町田康氏のエッセイの中に大発見(だったと思う)という書き出しで、人間の自慢話について書かれてあるのがありました。
人は自慢話をする、40代になると顕著になって表れるというものでした。
何を今さら自慢話!と思いましたが、みんな自慢話を語るのは好きだというのを感覚的に知ってても、あらためてそういわれると、新たな発見というように感じるのかもしれない。
発見といえば、僕も発見をしました。
よくビールを飲む人は、最初の一、二杯が美味しいと口を揃えていいますが、だったらその一、二杯で止めればいいじゃないか!と・・
そうなると、初キッスの味は初キッスのままで終わりということになる。
いやいやそうじゃない、恋のチカラは過去の出来事を忘却させてくれる。
だから気分は、いつも初キッスということになる。
ああビールが飲みたい・・僕の飲み方は大ジョッキだろうが樽であろうが、一口に飲み干す!(嘘)
「ひとつの美徳がある。私が非常に愛している唯一の美徳である。その名を「わがまま」という。
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わがままな者は、人間のつくったものではない法律に、唯一の、無条件に神聖な法律に、自分自身の中にある法律に、「我」の「心」のままに従うのである」(byヘルマン・ヘッセ)
経済が不調であっても、精神をも凹ますことはない。
ヘルマン・ヘッセが「わがまま」という言葉を使うのなら、僕は「勝手」という言葉を使いたい。
誤解される表現だけれど、もっと勝手に生きてもいいんじゃないかなと思う。
「自由」という言葉に置き換えた方が、他者には伝わりやすいだろうか。
人間社会には、法律があり世間というものがある。
芸術家はある恵まれた環境にあるけど(この本にも書いてある)、一般の人が「わがまま」というと「変わり者」とか「変わっている」という表現で蔑視されることもある。
そこをかいくぐって自由な精神を養う。
面白そうである。