逢いに訪れます。すでに彼女は、子どもがいるという設定です。まさに下のようになってしまうわけです。

以上は、日本とかイタリアのように、一応基本的には外国に行って戦争をした国の話です。これが自国で戦争があるという立場になると、その悲惨さはさらに上回ることは言うまでもない。中国や旧ソ連の悲惨さなどは、私が書くまでもない話でしょう。で、これらの国々では、共産主義国家でもあったわけですから(中華人民共和国が成立したのは1949年ですが、それ以前にも国共内戦もありました)、日本やイタリアほどは、移動の自由ほかはなかったのでしょうが、それでも多くの別離や悲劇があったし、これは戦後2つの国家に分裂したのですが、ドイツなども旧東独も西独も、似たようなことは、国中で戦争をしてベルリンが陥落するまで降伏しなかったわけだから、これまたすさまじい悲劇があったわけです。これは、日本では沖縄をイメージしていただければ、だいたいお判りいただけるかと思います。もちろん空襲や原爆投下などによる人的被害もここにはふくまれます。下の写真は、『ひまわり』より。

 

当たり前ですが、戦争というものの被害は、戦死や戦災、さらには戦傷や精神障害、あるいは戦争にかこつけた性犯罪などももちろんそうですが、経済的な損失ばかりでなく、家族関係や人間関係ほかの破壊という側面も、あまりに膨大で取り返しがつきません。自然破壊などももちろんそうですが、ともかく戦争というのは、普段ではとてもありえないようなめちゃくちゃな暴挙が、これはたぶん昔と比べればだいぶましにはなっているのかもですが、無理やり遂行されるし、また正当化される。なにしろ(国家)総力戦なんて言葉すらでてくるくらいです。そしてその影響は、今日まで続いています。先年こんなことが報道されました。

>国産ジェット事実上凍結へ 三菱重工、コロナ直撃で需要消滅
2020/10/22 23:01

 三菱重工業が国産初のジェット旅客機スペースジェット(旧MRJ)の開発費や人員を大幅に削減し、事業を事実上凍結する方向で最終調整していることが22日、複数の関係者への取材で分かった。新型コロナウイルスの流行が直撃し、納入先の航空会社の需要回復が当面見込めないと判断した。巨額の開発費を投じ、官民で約半世紀ぶりの国産旅客機を目指したが、ノウハウ不足で6度納期を延期していた。国の産業政策にも大きな打撃となりそうだ。

 30日に発表する中期経営計画で詳細を説明する。今後は航空需要の動向を見ながら、事業を再開するかどうかを検討するとみられる。将来の需要回復に備え、運航に必要な「型式証明」と呼ばれる国の認証取得に向けた活動は継続する。スペースジェットの開発費は、相次ぐ納期の延期で売り上げが立たない中、既に1兆円規模に達している。

コロナは建前で、それ以前に型式証明すら取れなかったので、どっちみち商売になるとも思えませんが、日本が車とか鉄道に関しては、これだけ世界の最先端を争う力があるのに飛行機がこんなダメダメなのは、つまりはWikipediaから引用すれば、

>日本では戦後の有望な産業としての航空機産業の育成を阻害する目的で航空機産業を解体。大学における研究すら禁止される状態となった。これにより大型飛行機の国産化は21世紀になっても実現出来ていない。

航空機産業の技術者・生産力は自動車産業や日本国有鉄道(国鉄)に流れることとなった。産業の先端を支えるであろう技術者は自動車産業に向かうものも多く、その黎明期を支え、また国鉄に移った技術者は新幹線を実現させた。

というわけです。敗戦後75年を経てこの始末なわけです。もちろん従軍慰安婦問題とか、戦犯の問題などもご同様。戦争がなければ、さすがにここまでの無茶はされないし、するわけがない。

そう考えると戦争というのは何をいまさらながら、ほんと罪深いですね。いわゆる人権問題から自然破壊、しまいには、産業政策のようなものまで、めちゃくちゃな介入を受ける。ウクライナも、小麦の輸出すらままならないのが現状です。そしてそれは、世界中の食糧供給に大きな影響が生じる。ほんと、困ったものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2022年1月~6月に劇場で鑑賞した映画(2022年7月18日追記:1本欠落していました)

2022-07-01 00:00:00 | 映画

2022年1月1日から6月30日までに映画館等の劇場(公民館などをも入れる)で鑑賞した映画作品をご報告します。映画の並べ方は、五十音順です。映画には、Wikipediaに記述のあるもの(私が記事に追加した時点のものですので、その後書き加えられたものもあるかもしれません)はそれを、ないものは公式HPを、古い映画などでそれもないものは、各映画会社(後継の会社もふくむ)のHP、確認できないものは映画サイトからのものをリンクしました。それも難しい映画は、googleでの映画題名による検索結果をリンクしています。なお複数回観た映画については、(×回目鑑賞)と注記しました。

愛と希望の街

あなたの番です 劇場版

アポロ13 

泉へのみち

怒りの日

いつも2人で

イングリッシュ・ペイシェント

ウエスト・サイド・ストーリー

栄光への反逆

エデンの東

オールド・ボーイ4K

王女メディア

桜桃の味 

お母さんのつうしんぼ

お吟さま(1962年)

オペレーション・ミンスミート -ナチを欺いた死体-

オリーブの林をぬけて 

女ばかりの夜

帰らない日曜日

香川1区

香川1区(2回目鑑賞)

風が吹くまま

風が踊る

家族

奇跡

きみが死んだあとで

旧グッゲンハイム邸裏長屋

キューポラのある街

狂熱の果て

金の糸

くちづけ

クナシリ

グラディエーター

グレタ ひとりぼっちの挑戦

ゲアトルーズ

ゲッベルスと私

コーダ あいのうた

恋の片道切符

ゴッドファーザー

ゴッドファーザー PART II

ゴッドファーザー<最終章>:マイケル・コルレオーネの最期(注・「午前十時の映画祭」でのタイトル)

ゴヤの名画と優しい泥棒

これは君の闘争だ

裁かるゝジャンヌ

ザ・ビートルズ Get Back

シカゴ 

新どぶ川学級

驟雨

スザンヌ、16歳

スタンド・バイ・ミー 

スパークス・ブラザーズ

青幻記 遠い日の母は美しく

世界で一番美しい少年

先生のつうしんぼ

早春物語

そして人生はつづく 

ただ悪より救いたまえ

ダンサー・イン・ザ・ダーク

地図のない町

乳房よ永遠なれ

月は上りぬ

テオレマ

天使にラブ・ソングを…

友だちのうちはどこ? 

ドライブ・マイ・カー

トラベラー 

流れる

夏のページ

二階の他人

二十四の瞳

二代目はクリスチャン

ニトラム/NITRAM

盗まれた欲情

野菊の如き君なりき

白骨街道 ACT1

パリ13区

ファーゴ

風櫃の少年

フェルナンド・ボテロ豊満な人生

フラワーズ・オブ・シャンハイ

フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊

ベルイマン島にて(2022年7月18日追加)

ベルファスト

ホームワーク 

ボクのおやじとぼく

僕の帰る場所

北陸代理戦争

まち映画「おかめきけ〜群馬発!上毛かるた奮闘記〜」

まってました転校生!

