拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

右と左、どっちが怖い?(ある高校の応援団の想い出)

2024-07-11 21:40:53 | 日記

NHKの7時のニュースの晴山さんの顔色がよくなった。数年前、電力不足かなんかでNHKがスタジオのライトを絞ったとき明らかに顔色が曇ったのだが(ライトの威力は大きい)、このところライトが元に戻ったのだろう。顔色がよくなり、美しさがいっそう映えるようになった。まっこと、お天気キャスターにぴったりの名字であらせられる。この晴山さんは、今後、どういう方面に行かれるのだろうか?

と言うのも、晴山さんの大先輩であるN某さんは(20年前にお天気キャスターを務められ、絶大な人気を誇り、紅白にお出になられた)、お天気キャスターの後、女優になり、更に右派の論客となって今に至った例があるからである。

この「左右」について、最近、へーと思ったことがある。私の出身高校がどっかのテレビで取り上げられたのだが、そこにOBの「なんとか先生」が登場し、さかんに「○○生はこうなんです」(○○生=その高校の在学生及び卒業生)と決めつけて言うのだが、私は、その「こうなんです」にことごとく合致しておらず、まるで、もぐりのような肩身の狭さを味わったのだが、その「なんとか先生」がびっくりすることを仰った。それは、「(当該先生の在学中)先生にも生徒にも左翼がいた」ということである。え?そうだったの?「なんとか先生」は私の二個上だが、私の在学中は、まったくそんな感じはしなかった。私が知らなかっただけだろうか。

思えば、当時は学生運動が下火になった時期。右翼の学生運動って聞いたことがないから、学生運動は左派の専売特許であった。そして、学生運動は、大学がメイン舞台だったが、その後高校にも飛び火した、って話を聞いたっけ。「なんとか先生」は、その時代の最後に在学されていたのかもしれない。

私の頃は、左翼はいなかったが(気付かなかったが)、過激な応援団はあった。それは入学式の時であった。式の途中で、いきなり応援団に属する上級生数人が壇上に駆け上り、そこにいた先生をわきに追いやってアジ演説を始めた。途中何度も「○○生なら返事をしろー」と怒鳴って聴衆の相槌を強要した。そして、新入生は放課後に応援団主導で校歌及び応援歌の練習をするべしと勝手に決めつけて実行した。先生方は見て見ぬ振りだった。しかも、指導する応援団員が音痴で、メロディーがよく分からなかったので、多分、こうなんだろうな、と思いながら歌ったものである。

今から考えると、パワハラ以外の何物でもない。かりに、あれがいやで退学した生徒がいて、その生徒が高校を訴えたなら、今なら高校(県立高校だからイコール県)が敗訴するのは明らかである。だが、なにせ半世紀前のこと。どうなっていたかは見当がつかない。

さあ、そこで、さきほどの「左右」の話である。当時、あの応援団が右か左かなんてことは思いもよらなかった。以下は、今思えば、という話である。「校歌を歌え」は「国歌を歌え」と似てるから右っぽい。だが、「なんとか先生」の話を聞いて、ふと思った。もしかして、応援団の強権ぶりはその数年前まで高校にも飛び火していた学生運動の残り火だったのではないか?つまり左だったのではないか。

そもそも、右と左のどっちが怖いか、と言って、早急にどっちだとは言えない。各人の体験(怖い思いをした体験)によって違ってくるだろう。右派の街宣車に拡声器で怒られたことがあれば怖いのは右だし、左派の集団に囲まれてコールを受けたら怖いのは左である。そういう怖さは、選挙においても現れるものである。

わが母校の応援団は、そんな具合だったから、当初、私の印象は最悪だった。これに対する新入生の態度は二分。反感を持つ者がいる一方で、そんな応援団に入団して「偉ぶる側」に回ろうとする者。私はもちろん前者である(世の中で一番嫌いのモノ=上から目線)。だが、校歌と応援団の「指導」について私のクラスの担当だった応援団員がえらくソフトな人で「応援団に反感を持たないでね」と言っていて、ちょっと印象が変わった。それどころか、後に、吹奏楽部と応援団でタッグを組んで野球部の応援をしたときなどは、まあ、メンバーの主流が私と同学年になっていたこともあるが、随分仲良くやったものである。思えば、あの入学式の怒号が「過激な応援団」「学生運動を引きずった応援団」の断末魔だったのかもしれない(当ブログも、初稿が一番過激で、第2稿、第3稿と直していくうちにかなりマイルドになる)。

