自転車散歩とハヤの群れ
図書館で雑誌をぱらぱらとめくっていたら、雑誌「岳人」(2020年11月号)に登山家の山野井さんのインタビューが載っていました。
南アルプスからの帰りで、大田切川の本谷での釣りの話があって、渓相もだいぶ変わり、釣果はまるでダメだったそうです。2年ほどの大雨で下流域にしかいないという話でした。
私の動画チャンネルでは、渓流魚はだいぶ数を減らしていると動画で表現していますが、第三者の立場でこのような主張を目にするのは初めてです。(私自身、そういった情報は好んで取り入れていませんしけど・・)
一番大切にしていることは、私自身が頭で体で心で考えて行動することを主にしているからです。ですので他の人のsnsは殆ど見る機会はないのです。
どっぷり浸かると、身動きがとれなくなりますからね。
上の写真は、昨年8月のものですが、先日あげた写真と比べると改善はされていません。
川そのものには浄化能力はあるのですが、追い付かないという状態でしょう。
なんらかの原因はあるので、それを解明してほしい気持ちもあります.
「快楽としての動物保護」という本の中に、写真家の故星野道夫氏のことが書かれてありますが、星野さんは環境保護という概念は持っていなかったそうです。
星野さんの言葉がこんな形で記されています。「出口が八方ふさがりのような気がしてしまう状態の中で、人々が必死により良い方向を捜して行こうとする姿にはいつも心打たれます」
都合の悪いことを黙認するのではなく、現状の中で、少しでも光のある方向を見定めて着実な一歩を記す。諦めないということはこういったことなのであろう。
逆に、環境保護という概念をいち早く取り入れたのは南方熊楠であると思いますが、どちらがいいというわけでもなく、どちらも正解だと私は思う。
先日河原に行ったときに、発見したゴミです。
本当はつぶさない方がいいのでしょうが、持ち帰られないので・・
傍観者効果というのがあるのですが、誰かが拾うからいいだろうと素通りしてしまうことです。(ゴミにたとえていますが・・)
まあ、たまには当事者になってもいいかなと思っています。
秩父を流れる荒川の川底です。
近年はこんな感じで、浮遊物も流れてきますが、こうした話題は聞くことはありません。
天候不良、ダム・河川行政、農業・家庭廃水、公共事業、その他、色んなことが絡み合ってこのような現状なのかもしれません。