めぐりあい

めし

MEMORIA メモリア

やさしい女

野獣死すべし

四年三組のはた

ライトスタッフ

理由なき反抗

若い狼

ワン・プラス・ワン

以上98(2022年7月18日訂正:99本でした)本です。予定では、100本を超える数を観たかったのですが、いろいろありできませんでした。ただ今年は、200本映画館で観られそうだなと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

予想の範疇ではあるが、河瀨直美の東京オリンピックの公式記録映画はかなりの不入りらしい

2022-06-23 00:00:00 | 映画

予想通りというか、まあそうだろうなとしか思えませんが、タイトルにもしたように、『東京2020オリンピックSIDE :A』がだいぶ興行成績が悪いようですね。参考記事を引用します。

河瀬直美監督『東京2020オリンピック』連作の興行面における二つの問題点

>(前略)
 ウィークデイも劇場によっては大入りが続いている『トップガン マーヴェリック』とまったく逆の意味で、今週興行関連で話題を集めたのは、6月3日に公開された河瀬直美総監督による東京2020オリンピックの公式映画『東京2020オリンピック SIDE:A』の不入りに関する報道だ。オープニング3日間の動員は1万2208人、興収は1667万1600円、土日2日間の興収は約1200万円。同時期の『トップガン マーヴェリック』の約1.5%の数字である。

 過去の作品の制作現場における河瀬直美監督の暴力問題、同作の制作に密着したNHKの番組における捏造テロップとエキストラのやらせ疑惑、完成披露試写会場における公開反対デモなど、『東京2020オリンピック SIDE:A』に関しては公開前からネガティブな報道が続いていたが、本コラムはあくまでも興行コラムなので、興行の観点から本作の問題を二つ指摘したい。

 一つは、1965年3月に公開されてヒットを記録した市川崑総監督による『東京オリンピック』と同様に、本作が東宝配給、つまり必然的に全国で大規模公開されたことだ(それでも東宝配給の新作としては最小規模の約200スクリーンだが)。オリンピックの公式映画自体はIOCの規定で決められていることなので、作品の制作自体を問題視しても仕方がない(フィルム時代とデジタル時代で、作品の資料的価値については大きく変化しているはずだが)。河瀬直美監督という人選も、商業映画における実績はともかく、カンヌ映画祭において継続的に寵愛を受けていること(そのこと自体に思うところはあるが)によって国際的に名前が通っている日本人監督の一人であることから、JOCのような組織にとっては選びやすかったのだろう。

 しかし、57年前と同じようにオリンピックのドキュメンタリー映画に観客が押し寄せると思っていたとしたらおめでたすぎるし、諸々の政治的しがらみによって上層部が決めたことを敗戦処理として公開したのであれば、結局その皺寄せがいくのはJOCでも東宝でも河瀬直美監督でもなく、本作を東宝との関係性からどんなにガラガラでも上映しなくてはいけない全国200スクリーンの劇場である。ちなみに200スクリーン、一日4回上映でオープニング3日間の動員を単純計算すると、1回の上映あたりの動員は5人となる。何らかのかたちで、事前に上映規模を縮小する方法はなかったのだろうか。

上でご紹介した表は、同じ記事からのものです。表に映画が出てこないわけで、つまりは非常に興行成績がよろしくないわけです。

この映画については、私のようにアンチ東京オリンピック2020は、だれが観るか、そんな映画でしょうし(私も、相当な馬鹿なので、映画でしたら「この映画は絶対観たくない」という映画がそうそうあるわけでもありませんが、この映画は、絶対観たくありません)、それ相応にオリンピックを楽しんだ人も、いまさらという側面が大きいのかなと思います。また、河瀬直美についてのネガティヴ報道や、今年1月でのNHKのデマ番組など、どうも世間からの厳しい視線が多かったのも確かです。その点については、上の記事でも指摘されています。

「拳で顔面を殴打」東京五輪公式記録映画・河瀬直美監督が事務所スタッフに暴力

NHK、事実確認せず不適切字幕「金もらって」「五輪反対デモ参加」

私も番組は見ず、その後有志がアップロードしたその部分を抜粋した動画を見ただけですが、ほかは、音声処理をしているとはいえインタビューを受けている人物の肉声を伝えていたのに、一番問題の金銭の授受があったというくだりは字幕テロップとナレーションで処理をしているというなんともお粗末な代物でした。仮に金の授受があったとして、それを反五輪デモ一般に論じるのも、典型的な詭弁、虚偽ですが(「早まった一般化」というやつでしょう)、これも「五輪反対デモ」の件でなければ、こんなめちゃくちゃな報道になったのか、きわめて疑問です。

選手や競技を扱った「SIDE:A」でこのざまなのだから、裏方をあつかうという「SIDE:B」は相当にひどい興行成績になるのは確実でしょうね。いや、そういうテーマで記録映画を製作するということ自体は、そんなに悪いとも思いませんが、でも河瀬直美が(総)監督じゃあなあという気はします。

ところで下の記事のタイトルはかなり皮肉です。

「映画も無観客」皮肉られた東京五輪公式映画 なぜ大コケ?「大会への嫌な感情」「河瀬色」...識者指摘

タイトルにでてくる「識者」とは、映画評論家である前田有一氏です。前田氏について詳しくありませんが、彼のWikipediaによると

>2003年より、前田が運営するサイトと日本文化チャンネル桜の番組内で「超映画批評」と題して映画批評を行っており

とありますが、「日刊ゲンダイ」などにも寄稿しているとのことで、あるいは幅広くいろいろなメディアに登場している方なのかもですね。そこで氏のコメントを引用します。氏は、エンブレムの問題ほか(暴行の件も指摘)のトラブルについて指摘した後、

>そもそも、河瀬さんの作風は万人受けとは真逆にいるタイプです。これらの要因の相乗効果によって『私には向いていない』『なんかお金払って行くのもね...』と思った人が多かったのではないでしょうか」

>「市川作品には、当時の日本の精一杯で作ったイベント(五輪)を余すことなく記録しようという意志を感じました。あの映画を後から見ると『64年当時はこういうことをやっていたんだ』と振り返ることができます。まさに『記録映画』です。一方で、河瀬さんの作品からは、今回の大会・競技を『記録しよう』という気が感じられませんでした。前回大会とは違い、テレビやインターネットが普及し、映画で記録する必然性が薄れたという背景はありますが...感じたのは『私の視点から見た五輪を後世に残そう』という意識です」

としたうえで、

>「アスリート以外の関係者や大衆、市民運動などを描くのならば、五輪開催側(JOC、IOCなど)の『暗部』を避けては通れません。一方で、あくまで公式映画ですから、そういった人たちを正面から批判することは許されない。ただ、世の中には、一見するとわからないけど、実は体制批判の意味が込められていた、という映画も数多くあります。『面従腹背』でもいいので、東京五輪の『暗部』を河瀬さんなりに批判する、くらいのことがあってもいいのではないかなと思います」

としています。そうなれば面白いですが、そういう期待は河瀬にはむずかしいんじゃないんですかね。まあそんなことは、前田氏も本気では期待していないのでしょうが。
 
いずれにせよあんまり面白そうじゃないですね。アンチの私でなくてもあんまり興味をひくものでもありません。五輪の記録映画自体、すでに過去の遺物に近いのでしょうが、そのような限界をどれくらい突破できるかがこういった映画の価値でしょう。河瀨直美は、そのような方面に能力がある人物ではないのだと思います。予想できたことですが、やっぱり予想通りですね。それで映画館や東宝にも迷惑がかかるのだから、まったくもってひどい話です。『SIDE:B』の公開は、明日24日からです。さらに映画館が迷惑しそうです。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の首相には、是枝裕和監督の韓国映画『ベイビー・ブローカー』を観に行くという度量は(現段階)ないと思う

