拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ピアノの受難日(パリ五輪開会式その2)

2024-07-27 19:52:36 | 音楽

だからパリは古い建物が多いのか。こないだテレビで日本人が住むパリの屋根裏部屋を紹介していたが、そこからエッフェル塔(だったか凱旋門だったか)が見えるというからパリの真ん真ん中。それでいて部屋の中を移動するにも身体をくねらせなければならないくらい狭く、水道の圧も低いっていうんだから相当に建物は古い。パリの真ん真ん中にそんな古い建物がたくさん残っているわけである。因みに、家賃は10万円前後!高いって気もするがパリの真ん真ん中だからなー。それから「ボエーム」ってオペラのヒロインのミミの部屋がパリの屋根裏部屋っていうからこんな感じの部屋なのだろう。ミミは「(雪解けの季節の)最初の太陽は私のもの」と歌う。最上階だから太陽に一番近いという理屈である。

パリ五輪の開会式の話の続き。セーヌ川をつたっての選手の行進は断続的で、合間に、いろいろなアトラクションが行われた。ダンスやファッションのほか、音楽もいくつか奏でられたが、そこではピアノの受難が目を引いた。

例えば、アレクサンドル・カントロフが弾いたピアノは雨でびしょ濡れだった。

だが、濡れただけならまだマシであった。その後、イマジンの伴奏で弾かれたピアノは炎に包まれた。つまり、燃やされたのである。まるで公開火あぶりの刑。悪趣味である。楽器は大事に扱いましょうと教えてる大人は子どもにどう説明したらよい?イマジンは、これからオリンピックの開会式でずっと歌い継がれるそうだが、まさか、そのたびにピアノを燃やすんじゃないだろうね。

もっとも、今回に限らず、ピアノを壊したり燃やしたりするアーティストは世界中にいるそうである。ピアノが燃えたらまた買えばいいというような裕福な家に育った人間ならこれを芸術として評価できる心のゆとりがあるのかもしれない。だが、戦後10数年しか経ってない頃に生を受けた、要するに日本全体が貧乏な頃に貧乏に育った私などは「もったいない」が優先してとてもこれを芸術として評価する精神的余裕はない。

因みに、イマジンは「国のない世界を想像したまえ」と歌う。いいねぇ。オリンピックも選手が国を背負うのではなく、各個の実力を披露し合う大会になればいいと思う。だが、それでは「国の補助」が出なくなるか……

開会式のラストにエッフェル塔で歌ったセリーヌ・デュオンの歌は圧巻だったが、やはり伴奏のピアノに目が行った。止まない雨によってびしょ濡れだったが燃やされなくてなによりである。

気を取り直そう。冒頭にシャンソンを歌ったのはレディー・ガガだった。ガガさんはイタリア系のアメリカ人でフランスとの接点はなさそうだが、今大会は国とか人種は関係ないんだね。懐の深いフランスである。ガガさんのパフォーマンスは素晴らしかったが、タトゥーが見えたから、日本の銭湯には入れないし、橋下市長時代の大阪市の職員にもなれない(大阪市が今はどうなってるのかは知らない)。それとも、日本の銭湯も懐の深いところを見せてガガの入湯を認める?そしたら、ガガだけ認めるのは不平等って言う人が現れそう。銭湯さんにとっては頭の痛い問題である(取り越し苦労)。

フランス国歌を歌ったオペラ歌手のアクセル・サン・シレルは超美声だった。

そろそろオリンピックにカウンター・テナーが出てきてもいい頃だ、ジャルスキーあたりが出てくる?と思ったら、若手のヤクブ・ヨゼフ・オブリンスキーが出てきた。この人は、世界で唯一のカウンター・テナー兼ブレイキングダンサーなのだそうだ。だったら、横野君も、中学のとき短距離をやってたって言うから、世界で唯一のおかま歌手兼シニア陸上の短距離ランナーになりなさいよ。あちこちほっつき歩いてるんだからトレーニングは苦じゃないでしょ?え?歩くのと走るのとでは使う筋肉が違う、こないだ皇居を走って一周しようと思ったら走り出し早々に足が痛くなってなんども止まった?じゃあ、これから訓練なさい。90代の部を目標にすればあと25年ある。筋肉を鍛えるには十分な時間でしょ!


エッフェル塔の周りに高い建物がない件(パリ五輪の開会式その1)

2024-07-27 14:39:42 | 日記

パリ五輪の開会式の録画を見てて、まず思ったのは、エッフェル塔の周りに高い建物がないこと。だから、エッフェル塔から町中に放たれる光線は何かに妨げられることなく果ての果てまで届く勢い。

これが東京タワーだとそうはいかない。周りは東京タワーより高い建物ばかりである。だから、逆に浜松町あたりを走る山手線の車窓から東京タワー方面を見ても、タワーが見えるのは一瞬だけである。東京タワーが立てられた当時(私は東京タワーと同い年である)はそうではなかった。なんにもなかった所に忽然と東京タワーが立ったから、かなり遠くからでも東京タワーが見えたそうである(映画「Always 三丁目の夕陽」のラストがそんな時代を彷彿とさせる)。

東京はどこもかしこもそうである。例えば、ゴジラは、生まれた頃(東京タワーができるのよりちょっと前)は体長が50メートルだったがどの建物よりも頭抜けていた。だから「上から」建物を破壊した。だが、そのうち、周りがどんどん高くなっていったもんだから、体長も伸びて(?)100メートルになった。それでも、高層ビルよりもずっと低いから、ビルを壊すのは「横から」であり、ときどき倒れてきたビルの下敷きになったりもした。

東京とパリのこの違いはなんだろう。パリは高層ビルを建てないとの規制があって東京にはそれがない、ということだろうか。もしそうなら、その違いを生んだのは景観と経済性のどちらを優先するかといった価値観の違いだろうか。

今回の大会は、選手の行進がセーヌ川に浮かぶ船で行われたことが大変特徴的である。いつもだと、選手の歩きの国別の違いを見るのが私の娯楽であった。例えば、一昔前の日本の選手団は一糸乱れずに「右っ、左っ」って感じで歩いていて、全体主義的だなぁ、日本人は自由を自ら勝ち取ったものではないことがこんなところに現れるんだなぁ、などと勝手にガッテンし、それぞれがてんこしゃんこに歩くラテン系の国の選手が眩しく見えたものである。因みに、横野君の話では、日本人の「全体主義」は合唱団のステージへの入場にも現れていて、楽譜を持つ手は左って決められていて、横野君などはそんなのはどうでもいい派だから逆に持ってたりすると先輩から「左っ、左っ」と怒られるそうである。やっぱりね、とガテンがいった私だが、最近では「同じカタチ」というのも一種の様式美であり、それも演奏会のパフォーマンスの一つかもしれない、と思っている。そう言うと横野君は嫌な顔をするけれども。

セーヌ川に浮かんで選手を運ぶ船は、大小もカタチもまちまち。中には、隅田川に浮かぶ屋形船のようなものもあった。あるいは、地元フランスの大選手団を乗せた船などはタンカーと見まごうほどの巨大さだった。

因みに、「笑点」の小遊三師匠は、よく大月とパリと一緒にする。すると、セーヌ川は桂川である。猿橋が架かる辺りも桂川である。この桂川は、下っていって神奈川県に入ると相模川となり、大河となって相模湾に注ぐこととなる。