20年前に買い求めたビデオですが、映像器ががないので見ることはできませんでした。
こちらを使ってパソコンにつなぐと見ることができました。(値段は千円ほど)
録画もできますので、ビデオデッキが壊れる前に、保存しておこうと思います。
20年前のビデオでも、あまり劣化していなかったのでよかったです。
20年前に買い求めたビデオですが、映像器ががないので見ることはできませんでした。
こちらを使ってパソコンにつなぐと見ることができました。(値段は千円ほど)
録画もできますので、ビデオデッキが壊れる前に、保存しておこうと思います。
20年前のビデオでも、あまり劣化していなかったのでよかったです。
アイヌのことを調べていると、必ずと言っていいほど、松浦武四郎(1818-1888)のことが出てきます。
蝦夷の地を28歳で渡り、14年間6回、樺太、国後、エトロフまで足を運んでいます。
これもナショジオ誌からの引用になります。
松前藩、幕府からアイヌは搾取され続けられました。アイヌの現状を様々な手段で訴えたが、無視されました。
「いつの世にも利権は論理よりも強い。松前藩の刺客に狙われたこともある。」(池澤夏樹氏)
沢歩きをしていると、面白い名前に出くわします。(たとえばムジナ沢など)
ナショジオ誌(2015年4月号)に、池澤夏樹氏のアイヌに関する文章が載っていました。
要約すると、アイヌの人たちは自然に即して生活を営んできたので、地名などは、生活の手段のインデックスだった。後に入ってきた和人(わじん)は、こういったことが必要でなかったので自然は失っていった、ということです。
今も昔も利権に群がる人ばかり・・
「デス・ゾーン(栗城史多のエベレスト劇場)」(河野啓著)を読む
「七大陸最高峰単独無酸素登頂を目指した登山家」と帯に書かれています。
高校生の時に、1,2,3年時に文化祭で行われた演劇で中心になって演出をしたそうです。担任が1,2,3年の演劇が続きものであったと驚いたそうです。
集団でお酒を飲んでいた時に、真っ裸になって女の子を追い回したそうですが、その時も自撮りをして、その光景も後でみんなで見て楽しんだそうです。
こうした逸話を読んで、栗城さんは登山の中に楽しみを見つけて、それを映像として残そうとした人なのだなと思いました。
組織の中へ異質なものが入ると、拒否反応が起こります。「これは単独無酸素ではない」などなど。
「夢の共有」これは栗城さんが謳っていた言葉です。日本映画が全盛期の時に、映画を作る現場は「夢の工場」と呼ばれていたそうです。栗城さんもまた映像を意識し、こうした現場を目指していたのかもしれません。
多くの人の協力もあり、そして袂を分かつ人たちもいました。数多くの批判も受け、それでもエベレストに向かい、散りました。
これもナショジオ誌(2014年11月号)からの引用となります。
先進国では、年間6億7000万トンの食品が捨てられています。消費者も共犯で、買い過ぎ、賞味期限は美味しく食べることの期間であって、安全性とは必ずしも関係がないそうです。
食べ物を捨てるということは、燃料、農薬、水、土地、労力も大量に無駄にしています。
日本の場合は、事業系、家庭系で年間500~800万トンの食品ロスあります。その原因として、小売店では欠品ペナルティもあり(消費者の要望が高すぎ)、食品の製造日が消費期限の3分の1過ぎると出荷できない(他国は2分の1)、外食でのドギーバッグ(持ち帰り)の禁止、野菜の皮の過剰なまでの除去などがあげられるそうです。
こうしたことは、もっと告知して徹底した方がよさそうです。