2022-06-17 00:00:00 | 映画

先日こんな記事を書きました。

つまりは、韓国大統領にとっても大した脅威ではないということだ

それで、これはやや枝葉末節な部分でもありますが、日本人としてはなかなか興味深い部分がありますね。そこで引用した記事を一部再引用します。

>北朝鮮“ロケット砲”後に…韓国大統領が映画鑑賞
[2022/06/14 14:03]
 韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が、北朝鮮がロケット砲とみられるものを発射した後に映画観賞をしていたことについて、野党などから批判が上がっています。

 尹大統領は12日午後、ソウル市内の映画館で是枝裕和監督が韓国で制作した「ベイビー・ブローカー」を夫人と観賞しました。

(後略)

ここで私が注目したいのが、尹大統領が鑑賞した映画が、

>是枝裕和監督が韓国で制作した「ベイビー・ブローカー」

ということです。是枝裕和監督のWikipedia

>2021年には『ベイビー・ブローカー』で初めて韓国映画の監督を務め、ソン・ガンホカン・ドンウォン、さらに『空気人形』でもタッグを組んだぺ・ドゥナといった韓国の映画俳優が出演ソン・ガンホは本作で第75回カンヌ国際映画祭男優賞を受賞し、韓国人俳優としては初の快挙となった。

とあります(注釈の番号は削除)。この映画は、そのWikipediaにもあるように、

>是枝裕和監督初の韓国製作及び韓国語作品

であるわけです。日本資本の入っている合作映画ではない韓国映画です。大島渚監督の『マックス、モン・アムール』(キャスト・スタッフが大島監督以外非日本人)などに近いですかね。

尹大統領の趣味に映画鑑賞があるのかどうか私はその情報を入手していませんが、たぶんですが、彼がこの映画を鑑賞した理由は、その1つが日韓関係を考えてのものでしょうね。bogus-simotukareさんも、

>是枝ファンと言うよりは「日韓関係改善の模索」ではあるでしょう。
 勿論「日本文化=自民党政権」ではありませんし、是枝氏が自民党に近いわけでもないでしょう。そしてこうした動きに自民党政権がまともに対応するかも疑問符がつきますが。

とお書きになっていまして(注釈の番号は削除)、私もそう思います。

今日の朝鮮・韓国ニュース(2022年6月15日分)

その記事のコメント欄に私が書き込ませていただいたコメントをご紹介すれば、

>現実問題として、このご時世で韓国の大統領が、慰安婦問題や過去の問題(少女像や安重根)などで日本にそうそう譲るとも思いませんが、このようなところはそれ相応に気を使っていることです。

ということになろうかと思います。そして私のコメントは、次に

>でも日本の首相は、安倍は絶対そんなことをしませんが、岸田も是枝映画を観に行くような度量はたぶんないのでしょうね。

と書いています。

少々誤解があるのかもですが、私も行ったことのある安重根の記念館は、1970年に開館したものであり、これは一部の日本右翼からやたら評価の高いらしい朴正煕の時代です。つまり当時のように日本に相当頭を押さえつけられていた時代ですら、そのようなものが建設されるくらい安の評価は韓国では高いわけです。かつて櫻井よしこは、

>韓国大統領の文在寅氏が、1919(大正8)年3月1日に起きた反日独立の「3・1運動」の100周年記念日を前に、2月26日、独立運動の活動家、金九の記念館で閣議を開いた。戦時を除き、政府庁舎以外での閣議開催は初めてだ。

文氏は、「国家的な意味を込め」た同閣議に先立ち、金九の墓をはじめ、日本の初代首相、伊藤博文公を暗殺した安重根や日本の要人2人を殺害し死刑になった尹奉吉ら、日本から見ればテロリストらの墓を続けて参拝したと、「産経新聞」が2月27日付で報じている。

と書いていましたが、私がその櫻井の主張を取り上げた記事で指摘したように、

>金九にしても安重根にしても、少なくとも李承晩以来の韓国の政権で、彼ら(たぶん尹奉吉も)を否定的にとらえたことなんかないんじゃないんですかね。たとえば安重根の記念館は、日本右翼がやたら評価しているらしい朴正熙政権下の1970年に設立されています。そしてそれが今日まで続いているわけで、文大統領がどうこうという話ではない。

というものでしかありません。櫻井が大げさに騒ぐほどのことではない。

3月1日なので、その日にかかわる櫻井よしこのデタラメ記事をご紹介

慰安婦問題だって、一部の論者が期待するほどの態度の軟化はないんじゃないんですかね。とりあえずそう予想したほうが間違いがないと思います。

が、そのあたりの私の予想があたるかどうかは今後のこととして、ともかく現段階尹大統領は、あえて日本人の監督による韓国映画を鑑賞したわけです。ともかくここに、日本側への何らかのメッセージ、それは関係改善ということでしょうが、それがあるのは間違いない。

が、しかしですよ。引用したコメントにも書いたように、日本の首相には、『ベイビー・ブローカー』を鑑賞するという度量がありますかね。かなり怪しそうです。

安倍晋三ではまったくだめ、菅前首相もそういう人でもなさそうですが、現在の首相である岸田首相はどうですかね。とても彼にも、そういうことをする見識があるようには見えませんね。

そもそも彼に、そういうことをしたらどうかとすすめるブレーン、側近などもいそうにないし、いたらいたで、岸田は観にいくことを拒否するんじゃないんですかね(苦笑)。いやわかりませんけど。でもこれも「可能性」の問題ですが、彼には、「ではその映画を観にいこう」と考えるようなところはなさそうですね。ご当人が行きたくても、やっぱり行かないというタイプではないか。

自民党の人間でも、野中広務とかのレベルならそういうこともできそうですが、彼も議員引退したのはとっくの昔、もう故人ですからね。そういった自民党の良識がある程度あった人間も過去の話ですから、当分そういう人間は出ないのかなと思います。あるいは、福田康夫氏なら、ある程度そういうこともできたのかもですが。

例によってあまり前向きにならない記事ですが、正直な私の本音です(苦笑)。bogus-simotukareさんに感謝してこの記事を終えます。あ、岸田がこの映画を観たら、それはそれで彼を多少見直します。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんな金の使い方していたら、金なんかいくらあったって足りるわけがない

2022-06-10 00:00:00 | 映画

読者の皆様もお読みになったかもですが、こちらの記事が非常に興味深いですね。

元妻は破産寸前の苦境に…ジョニー・デップはカレー店で一晩830万円の豪遊
記事投稿日:2022/06/07 19:28 最終更新日:2022/06/07 23:23
『女性自身』編集部

元妻のアンバー・ハードとの名誉毀損訴訟に勝利したジョニー・デップの“気前の良さ”が止まらない。

友人のミュージシャン、ジェフ・ベックのライブにゲスト出演したことが話題となっていたが、デップはベックと共にスタッフを引き連れ、ツアーで訪れた各地の飲食店に出没しているという。

Daily Mailの報道によると、6月5日夜にバーミンガムのインド料理店「Varanasi」に総勢21人で来店。

シャンパンやチキンティッカマサラなどを楽しみ、チップを含めて5万ポンド(約830万円)を、デップは気前よく支払っていったという。

(後略)

