「木」 幸田文著 新潮社
「材のいのち」という随筆には、斑鳩の宮大工の棟梁の話が綴っています。
「大工さんの木は立木ではない。立木としての生命を終わったあとの材をさす。」(本文より)
「若い大工さん仲間には、<刃物を入れたらご命日>という笑い言葉がある。
間違って切ったが最後、もう処置なしだということである。
こんな場面に出逢うと、棟梁さんたちはニコニコしながらドンと肩をたたいてやって、おじけるな、しくじれば後始末は俺がしてやる、という」
「楢二郎さんは、未熟な若い人たちのこの恐れを、金額の損失におびえるだけではないと断定する。
大材に気敗け、位敗けするのだし、そこへ切るという決定的な作業が加わるのだから、並の感覚をもつ若者なら、恐れを生ずるのが当然だ、という。
大材には何百年の年数をかけた、それだけの威容というものが具わっている。だが、ただ若い大工を圧迫しているのではない。圧迫を与えると同時に、彼の胆力気力を育ててやっている。
これは見逃せない大切な点だ、と説く。
その証拠に、一度大材を扱った若者は、ぐんと精神安定してくるそうである。」(本文より)
「寿命を使い尽くして死んだ木の姿は、生きている木にはない、また別の貴さ、安らぎがあって、楢二郎さんはたまらなく心惹かれるという。
・・生きても死んでも、木は立派だ、知っておいてもらいたいし、一度それをみておけば、きっとあなたのなにかの役に立つと思う、という。」(本文より)
この本も、木を原料にしているわけだし、文字という生命を吹き込んで、ここに存在する。
恐れを感じることができれば、より多くの息吹を、その本から感じとることができるのではないだろうか。
季節が巡るような、何度も何度も読み返したい随筆郡である。
「材のいのち」という随筆には、斑鳩の宮大工の棟梁の話が綴っています。
「大工さんの木は立木ではない。立木としての生命を終わったあとの材をさす。」(本文より)
「若い大工さん仲間には、<刃物を入れたらご命日>という笑い言葉がある。
間違って切ったが最後、もう処置なしだということである。
こんな場面に出逢うと、棟梁さんたちはニコニコしながらドンと肩をたたいてやって、おじけるな、しくじれば後始末は俺がしてやる、という」
「楢二郎さんは、未熟な若い人たちのこの恐れを、金額の損失におびえるだけではないと断定する。
大材に気敗け、位敗けするのだし、そこへ切るという決定的な作業が加わるのだから、並の感覚をもつ若者なら、恐れを生ずるのが当然だ、という。
大材には何百年の年数をかけた、それだけの威容というものが具わっている。だが、ただ若い大工を圧迫しているのではない。圧迫を与えると同時に、彼の胆力気力を育ててやっている。
これは見逃せない大切な点だ、と説く。
その証拠に、一度大材を扱った若者は、ぐんと精神安定してくるそうである。」(本文より)
「寿命を使い尽くして死んだ木の姿は、生きている木にはない、また別の貴さ、安らぎがあって、楢二郎さんはたまらなく心惹かれるという。
・・生きても死んでも、木は立派だ、知っておいてもらいたいし、一度それをみておけば、きっとあなたのなにかの役に立つと思う、という。」(本文より)
この本も、木を原料にしているわけだし、文字という生命を吹き込んで、ここに存在する。
恐れを感じることができれば、より多くの息吹を、その本から感じとることができるのではないだろうか。
季節が巡るような、何度も何度も読み返したい随筆郡である。