アウトドアな日常

インドアからアウトドアへのススメ

境界線

2009年08月27日 | 読書日記 その6
「スローライフ」  筑紫哲也著  岩波新書

著者のニュース番組を頻繁に見ていたわけではありませんが、その番組が今、放送されていないのは残念である。

この本の最後に、黒澤明監督の言葉が記されていたので抜粋されていたので記してみます。
『「日本人はなぜもっと幸せになろうとしないのだろう。そのためにボクは映画を作り続けているのに・・」
 数々の名作を世に送り出した黒澤明監督は生前、よくそう言っていたと、娘の和子さんに先日聞いた。』(本文より)

裏を返せば、幸せになる要素は日本には揃っている、ということなのだろう。

他者との関係性においては、実に不幸であり、その不幸の原因はなんなのだろう。
そもそも幸せと不幸せの境界線は、存在するのであろうか。
僕らは、無理にその境界線を作り、分けようとする。

僕らが守らなければならないのは、希望という永遠ではないのか。

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きっと空も飛べるはず

2009年08月20日 | 読書日記 その6
「大人の時間はなぜ短いのか」  一川 誠著  集英社新書

こうしたことは諸説ありますが、どれも頷けるものだったりします。

この本では、代謝が激しいほど時間はゆったり流れ(たとえば熱を出した時など)、時間経過に注意を向けられる数が多いほど「分節化」され(たとえば嫌な時など)、その数が多いほど時間が長く感じられという仮説があり、空間が広く感じられる時ほど時間は長く、楽しみを心待ちしている時も長い。

最終章では、「道具としての時間を使いこなす」とありますが、どのように過ごすかで、よりよい生活ができるということだろうか。

僕だったら、時は「想い出」の中にしか存在しない、という仮説をぶっ立てますが、そうなると今という存在をどうするか問題になります。

今は、「夢の中」かな、夢から覚めた時が「想い出」。
夢の中だったら、空を飛ぶことだって出来るはず!

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デザイン

2009年08月19日 | 読書日記 その6
「シェーカーへの旅(祈りが生んだ生活とデザイン)」  藤門 弘著  平凡社ライブラリー

本棚にあるこの本を、拾い読みしてみました。
裏表紙には、こう記されています。
「アーリー・アメリカン・カルチャーの一つの源流をなすシェーカー教団の自給自足の生活が生みだしたライフスタイルをたずねて、今に残るコミュニテイの跡をたどる旅。
 シェーカースタイルの建築、家具、道具類にみられるデザイン思想は、現代社会においてますますその輝きを放っている。」

以前にシェーカー家具のカタログを取り寄せて見たことがあるのですが、装飾を施しておらず、簡素で有用性に富んだデザインは、こうも美しいものなのかと驚いた記憶があります。

その美しさは、宗教という枠を越えて、現代人にも届くと思うのですが、宗教がデザインを生んだのか、人間というデザインが宗教を生んだのか、面白いとこです。

現代人の生活というのは、デザインというものを軽視しているのではないかと思うのですが、ではどのようにデザインしていけばいいのだろう。

マザー・テレサが亡くなったときに、所持品は服が2枚に手提げ袋が一つだったと記憶しています。
でも、多くの人に愛を与え続けた。

これがデザインというものではないのか、と思ったりします。

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あらよっと!

2009年08月16日 | 読書日記 その6
『「空気」と「世間」』  鴻上尚史著  講談社現代新書

先日、公共放送で夏目漱石のイギリス留学の時の話題がありました。
イギリスで引きこもり状態になり、部屋から一歩も出ることもできなくなった漱石ですが、イギリスを恨むでもなく、日本を美化するでもなく、シーソーの真ん中でバランスをとることを選択しました。
(こうした経験があったからこそ、夏目漱石は夏目漱石になりえたというのが、識者たちの一致した意見です)

この本の中でも紹介されていますが、「世間」について数多くの著作がある阿部謹也氏の本の中に、夏目漱石は世間を熟知していたという内容の記述がありました。
世間を熟知していれば、バランスをとることも可能だということかもしれません。

著者は劇団「第3舞台」を主宰している、作家、演出家でもあります。
以前、ある本の中に著者は高いところに住めない、といったことが書かれてありました。
理由は、高いところにいると衝動的に飛び下りたくなるから、だそうです。
ですから1階にしか住めないそうなのですが、こうしたことも熟知していれば最悪の結果から回避できる、ということかもしれません。

「世間」というのは両刃の刃で、その流れにそって生きれば何も考えないで生きることもできる。
志しがあれば、逆流に向かって歩かなければならず、まともに歩いていればぶつかりあって上手く進めない。

ならば、マイケル・ジャクソンのように踊りながら、歌いながら、かわしながら、ムーンウオークしながら逆流してもいいじゃないか。
「あらよっと」と飄々として・・・

最後に著者はこう記します。
「壊れかけた「世間」の力を、幽霊のように大きく見ては損だと僕は思っています。
 激しい力を持っているとしても、それは、かつての「世間」とは違うんだぞと、相手を見極める必要があると思っているのです。
 そして、「世間」は壊れていると書き、言い続けることで、本当に「世間」の力は弱まっていくだろうと思っているのです。
 この本は、いじめに苦しんでいる中学生にまで届いて欲しいと思って書きました。
 ・・・・
 あなたが大人で、この国の息苦しさに苦しむ子供達と出会ったら、そして、この本に書かれてあることにあなたが共感してくれたら、どうか、子供達にも分かりやすい言葉でこの本の内容を伝えて欲しいと願っています。
 「差別的で排他的」な「世間」から弾き飛ばされないように、一日何十通ものメールを交換する必要なんかないんだと、「順番に来るいじめ」に怯えている少女に伝えて欲しいと思うのです。」


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2009年08月14日 | 読書日記 その6
「ぼくは写真家になる!」  太田順一著  岩波ジュニア新書
「料理の仕事がしたい」          岩波ジュニア新書

中高生が読むような本ですが、こうした本にこそ著者の本質が現れるようで好んで読んだりします。

後者の本には、15人の料理人の手記が載っています。
共通しているのは、どん欲までに色んなものを吸収する姿勢です。

客においしいものを提供し喜んでもらう、それが料理人としても誇りであり、幸福感でもある。

何かに打ち込めるものをもった人は幸いである。
本気で吸収したいと思うからである。

それが好きになるということかもしれません。
人を好きになるということも、同じことだろう。

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