うーん、高級なインド料理店だとして(したがって、この記事のタイトルの「カレー屋」というのはややミスリードです)、いくらなんだって1日で830万円も金をつかいますかねえ(苦笑&呆れ)。なおこの店は、このような内装です。たしかに最高級ではあるのかもですが・・・。

だいたい彼のWikipediaにだって

>金遣いが非常に荒く、2017年には、浪費による散財のせいで破産が報じられた。また、マネージャーを解雇したことも報道され、破産をめぐってはマネージャーの違反行為があったと主張し、訴訟騒動にまでなった。

>デップは過去に太っ腹なチップを残すセレブとして話題になっている。シカゴのレストランで映画『パブリック・エネミーズ』のレッドカーペット・イベントを祝い監督やキャストと食事をしていたところ、大人数での食事だったこともあるが4,000ドル(日本円で約32万8,000円)という高額なチップを払っている。当時のレストランのウェイターは「デップは15人のグループで食事をしに来た。チップは12人で均等に分けた。これまでウェイターを務めたセレブの中でデップが一番」と語っている。

>海外での映画撮影の場合、ハリウッドの役者は控え室やロケ先の家としてトレーラーを使用することが一般的となっているが、2010年11月、デイリー・スター紙によるとデップが『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉』の撮影時に控え室として用意されていたトレーラーに不満を示したところ、100万ポンド(日本円で約1億3,170万円)の予算でインテリアデザイナーを雇っていいとの許しを得て、高価なアンティークや手編みのじゅうたん、モロッコ風のランプ、クッション、鏡、モザイクタイルなどが運び込まれ、モロッコテイストの豪華な楽屋に大改造したという。 

とあるくらいです。なお上の引用では、注釈の番号は削除しています。

こころみに、「ジョニー・デップ 浪費癖」で検索してみると、いろいろすごい記事がでてきますね。たとえばこちら。一部抜粋ということで。

>エスカレートするデップの散在

演じる役が大きくなるのと並行して、デップの収入と散財も増大した。こう語ったのは、召喚状により証言録取を命じられた元ビジネスマネージャーのジョエル・マンデル氏だ。デップは専属スタッフの給料に年俸12万5000ドルから25万ドル、警備員には日給1万ドルを支払っていた、とマンデル氏。断薬と断酒のために雇ったデヴィッド・キッパー医師の診察料は月10万ドルだったそうだ。

それでも「しばらくすると、酒やクスリの問題が気まぐれな言動として現れていくのが分かりました」とマンデル氏は証言した。次第にデップと連絡を取ることも、収入が支出に追い付かない財政状況について率直な話し合いをすることも難しくなったそうだ。

マンデル氏の証言によれば、2015年秋になるころにはデップの財布も底をつき、数百万ドルにも及ぶ税金の滞納金を支払うことができなかった。南フランスに所有する家を売って滞納金の支払いに充てたらどうか、とマンデル氏が提案した。「2015年に財政状況の悪化を警告したのですが、快く受け止めてもらえませんでした」とマンデル氏。デップはマンデル氏の会社The Management Groupとの契約を打ち切り、詐欺と横領で同社を訴えたが、2018年に和解している(和解金の額面は非公開)。

うーん、おれもデップの取り巻きになりたいと思いますが(笑)、これじゃあどうしようもないですね。こちらはどうか。

>ジョニー・デップの浪費癖はメンタルヘルスの問題?
映画ニュース 2017/7/27 16:26

元ビジネスマネージャーたちの詐欺行為によって4000万ドル(約44億7000万円)の被害を受けたとして、裁判を起こしているジョニー・デップ。ジョニーは、元ビジネスマネージャーとその会社TMGを相手取り、2500万ドル(約28億円)の損害賠償を求めている。

しかし、これに対して元ビジネスマネージャーたちは逆訴訟を起こし、訴状の中でジョニーの浪費癖を指摘。「彼は買い物依存症であり、メンタルヘルスの問題を抱えている」と主張していると英紙デイリー・メールが伝えた。これに対しジョニーは「本件とは関係のない虚偽の主張をして、自分の評判を落とそうとしている」と反論して、撤回を求めている。

TMGは、ジョニーが元妻アンバー・ハードに暴力をふるっていたということを、元ビジネスマネージャーたちがジョニーの家の使用人たちから何度も聞かされていたことにも言及。今回の裁判とアンバーへのDVの件は何の関係もないが、TMGはジョニーが彼女へのDVを完全に否定していることに言及。ジョニ―の主張は信じるに足りるものではないと主張しているようだ。ジョニーは14の不動産を購入し、1800万ドル(約20億円)のヨットを持ち、一カ月のワイン代は3万ドル(約336万円)だと元ビジネスマネージャーたちは明かしている。

(後略)

もういいというかたもいるかもですが、まだまだですよ。こちらの方の浪費癖もひどかった(故人ですので過去形です)。

ホイットニー・ヒューストン、全財産浪費で自己破産寸前
 2012年1月24日  11時48分

 ホイットニー・ヒューストンが全財産を浪費し、次のアルバムのギャラを前払いしてもらって生活をしていると報じられている。

ホイットニー・ヒューストンがプロデュース!映画『プリティ・プリンセス2』写真ギャラリー

 コカイン中毒を乗り越えたホイットニーは、契約しているレーベル会社アリスタの好意で支えてもらっていると、ある関係者はレーダー・オンラインにコメント。「ホイットニーの財産はもうありません。音楽業界の大御所と彼女のレーベルが次のアルバムのギャラを前払いしてサポートしています。でも、そのアルバムがいつ出るのかは未定。周囲の助けがなければホームレスですよ」と言っている。

 金銭的にはかなり厳しいらしく、わずかなお金さえも友達から借りている状態らしい。「誰かに電話をして100ドル(約7,600円)を借りたと聞いています。哀れです。マライア・キャリーなみの金を持っていてもおかしくないのに、完全に破産状態です」とのこと。

 ホイットニーは2001年8月に、6枚のアルバムで1億ドル(約76億円)という音楽史上最高額の契約をアリスタと結んだことで有名だが、この金もすべて使ってしまったようだ。(BANG Media International)

当たり前の話ですが、誰だって収入以上に金を使っていれば金は足りなくなります。米国のスポーツ選手が、その多くが莫大な金を使い果たし破産状態に陥るという話は以前記事にしました。

「自分は例外だ」なんて考えないほうがいいのかもしれない(米国スポーツ選手の浪費と困窮について)

日本でも、例えばこちらはどうか。一部抜粋で引用します。清原和博の実例です。

>「昔から、『人のカネでは食わない、飲まない。人の世話にはならない。それがオレのポリシーや』というのが口癖でした。西武時代に堤(元)オーナーから、そう言われたのがきっかけだと言っていた。実際、現役時代は飲みに出たら絶対に自腹。お金の使い方も豪快だった。以前、テレビで『一晩に飲み屋で使った最高額は500万。支払いはカード。現金? 財布に入ってるんは、女の子へのチップやんか』と話してましたが、決して大げさじゃない。だって、巨人時代は今月のカードの支払いが2000万円や、と言っていたことが何度もある。銀座、六本木でそれくらい飲んでいたのは間違いない」(巨人時代の同僚選手)

日刊ゲンダイ本紙記者は巨人時代の宮崎キャンプ中、セット料金1時間6000円の庶民的なキャバクラで2日にわたって130万円ものカネを使った姿を目撃している。初日に男2人で店を訪れ、3時間で60万円。2度目の来店では4人で70万円。2日でドンペリの白を16本、ロゼを9本も空にし、意気揚々と帰っていった。

