先週に引き続き林道丸山線を走ってきました。
(先週のブログ・・http://masagoro.mo-blog.jp/masa/2007/07/post_45dd.html )
思った通り坂を上り始めると身体は重く、帰ろうかとさえ思い始めました。
10分程経つと汗も出始め、調子が出てきました。
ギアを一番軽くして1時間程をテクテクと漕ぎます。
1枚目の写真は休憩中です。直後オニヤンマを見かけました、何年ぶりだろう。
2枚目は青少年野外センターのMTBのコースです。
若干ダートコースも残ります。
3枚目は帰る途中で出合った祭りの様子です。秩父地方は祭りが多くあります。小さな祭りが殆どなのですが、その地域の方々にとっては、とても大事な行事のひとつとなります。
1週間振りに走りましたが筋肉は覚えていて筋肉痛とかは起りませんでした。
坂道を走ると自転車は全身運動なのだなと思います。
坂道を攻めた後の平地は走っていて気持ちのいいもんです。
最初の10分間が嘘のようにスムーズに足が動きます。
2時間25キロ、本当はもっと走りたかったのですが、程よい気分で終了しました。
埼玉県小鹿野町二子山には年に2度程、林道経由お手軽登山をしています。
(関連ページ・・http://www3.ocn.ne.jp/%7Emasagoro/page120.html )
看板が木にかかっていたのですが、ここには鎖場が安全確保のため設置されていて、その鎖に関しての内容でした。
こうした鎖が土地持ち主の方が自費で設置されていたことを初めて知りました。
僕個人は鎖があることで安全を確保できるのでありがたく思っていたのですが、鎖が多すぎる、無い方がよい、外れたら責任をどうするという登山客がいることにビックリしました。
善意に対してツバを吐きかける行為が大人として許されることなのか。
ならこういう言い方もできる。
文句がある人は来なければいい、鎖を利用しないで登ればよい、死亡事故が起った場合、鎖不要派はどのように責任をとるのか。
登山というものが高貴なことだと思っているのだろうか。
これは登山だけではなく、オートバイ、自転車などにもいえることだけど、そういった人間は下品だよ。
『水辺にて』 梨木香歩著 筑摩書房
著者はカヌーも漕がれるのです。
水辺のある風景は僕個人も好きな風景です。
北海道の湖、十和田湖の早朝、霧が漂う中でパドリングをしてみたいものだと思います。
静かに霧が流れ去り、その代わりに生命の躍動感に出合う。
そんな一瞬の時を過ごしたいなと思う。
「ゆっくりと治ってゆかう 陽に透けて横に流るる風花を吸ふ
何をあんなに焦っていたのだろう。
この循環の一部になりきればいいことなのに。(本文より)」
僕は川下りしかしたことがありませんが、流れに身を任せて進むのが好きです。
時々、カワセミを見かけることもあります。
著者もカワセミとの出合いを感動に満ちた言葉で綴っています。
生命とは宝石なのかもしれません。
宝石などという石は人間が作りだしたものですが、循環の一部と感じることにより生命を宝石のように感じる。
ゆっくりと進んでいけばいい、木漏れ日を手のひらで受け止めて、そっと握りこぶしを作ればいい。