アウトドアな日常

インドアからアウトドアへのススメ

小さな記事に見る大きな選択

2009年12月30日 | 雑想
8年前のナショジオ誌を読んでいたら、ロンドンのタクシー運転手の脳は大きくなるという小さな記事がありました。
ナビゲーション能力にかかわる脳の海馬の部分が、大きくなるらしいという話です。
脳科学というのは、日々進歩しているから新たな解釈がなられているかもしれませんが、こうした小さな記事をサラッと読むのが好きです。

自分なりの解釈で大きくできるというのがその理由ですが、小さな生活も小さな幸せも大好きですよ。

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お互い様

2009年12月27日 | 雑想
だいぶ前の話になるけど、オートバイに乗っている時に、信号で停車していた時に後ろの車にクラクションを鳴らされたことがありました。

鳴らされた理由が分からず、僕はミラーで後ろの車を確認したところ、運転手がクネクネとその視線に耐えきれずに悶えていました。
クラクションは、過って鳴らしてしまったのだろうけど、その運転手の行動にはより以上に僕も不快な気分になりました。

自分は被害者だと思っていても、それ以上に加害者になっている場合があります。
近年、この手の出来事は多くなっていますが、そこには他者という存在が介在していないのが原因ではないか睨んでいます。

その他者というのは、「お互い様」という存在で、ひと昔前まではよく使われていた言葉だと思います。
お互い様という言葉で、自分も他人も意識して、それが自分自身を見つめる結果になったと解釈します。

なぜそうしたものが無くなってしまったんか?
僕は気分(雰囲気)だと思っていますが、今までは「昔話」「妖怪」「伝承」「地蔵」「道祖神」などなどが、その役割を担って、気分というものを演出してきたのだと思います。

ではどうしたらいいのか?
正直分かりません。
でも、方法はいくらでも見つかると思っています。

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十円玉の遍歴

2009年12月26日 | 読書日記 その7
「風に吹かれて」  五木寛之著 KKベストセラーズ

「ウイスキーのシングルは三十円である。十円硬貨三枚を、手のなかに汗ばむほど握りしめて、私は西武線下落合から中野まで歩いてやってくるのだった。」(本文より)

40年ほど前に書かれたエッセイ集です。

その当時の酒場は、精神安定剤の役割をしていたのかもしれない。
テンダー(世話をする人)は、人間を熟知し、この人と接するだけで、積もった澱が吹き飛んでしまうような感覚をも味わったのかもしれない。

著者の握りしめた十円硬貨は、今も流通しているのだろうか。
こき使われて、価値は十分の一以下になってしまったけれど、ある意味で精神安定剤の役割を果たしてきた。

この世の中には、汚いお金などあろうはずはない。
汚い人間がいるだけだ。

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秩序と無秩序

2009年12月25日 | 雑想
ドイツには自己責任という看板が多数掲げられているそうです。
アウトバーン(無料、速度無制限の道路)に速度制限を、という議論もあるそうですが、秩序を大切にするお国柄であるため、そうした制限には懐疑的という話です。

たまにナイトキャップとしてトルストイの「幼年期、少年期、青年期」を読むことがあります。
その中に、comme il faut(仏:礼義、作法にかなう)という言葉が出てきます。
地位や名誉よりも、こうしたものを持った人こそ尊敬すると記されていますが、僕だったら「誇り」とでも訳したいところです。
トルストイは、秩序というものを重んじたということです。

「トリスバーは、バーでひとりウイスキーを飲んでいる場面を、一般の日本人の男たちの中に、文化として広めるために作った・・佐治敬三さんがそんな意味のことを言っていたのを憶えている」(松村友視著「男と女」より)
佐治敬三氏は、バーに秩序を求めました。

アメリカの大西部時代、町は無秩序によって支配されていました。
暴力によって支配された町は、そう長くは続きません。

僕らにとって、秩序とはなんだろう。
答えよりも、その答えを出すまでの過程が重要となる場合がある、これが僕の秩序かな。
だから今でもRambler(漫歩な人)なんだろう。

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自分スタイル (テント編)

2009年12月24日 | アウトドアエッセイ その2
091224

今まで3つのテントを使ってきましたが、一人用、二人用、三人用とだんだん大きくなっていきました。
それに合わせて荷物も増えていくという結果となりました。

写真は、自転車旅で、翌日、北海道襟裳岬に向かう途中にある海岸でキャンプした時のものです。
古い写真ですが、この頃はまだストイックという言葉が若さの象徴のように、朝から晩まで、あるいは夜遅くまで走っていました。

今、その走りをしてみろと言われても、もうすることは出来ないでしょう。
テントを張ることさえも面倒で、雨露を防げる場所が僕の寝床となり、汗臭い服と共に眠れぬ夜を過ごすことも多くありました。

それでもテントは安心感を与えてくれますが、快適な場所を選んでテントを張るなんてことは多くはなく、何事もなく夜が明けることを心待ちにしていました。

本当に大切なのは、どんなテントで過ごしたのかではなく、どんな気持ちで夜を過ごしたのかが問題なのかもしれません。

あの頃は、楽しい夜なんてありはしなかった。
あったのは、未来への渇望だけだった。


コメント (4)
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