 右手首には、宝石メーカーが世界10本限定で販売した3234万円の時計を巻き、現役時代は23年間で25台の高級外車を乗り回した。

 21歳で2000万円超のフェラーリを買い、その後はポルシェ、ベンツ、ハマーなどを乗り継ぐと、現役時代の晩年には2000万円のベントレー、5000万円のロールスロイスを手にして、悦に入っていた。「それも買った車はほとんどが特別仕様やからな。車だけで10億円は使うた」と後輩選手に自慢していたものである。

この人たちよりスケールは小さいかもですが、1980年代後半ごろに人気予備校講師として2億円の年収があったという佐藤忠志氏は、家をリバースモーゲージのような形で売却した金で、1億円と自称する高級車を買い、困窮して生活保護受給者になり孤独死しました。夕張保険金殺人事件では、犯人の夫婦は、1か月で1億円を超える保険金を浪費しつくし、昔日曜夜の番組で受験勉強をしていた坂本ちゃんは、最高年収8000万円あったのをほとんど使いつくし、天地真理は、人気がなくなって出演したロマンポルノでのギャラ200万円で毛皮のコートを買ってしまい、高額納税者番付で90年代に4位になったことまである小室哲哉は、詐欺罪で逮捕される始末です。てめえらどんだけ馬鹿なんだよと思います。ジョニー・デップは、現段階まだ金を稼げるかもですが、ほかの人はそうもいかないでしょう。

浪費癖というのは、人間にとって本当に困ったことだと思う(抗酒剤のようなものもない)

別に金持ちに話は限りませんからね。貧乏人でもひどい浪費癖の人物というのはいる。犯罪者の中には、夕張のような多額の保険金でなくても、ちょっとした金額が手に入っただけで無茶な散財をして、今度は死刑になるようなひどい犯罪をするような手合いもいます。

浪費をする人間というのは、想像以上にひどい

上の記事から再引用すれば、

>被告人は,日本料理屋で板前をしていた平成5年夏,アルバイトに来ていた大学2年生の女性と知り合い,同年秋ころから,同女性を愛人とし,平成8年11月ころ,マンションへの転居費用を出してやったほか,以後月額約10万円を渡し,高級宝飾品を買い与えたりしていた。他方で,被告人は,平成5年以降,年金と乏しい収入でかろうじて生活を支えている父に,しばしば,金を無心していた。被告人は,平成9年の春ころ,さつきの販売に失敗して多額の借金を背負い込むことになったことや愛人に相当額の金を貢いでいたことからやりくりに困り,サラ金業者から合計300万円弱を借り入れ,その上,妻方の親戚にも,妻には内緒で借金をして回った。サラ金からの多額の借金の事実は,平成9年秋ころ,親戚も含めて家族に知れわたり,親族会議の結果,被告人の父が,金を工面し,約300万円の借金を返済した。被告人の妻の苦労を知っていた親戚や被告人の長女は被告人を責め,被告人は家族中から白い目で見られ,立場を失うこととなった。被告人はこれほど情けない思いをしたことはなく,いつか一旗揚げて女房子供を見返してやろうと考えた。

被告人は,平成10年後半,産業廃棄物処理業者に出入りし,土地売買の仲介やトラブル処理にかかわるなどして,少なくとも800万円以上を手にした。平成10年9月交通事故を起こし左上腕骨骨折などの傷害を負ったことから,平成11年夏までに約558万円の保険金が下りた。金に余裕のできた被告人は,トラブル処理の際に虚勢を張る必要があったことや,生来の虚栄心から,宝石類や貴金属類,ブランド品の服装や持ち物を身に付け,宇都宮の百貨店内の高級ブランドショップや本件犯行現場であるT店に頻繁に顔を出し,店員に対しブランド品を自慢して歩くような毎日を送り,手にした大金は,瞬く間に減っていった。

被告人が出入りしていた産業廃棄物処理業者は,被告人の土地取引についての無責任な助言により多大な損害を被っていたので,被告人に対するけん銃所持の容疑で産業廃棄物処理業者宅にも警察による捜索が行われたことを機に,平成11年6月ころ,被告人の出入りを禁止し,被告人はまたも収入の途が閉ざされることになった。被告人はその後仕事もないのに愛人との関係を続けていたことから,またしてもサラ金に手を出し,再び300万円以上の借金を負うこととなった。被告人は,前回のサラ金騒動の際に,離婚の危機に直面し,2度とサラ金に手を出さないよう言われていたことから,今回のサラ金への借金が発覚すれば離婚は免れず,家庭が崩壊することになると恐れた。

というわけです。もう少しまともな金の使い方をしろと思いますが、このような手合いにそのようなことを要求するのもむなしいものがあります。この人物は、死刑が確定、執行済みです。夕張の馬鹿でクズな夫婦と同じです。

何をいまさらですが、金というのは人間を幸福にするものですが、同時に不幸の発端のきわめつけのものですね。私がそんなに大金を手に入れることはないかもですが、宝くじが当たってかえってろくでもない目にあった人間もたくさんいます。ほんと、私たちはそのような状況にはなりたくないものです。

このような話はくりかえし読む価値がある(3月1日更新)

非合法な手段やなんらかの不備、宝くじめいたもので入手した金は、投機性の高い投資や無謀な出店・愚劣な浪費など、あまり有効活用されない(佐藤忠志氏の高級車購入も同じ)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スティーヴ・マックイーンの遺作『ハンター』の宮部昭夫の吹替版が放送される

2022-05-29 00:00:00 | 映画

すみません。本日も、本来なら旅行の記事を書く日なのですが、読者の皆様にも興味のある方もいるかと思いますので、別のテーマの記事を書きます。

すでに今月1回放送されていましたが、スティーヴ・マックイーンの遺作である『ハンター』の、宮部昭夫による吹替のヴァージョンが、「ザ・シネマ」で放送されます。6月2日の12時30分から14時30分の放送です。こちらが紹介ページです。

スティーヴ・マックイーンという人も、吹替黄金時代とでもいうべき80年代までの時代の代表的なスターでした。そして、彼の声は、もっぱら2人の人が担当しました。宮部昭夫内海賢二です。『拳銃無宿』がフジテレビで放送されたからかは定かでありませんが、フジテレビで放送されたマックイーンの映画は宮部氏が声を担当し、もっぱらテレビ朝日での映画は、内海氏が担当しました。それで、『ハンター』は、最初にフジテレビで(1982年11月6日)、次にテレビ朝日で1987年8月23日に放送され、現在発売されているDVDには、内海バージョンが収録されています。

ハンター

私はずいぶん昔、なんだったかで宮部氏のバージョンを聞いたことがあり、この作品に限ったわけではありませんが、「やはりマックイーンの声は、宮部昭夫氏に限る」と再確認したところがあります。すみません、内海氏に恨みはありません。ただマックイーンのイメージに合うのは、内海氏より宮部氏だと思うわけです。

マックイーンの吹替については、拙ブログで何回か書いています。

宮部昭夫と内海賢二、どちらがスティーヴ・マックイーンの声に合うか

宮部昭夫のスティーヴ・マックイーンの声はやはりいい(コメント欄を再開)

