下の写真は、20年ほど前の新聞の切り抜きです。
私は野田さんの影響を多く受けていますので、現在も川には足しげく通っています。
合掌。。
「アラスカ探検記(最後のフロンティアを歩く)」(マーク・アダムス著)を読む
自然保護の父ジョン・ミューアの足跡をたどる探検記です。現地の人たちとの交流がメイン(?)となります。
日本のことも少し書かれてあって、第二次世界大戦にはアリューシャン列島のダッチハーバーを日本軍は攻撃していました。ミッドウェー海戦と同時期のために、記憶に残している人はあまりいないということです。
日本の暗号は傍受されていて、仕掛けてくるのは知っていたと、こうしたことを漏らす地元民や、著者は、日本軍は捕虜になるくらいなら死ぬまで戦い、それによって多くの死者が生まれたということも記述しています。
ダッチハーバーでは、1990年代に入ると、スケトウダラを捕獲して、それを切り身にして日本へ輸出するようになって、景気が上向いたそうです。その前はタラバガニで景気が良くなったそうですが、取り過ぎて激減したそうです。現在でも完全には回復していないということです。
日本へ輸出されるスケトウダラの切り身ですが、地元民の方は「それを寿司にする頃にはもうにおいもなく、味もないただのたんぱく質になっている」と語ります。
ジョン・ミューアに関しては、後日書かせてもらいます。
向田邦子のエッセイの中に、「楠」という短い作品があります。
ご自分のシナリオの中には、木が全くでてこない、それは予算がかかるのでそうなったに違いないと思っていたが、鹿児島(幼少の時に一時過ごしたことがある)に帰った時、恩師が教え子の孫のために、木を植樹することを頼まれてどんな種類の木を植えようかと思案していることで、木に対する思いを感じることになりました。
鹿児島では、子供が生まれると木を植える習慣があった(ある?)のでしょうが、それほど生命の誕生と木がつながっているということなのだろう。
登山家の山野井泰史さんは、自分が死んだら墓の代わりに木を植えたいという趣旨のことを話されていたことを思い出しました。そうなれば、死ぬことも怖くはないなと思わなくもありません。
「アラスカ探検記」(マーク・アダムス著)より
アラスカの鮭の記述があり、乱獲により激減したそうです。
規制はできたものの、規模が大きい土地なので、それを守る漁業関係者は少ないといいます。「あいつが獲っているなら俺も」という悪循環で、欲にかられて取り過ぎてしまうそうです。
鮭以外の魚は捨てられ、缶詰の製品としての価値がないものになったら、捨てれれてしまうそうです。
ニシンも減り、シャチも減ったそうです。(シャチは餌となる魚が減れば、必然として減るのであろう)
日本のアサリも、ほとんど獲れないといいますが、山の栄誉分が海までいかなくなり漸弱な海岸になったり、農薬、乱獲、こういった複合的な原因で激減したのかもしれません。