拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

暗譜

2024-08-05 10:27:03 | 音楽

横野好夫です。昨日の謡いまくる会(仮名)で、みんなで謡ったのは、じゃなくて歌ったのはBWV135。ソロ・コーナーで歌ったのは、シュッツの「Kleine Geistliche Konzerte」から「Wohl dem」(ソプラノとアルトの二重唱)、それと「美しい水車屋の娘」の終曲「小川の子守歌」。「小川の子守歌」は試しにうーんとゆっくり歌ってみた。歌詞が5番まであって、5番の歌詞が「Gute Nacht」(お休みなさい)で一層ゆっくり歌いたいところなんだけど、既にうーんとゆっくりだからそれ以上ゆっくりにすると止まってしまう。やっぱ、もちっと速く始めた方がよかった。その5番の歌詞は「お休みなさい」の次に「Bis alles wacht」(全ての者が目を覚ますまで)が続くんだけど、「全ての者が目を覚ます」って最後の審判のことだろうか。ロマン派の歌詞には神様関係はあまり出てこないから、あれ?と思った。

メンバーの多くがぼちぼち3か月後のリート会の準備に入っていて、候補曲を試しに歌ったりしている。その中で、M美女は相変わらず暗譜。それを聞かせてもらってるうちに私の脳内に「暗譜=良い」という方程式ができあがって、是非真似をしたいと思って、例えば上記の二曲なんかも、拝島さんの奥地の家の長ーーーーい行き帰りの電車の中で、頭の中で暗唱して、一応は脳内にインプットしたんだけど、問題はアウトプット。頭の中にあるものが出したいときに常に出てくるとは限らない(これは歌詞に限った話ではない)。だから、昨夜も楽譜を広げざるを得なかった。ピアノ伴奏の某子さんにプロンプターになってもらってつかえそうになったら囁いてもらおうかとも思ったが、オペラにはプロンプターがつきものでも、リートにプロンプターなんて聞いたことがないからこの案はボツ。すなわち、リートの暗譜は100%でなければならないのである。はたして、私にできるだろうか。

因みに、オペラ歌手は、あっ、やばいと思ったら、助けて!という顔をプロンプターに向ける。するとプロンプターは、聴衆には届かず歌手だけに聞こえる音量で歌詞を囁いてくれる……のだが、昔のテレビのオペラ中継では、マイクがプロンプターの近くにあったのだろう、普通にプロンプターの声が入っていた。それが普通だったから気にならなかったが、こないだ、若い人が「プロンプターの声が聞こえた。興ざめだった」と言っていた。今では、プロンプターの声が聞こえるのは普通のことではないらしい。

そう言えば、俳優さんの誰かが言ってたのだが、オペラではなくて芝居かなんかで、台詞を忘れた相方が「なんだっけーなんだっけーなんだっけー」と唸ったそうだ。その唸り方が念仏のようだったから観客にはバレなかったが、俳優さんには分かったから助けてあげたそうである。

話を戻す。暗譜ができるかどうかは分からないが、暗譜を目指すということは、相当たくさん練習する、ということである。「Selig sind die Toten」(死者は幸いである)という歌詞があるが、かつての私は「Unselig sind die 初見歌い」(初見で歌う人は不幸である)の「不幸な人」であった。理由は簡単である。初見歌いは上手ではないからである。「兎と亀」の兎である、と言えば多くを語らずとも万人が理解するところであろう。「初見歌いの醍醐味」などとほざいていたかつての自分に大喝である(「かつて」と「大喝」では韻を踏んだことにはなってないなぁ)。それでも、いくつになっても、改めるに憚ることなかれ、これは私の好きな言葉である。そして、練習を真面目にするようなった私はseligである。因みに、ドイツには「Selig」という名字がある。幸せなお名前である。



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