今日は、『タワーリング・インフェルノ』の最初の吹替ヴァージョン、『突破口!』での左右田一平のウォルター・マッソーの吹替をCSで鑑賞できる

いずれにせよ、宮部氏と内海氏、あるいは、『ゲッタウェイ』では、磯部勉のバージョンもあるし、『華麗なる賭け』は宮部バージョンのほか(これは、マックイーンが亡くなったために急遽収録された模様)75年にTBSで放送された城達也のバージョンもありますし、『栄光のル・マン』には、宮部、内海両氏のバージョン以外に、津嘉山正種が声を担当した84年のバージョンもあるくらいで、これはぜひ聞きたいのですが、果たして鑑賞が可能か。津嘉山氏というと、『タクシードライバー』でのロバート・デ・ニーロの吹替はなかなかのものでした。

いずれにせよ宮部氏の吹替がこれからも可能な限り発掘されればです。されたら、気づいたら記事にいたしますので乞うご期待。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『グッドフェローズ』や『フィールド・オブ・ドリームス』などで知られるレイ・リオッタが亡くなった

2022-05-28 00:00:00 | 映画

すみません。本日は、本来なら旅行関係の記事を発表する日なのですが、私にとって印象深い俳優が亡くなったので、その関係の記事を書きます。

俳優のレイ・リオッタが亡くなったとのことです。記事を。

>「グッドフェローズ」レイ・リオッタさん死去、67歳 映画ロケで睡眠中に息引き取る 
[2022年5月27日9時9分]

映画「グッドフェローズ」「フィールド・オブ・ドリームス」出演などで知られる米俳優レイ・リオッタさんが、ドミニカ共和国で死去した。67歳。欧米メディアが伝えた。睡眠中に息を引き取ったという。

現地報道などは広報担当者の話として、リオッタさんが映画「デンジャラス・ウオーターズ」のロケ中だったとしている。

リオッタさんは1954年、ニュージャージー生まれ。86年に「サムシング・ワイルド」で映画デビューした。ケビン・コスナー主演の89年「フィールド・オブ・ドリームス」ではMLB往年の実在選手“シューレス”ジョー・ジャクソン役。コスナー演じる主人公が作った球場に現れる幻の野球選手たちによるチームの中核メンバーを演じた。

マーティン・スコセッシ監督の90年の映画「グッドフェローズ」では主人公のギャング、ヘンリー・ヒル役を熱演。ロバート・デ・ニーロやジョー・ペシら大物と渡り合い、出世作となった。

アンソニー・ホプキンス主演の01年「ハンニバル」では、主人公の殺人鬼レクター博士を陥れようとしながら、最終的に犠牲者となってしまう司法省の役人、ポール・クレンドラー役。悪役やクセのあるキャラクターを演じきり、ハリウッドでも屈指の実力派俳優の地位を築いた。

本人も野球好きとして知られ、97年に来日した際は、当時ヤンキース入り直前だった伊良部秀輝投手の話題を口にする一幕もあった。

彼の訃報を最初に知った際、年齢からしてがんか何かかなと思ったのですが、睡眠中でしかも撮影中だったとのことですね。撮影前にメディカルチェックもあったかもですが、正確な死因はわかりませんが、やはり心臓発作などの突然死だったのでしょうか。本人も、周囲も、まさに撮影中での突然死ということになりますから、非常に無念の死だと思います。

それでやはり日本では、彼は、『フィールド・オブ・ドリームス』と『グッドフェローズ』に出ていた人というイメージが強いと思います。これは、本国の米国も同じなようで、NBCの彼の訃報記事には、

>Ray Liotta, 'Goodfellas' and 'Field of Dreams' star, dies at 67

とあります。

彼は、1954年生まれで、本格的な映画デビューは1986年でしたから、30歳を超えてからの映画界進出でした。それで、89年に『フィールド・・・』、90年に『グッドフェローズ』に出演して、世界的に知名度の高い俳優となりましたが、残念ながら彼は、この2作を超えるインパクトを残した映画出演はその後なかったかと思います。どちらも世界映画史に残るすごい映画ですが、そしてそこで主役、あるいは準主役を演じたのはほんとうにすごいことでしたが、やはり『グッドフェローズ』では、ロバート・デ・ニーロジョー・ペシの強烈な個性にやや負けていた感があります。ペシは、あれはまさに狂乱の演技でしたから、それにやや気圧されたのは仕方ないところがありますが、デ・ニーロの落ち着いた演技と比較しても、やはりリオッタの印象は薄いものがありました。これも、リオッタが悪いのではなく、デ・ニーロがすごすぎるのでこれまた仕方ないのですが、『ブラックソックス事件』に連座して野球界を永久追放された(そして今日まで名誉回復をされていない)ジョー・ジャクソンを演じた『フィールド・・・』も、当時人気絶頂だったケヴィン・コスナーが主演だったせいもあり、やや彼の姿は薄かったような気がします。なお意外な気もしますが、リオッタは1954年12月18日生まれ、コスナーは1955年1月18日生まれで、ちょうど1か月後に生まれています。やや若く見えるあたりも、リオッタが中年以降に役者をしていく上では、必ずしもプラスではなかったのかもしれません。

あるいはですが、彼の俳優人生も、2つの映画での栄光を追い求めるという側面はあったかと思います。それはかなわぬ夢であると彼も思っていたのでしょうが、おそらく俳優を続けている限り、それを求めないではいられなかったのでしょう。レイ・リオッタさんのご冥福を祈ってこの記事を終えます。ラストの写真は、昨年12月4日の彼です。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オードリー・ヘプバーンは、虫垂がんというめずらしいがんで亡くなった

2022-05-18 00:00:00 | 映画

オードリー・ヘプバーンの生涯について取り扱った映画『オードリー・ヘプバーン』が公開されています。

個人的には、私はヘプバーンならキャサリンのほうが好きな人間なので、あまりオードリーには興味がないのですが、それはこの際どうでもいい話です。本日は、彼女の命を奪った病気について書いてみます。

オードリー・ヘプバーンは、1993年1月20日に、スイスの自宅で亡くなりました。彼女の死因が虫垂がんです。

Wikipediaによると、日本人の虫垂がんの発症率は年間 0.12人/100万人 程度とのことで、ということは、日本の人口が12600万人とすれば、年間15人くらいの発症なんですかね。かなりまれな疾患ということになりそうです。

ほかにもWikipediaから引用すると(注釈の番号は削除)、

>虫垂癌は自覚症状が少なく大腸内視鏡検査での発見率は30%程度との報告 がある様に手術前確定診断が難しいため別の疾患の検査や手術に伴い発見されることも多い。

>発見されているときにはすでに腹膜リンパ節に転移していることが多い ことから、外科手術により虫垂および転移箇所を除去した上で化学療法を行う。しかし、他のガンとは異なり虫垂癌固有の標準術式は確立されていない

というわけで、発見困難、発見されたときは手遅れの場合が多い、治療法も確立していないというわけで、非常に怖い病気です。では、実際にこの病気にかかった人たちの経緯を見てみましょう。

前出のオードリーはというと、Wikipediaの死去というところを私の責任で要約すると、1992年9月末に腹痛を起こし、10月に精密検査のためにロサンゼルスへ向かいます。末にがんが判明、11月1日に手術をしました。一時退院して化学療法を受けますが、腸閉そくになり12月1日に再入院、同日に再手術をしたものの手の施しようのない状態でした。人生の最後を自宅で過ごさせるため、生きるか死ぬかの危険なフライトで(体調が悪すぎて、気圧の変化で腸閉そくを起こしかねない状態でした)、なんとかスイスへ到着します。これが12月20日の出発でした。その後は自宅で最後の時間を過ごし、1月17日に自宅で最後の散歩、20日に亡くなっています。つまり彼女は、9月末から4か月くらいしか生きられなかったわけです。