聞いた話では、最近は母校も学校の側の力が強くなり、学力アップを最優先にする学校に成り下がった聞く。そんな環境ではかつのような応援団は存在しえないだろう。それもまた面白い話ではない。

因んだ話その1。現在、世界的には政界における右派の躍進が甚だしい。いっとき、左派が強くなった反動だろうか。だが、フランスでは、右派政権誕生か!ってところまで行ったが決選投票の末、右派は失速したらしい。

その2。わが国のかつての官制においては、左大臣は右大臣の上である(今放送している大河ドラマで、道長が貴族のトップに立ったときは右大臣だったけど、その後左大臣になったんだっけ?)。この官制は明治の初め頃まであったということは、大久保利通公が暗殺された跡地(清水谷公園)に建つ公の碑に掘られた「右大臣」で知ることができる。


第九のレコードをひっくり返してないことが気になりました(ドクターG)

2024-07-11 10:21:10 | 音楽

NHKの「ドクターG」が復活した。先生役のベテラン医師が実際にあった症例を持ってきて、研修医に病名を当てさせる番組。今回の症例は「だるくて動けない」。正解は脚気心。患者さんは、3か月前まで息子家族と同居してたのだが息子の転勤で一人暮らしになった。それまでの食卓は豪華だったが、現在は、
朝=菓子パンとコーヒー
昼=素麺
夜=漬物と筑前煮(息子の奥さんが持ってきてくれる)とビールを少々とご飯をお椀に半分ほど
この食事が災いして、特に豚肉などに多く含まれるビタミンB1が不足し、ああなってこうなって脚気心(心不全の一種)になったそうだ。

因みに、私も一人暮らし。その食事の平均的なパターンは、
朝=ラーメン(具=ナス、キャベツ、キクラゲ、もやし、豚肉)
昼=ご飯、味噌汁(具=ワカメ)、玉子
夜=生野菜、野菜と豚肉の炒め物、パスタ、お酒(たくさん)
ご覧の通り、豚肉=ビタミンB1は十二分に摂っている。だから、件の患者さんのように心配して食事を持ってきてくれる「息子の奥さん」は不要である。そもそも、配偶者や子はもちろん愛人、知人、痴人、友人の類いは一人もいない。

件の患者さんは、幸いにして、ビタミンB1の投与により症状はすぐに良くなったそうだ。この患者さんへの食事に関するアドバイスは、例えば菓子パンをライ麦パンに代えるとか。すると、今朝のあさイチで、つくばのドイツパン屋さんを紹介していて、美味しそうなライ麦パンが映っていた。話はつながるモノである。だから、私は今日の昼はライ麦パンにするつもりである。ドイツ風にチーズやハムをはさめばビタミンB1もしっかり摂れる。

「ドクターG」に戻る。先生役の先生が研修医さんたちに、しきりに「他に気になったことはないですか?」と聞いていた。横野君はこんなことが気になったらしい。以下、横野君がその場にいたと仮定しての架空シーンである。
先生:他に気になったことはないですか?
横野:はい!
先生:はい、横野さん、どうぞ。
横野:再現VTRで、患者さんは第九のレコードをかけて第1楽章が始まった途端に苦しくなって動けなくなりました。その後、息子の奥さんが来たときは第4楽章が終わる頃でした。第九のレコードを全曲通して聴くには、少なくとも一回はA面からB面にひっくり返さなければならないのに(晩年のカール・ベームのような遅い演奏の場合は二枚組だからひっくり返す回数はもっと増える)、それをした形跡はありません。患者さんは動けなかったのですから。これがとても気になりました。
アダム・スミス:そこに「見えざる手」が働いたのです。