日本人女子として、傑出した砲丸投げ選手だった森千夏はといいますと、彼女は26年間の短い生涯で、9回も日本記録を更新しているすごいアスリートでしたが、アテネ五輪代表に内定した2004年春過ぎから体調を崩し、アテネ五輪ではベスト記録(18m22㎝)に遠く及ばない15m86㎝で予選落ち、その後入院となりますが、病名が確定せず、入退院を繰り返します。ようやく2005年7月に虫垂がんであることがわかり療養をしますが、彼女が希望した治療法が保険適用外のものであり、彼女への募金も行われたとか。パニック障害を起こすなど、精神的なダメージも重大でした。そして2006年8月9日に26歳で亡くなっています。彼女も、自覚症状が現れてから、2年強くらいしか生きられませんでした。

2000年代に活躍したグラビアアイドルの村上恵梨は、2006年11月ごろから腹痛を感じ、翌年1月に病院を受診、原因不明でしたが虫垂がんであることが判明、直ちに摘出手術をうけたもののすでに転移が広がっており、同じ年の7月に亡くなっています。なお上の森、村上のお2人の闘病経緯も、Wikipediaの記述を私の責任で要約したことをお断りしておきます。

以上3人の方の闘病経緯を記しましたが、森以外は、自覚症状を訴えてから1年も満たずに亡くなっています。森は、2年数か月というところか。かつてこんな記事を書いたことがあります。

すい臓がんというのは危険な病だとあらためて思った

その記事でもご紹介しましたように、すい臓がんは、

>早期発見が非常に困難な上に進行が早く、極めて予後は悪い

とされ、

>膵癌の予後は非常に悪い。5年生存率は部位別がんのなかで最下位(5%)であり、治療がきわめて困難な癌の一つである。

というわけで、非常によろしくない病気です。虫垂がんは、こちらの論文でのデータによると、

>術後観察期間中央値は43カ月(2~169カ月),転帰は無再発生存5例,無再発他病死3例,腹膜播種による原癌死3例,肝転移による原病死が1例,切除断端再発よる原病死が1例であった.累積5年生存率は51.9%であった.

とあります。運が良ければ助かるのですかね。しかし、オードリー、森、村上の3人の状況では、なかなか治癒は難しかったのではないかという気がします。

すい臓がんの場合、糖尿病などの罹患者や肥満体の人などがなりやすいようですが、虫垂がんはまれながんなので、そのあたりはどうか。大腸がん全体では、Wikipediaによれば危険因子として、過体重・肥満、赤肉、加工肉(ベーコン、ハム、ソーセージ)の摂取、飲酒、喫煙などがあげられています。私はというと、飲酒はあまりせず、喫煙はしませんが、過体重・肥満だし、赤肉や加工肉は大好きです。私もそれなりのリスクファクターの持ち主です。ただ肉では、鶏肉が一番好きかな。

でも虫垂がんなんて、多分なるならないは運でしかないですからね。たぶん記事であげたお三方は、運が悪いから虫垂がんになったはずで、気を付けていればならなかったというものでもないでしょう。オードリーの62歳という年齢だってとても早い死ですが、森千夏と村上恵梨なんて二十代の死ですからとても気の毒です。

3人の方々を追悼して、この記事を終えます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウルトラシリーズなどのテレビドラマの演出で有名な山際永三監督のトークショーに顔を出してきた(映画のフィルム発見の経緯、商業化の過程も興味深い)

2022-05-06 00:00:00 | 映画

5月1日、都内の邦画専門の名画座であるラピュタ阿佐ヶ谷で、国際放映のドラマやウルトラシリーズの演出でも知られる映画やテレビドラマの監督である山際永三氏のトークショーがあったので、ちょっと顔を出してみました。

この映画館は、会員になると900円で入場でき、また10回目が無料というわけで、私のように昔の日本映画を観るのが大好きな人間(に最近なりました。この映画館のおかげです)には、大変ありがたいところです。ここで、はじめの第一歩 -映画監督50人の劇場デビュー作集という特集が行われており、山際監督が1962年に発表したデビュー作にして現在最終の劇映画監督作品である『狂熱の果て』の上映があり、上映後に山際監督と、新東宝映画に詳しい映画研究家の下村健氏によるトークショーがあったわけです。

それで、これは私も顔を出さないわけにはいかないなと思い、映画の上映後のトークショーを聞くことができました。

映画館ロビーでの山際監督です。

トークショーの写真です。写真撮影不可とは言われませんでした。

話は、(当然ながら)この映画の関係で、ウルトラシリーズの話などはありませんでしたが、私が興味を感じたのが、この映画のプリント自体、長きにわたって所在が不明だったとのことです。

プロデューサー氏が借金を抱えていて、この映画のフィルムもどうもそのかたにとられていたらしい。この映画の換価価値がどれくらいなのか定かでありませんが、当時は、現像所がフィルムを抑えるということもあったというのです。つまり現像代の踏み倒し(苦笑)もあったとか。だからその担保の意味合いがあったといいます。そんなん現像前に保証金でも収めてくれればいいじゃんと思いますが、そういうこともできなかったということなんですかね。そのあたりわかりませんが、ともかく映画の世界なんてのは、1960年前後ですら、そんなでたらめな側面があったということでしょう。

プロデューサー氏もお亡くなりになり(Wikipediaによると、生没年不明とのこと)、山際監督もフィルムの所在を探しましたが、東洋現像所(現・IMAGICA Lab.)などありそうなところに問い合わせてもないので、あきらめていたとのことですが、廃業(だか業務中止だか)する某現像所が、フィルムセンター(現・国立フィルムアーカイブ)へ、会社に預けられてそのままになっていた様々なフィルム(寄贈でなくて、「預ける」という形式だったといいます。フィルムセンターは、そういう形式では扱っていないというのですが、でもその現像所の所有物ではないから、寄贈にはならないわけです)を引き渡し、チェックしていたら、この映画があったというのです。山際監督に、その報告がありました。

ところが、まずネガから上映用のポジにプリントするのも、予算の関係でなかなか実現しない。ようやく実現しても、この映画の著作権者と連絡がつかないのです。プロデューサー氏はすでに故人、この映画は、新東宝が活動停止をしたあとほんのわずかな期間しか活動しなかった「大宝」という会社の製作・配給でした。

大宝株式会社(たいほう)は、かつて存在した日本の映画配給会社である。1961年(昭和36年)8月31日の新東宝株式会社の倒産後、同年9月1日に配給部門を分社化して設立したが、わずか4か月後の翌年1962年(昭和37年)1月10日には業務停止となった。

とWikipediaにはあります。

新東宝という会社の作品の権利自体は、国際放映株式会社が持っているのですが、国際放映は、この映画の権利を持っていないとしています。つまりこの映画の著作権者は、不在あるいは不明のわけです。本来監督の山際氏は著作権者たりえませんが、特例(?)で著作権者であることを認めてもらい、この映画のプリントや商業化もできたわけです。パチパチ、めでたしめでたしです。映画業界でも、山際監督ができたのだから、自分もできるのではないかという声も出たそうです。個人的には、著作権者が不明な場合は、著作権料を供託するような形にして商業化などを可能とすることをよりスムーズにできるようなシステムを構築できればです。ソフトの二次使用ということも今後どんどん盛んになるはず。所在不明の俳優・スタッフらへの対価というものも、これからますます必要になっていくでしょう。

いずれにせよ監督が著作権者でないから、前に書いた大金持ちのプロデューサーの製作した映画がそのご意思で一向に上映されないという事態にもなるわけです。大金持ち氏が亡くなったらどうなるかですが、ともかく現状その映画を観るチャンスはなかなかない。こういったこともなかなか打開の方法がない。困ったものです。

それはともかくこの映画は、現在DVD発売もされているし、Amazon Primeで鑑賞することも可能なのです。

狂熱の果て

ほかにも、夜のシーン(いわゆる「アメリカの夜」の形式で昼に撮影したもの)が、うまくプリントできていなかったのであらためて自費で山際監督が該当の部分をプリントしなおしたとか、おもしろいはなしがいろいろありました。山際監督ご自身は、上にも書いたようにこの映画が最初で最後の劇映画の監督作品となり、国際放映の作品や、ウルトラシリーズの監督をしました。第2期ウルトラシリーズの最終作である『ウルトラマンレオ』の最終第51話の「恐怖の円盤生物シリーズ!さようならレオ!太陽への出発」は、山際監督の演出です。これは、ウルトラシリーズも終わりなので、『レオ』ではそれまで担当していなかった山際監督があえて起用されたとのこと。山際監督は、『レオ』で、この51話とその前話の第50話を担当しています。ウルトラシリーズに限りませんが、監督は原則2話カップリングで担当するシステムでした。

山際監督は、ほかにもデジタル撮影の時代、映画の編集者が映画監督以上に力を持つシステムとなってしまっていて、監督たるものこれでいいのかという気概を持たねばという趣旨のことも語っておられました。質問タイムはなかったので、それはできませんでしたが、やはりこういうイベントは、可能なら足を運ぶに限ります。山際永三監督のますますのご健勝を祈念してこの記事を終えます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山本圭が亡くなった

2022-04-28 00:00:00 | 映画

記事にするのが遅くなってしまいましたが、俳優の山本圭氏がお亡くなりになりました。記事を。

>俳優の山本圭さんが肺炎のため死去 81歳 ドラマ「若者たち」「ひとつ屋根の下」などで活躍
[ 2022年4月25日 18:47 ]

 ドラマ「若者たち」やシェークスピア劇などで活躍した俳優の山本圭(やまもと・けい)さんが3月31日午前9時20分、肺炎のため死去した。81歳。大阪府出身。所属事務所が25日に発表した。
 所属事務所によると、通夜・告別式は、遺族の意向で近親者だけで執り行った。喪主は長女慧美(えみ)さん。

 建築家だった勝巳氏の次男として生まれ、兄の學、弟の亘も俳優として活躍した。

 1959年に俳優座養成所に入所。叔父の薩夫監督がメガホンをとった1962年の映画「乳房を抱く娘たち」で銀幕デビューした。

 両親を亡くした兄弟の生きざまを描いた66年の青春ドラマ「若者たち」では三男の佐藤三郎役を好演。知名度をあげ、映画版では毎日映画コンクール助演男優賞を受賞。銀幕やテレビ、舞台など幅広く活動の場を広げた。

 舞台俳優としては「ハムレット」「リア王」などのシェークスピア劇に出演。93年のフジテレビ月9ドラマ「ひとつ屋根の下」では江口洋介、福山雅治、酒井法子らが演じた「柏木兄弟」を支える「ゆきおじさん(広瀬幸夫)」を演じた。NHK大河「天地人」のほか、「白線流し」「リング~最終章~」「SP」シリーズなどのドラマで脇役として存在感を示した。

 私生活では囲碁棋士だった小川誠子さん(2019年に死去)と1977年に結婚。誠子さんから囲碁の指導を受けたのが出会いだった。

山本氏の死も、発表がずいぶん遅かったですね。昨今の訃報は、そのような傾向が強くなっていると思います。

さてさて、山本氏というと、上の記事では、映画については、『若者たち』の紹介が主ですが、世間的には、1970年代前半に出演した『戦争と人間』『小林多喜二』『新幹線大爆破』といった、権力に虐げられる左翼の役というのに、ものすごくはまった俳優という印象が強いかもです。まあ昨今は、さすがに『SP 警視庁警備部警護課第四係』で首相を演じるなど、権力者の役も多かったかと思いますが。

それでたまたま、私のこのブログを執筆しているPCに、『新幹線大爆破』のDVDが入っていますので、そちらから写真をご紹介。DVDのキャプチャー画面です。

ファーストシーン、夕張で、山本氏演じる古賀勝が貨物列車に爆弾を仕掛けるシーンです。実際には、熊谷の秩父鉄道の車両基地でロケが行われました。

電話で報告をするシーン。実際には山本氏は夕張には行っていないと考えられるので、後ろの「夕張」という看板は偽装です。

計画を知ったゴロツキ(郷鍈治)と対応する山本氏です。別に説明する必要はありませんが、奥にいるのは高倉健さん。隣に、織田あきらの姿もあります。

千歳空港までタクシーできた山本氏です。このあとカメラがパンして空港を映すので、空港でのロケはしたようです。

羽田空港で北大路欣也の刑事のチェックをかわす山本氏です。

こんな風にして山本氏の出演シーンをすべてチェックしていてもきりがないので、以下さわりのみ。

警察に追っかけまわされる山本氏です。

負傷してアジトで寝転がるあたりは、まさに山本圭の真骨頂の演技かも。

覚悟の自爆をする山本氏です。

以下余談。この映画には、特別出演で田中邦衛が出演しています。

山本氏の兄の役で、これは『若者たち』を意識しています。

ところで『新幹線大爆破』に出演したのは、山本氏の役者人生においても、非常に貴重なものだったでしょうが、もともとこの役は、原田芳雄氏にオファーがあったのですが、原田氏が役を気に入らず断り、山本氏に回ってきました。原田氏は断ったのを後悔したそうですが、それが同じ佐藤純彌監督、高倉健主演の『君よ憤怒の河を渉れ』の出演につながりました。なお、原田氏は、イメージとは違いますが、大変な鉄道好きだったとのこと。

それにしても原田氏が演じたら、どういう古賀勝になりましたかね。たぶん山本氏ほどは左翼っぽくなかったでしょう。おそらく相当雰囲気の異なった映画になったかもです。ほかにも、菅原文太高橋英樹宇津井健の主人公だったらどうなのかなと思います。でもやっぱり、高倉の犯人役、宇津井氏の倉持は、外せないかな。この映画については、拙ブログでいくつか記事を書いていますので、興味のある方はお読みになってください。

「新幹線大爆破」についての面白いエピソード

これは簡単すぎるよね(小林稔侍)

千葉真一が亡くなって、『新幹線大爆破』のメインキャスト3名が故人となった

山本圭氏のご冥福を祈ってこの記事を終えます。なお下の記事で、山本氏主演の『小林多喜二』について取り上げていますので、興味のある方はご参照ください。また、山本氏の貴重なインタビュー記事もリンクします。写真は、2018年の山本氏です。

今井正監督の『小林多喜二』がソフト化されたことを知り、さっそく購入した

山本圭インタビュー01

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする