アウトドアな日常

インドアからアウトドアへのススメ

余力

2010年02月28日 | 読書日記 その8
「表現力のレッスン」  鴻上尚史著  講談社
「数学の出番です。」  日沖桜皮著 数研出版

上記の本では、料理の上手い女性を選ぶかマッサージの上手い女性を選ぶか、そんな二者択一の問題が出ます。
鴻上氏は後者を選びます。理由としては相手のツボを理解しているということ、それはとりもなおさず自分自身を理解しているということだからだそうです。

後者の本では、素数ゼミというセミについてのことが書かれてあります。
素数ゼミというのは愛称で13年、17年周期に大発生するアメリカのセミのことです。
(素数とは、1と自身の数字でしか割ることのできない数字のことです。)
このセミの天敵もある周期で発生するということなので、素数周期で発生すればかち合うことが少ないのでこうしたことになったそうです。
ブナも周期的に野ねずみが食べきれないほどの大豊作になるそうですから、自然界も数字に支配されているのかもしれません。

僕は素数というのは、割り切れないというよりも「余る」ことの出来る数字であると、こちらの方に注目してしまいます。
人を数字で表現するならば、素数同士のカップルが相性が良いのかもしれません。

相手を知り、自分を知り、余らす。
人と付き合うことの基本かなあと思ったりします。

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人生は楽ガキ(落書き)だあ! 104

2010年02月27日 | 絵 その11
100227

白い紙の切れ端があれば、そこを落書きで埋めたくなります。(笑)

「映画を見ればわかること」川本三郎著 キネマ旬報社を読んでいると、なんだか隙間が埋まっていくような気分になります。
どんな気分かというと、映画作りその他に関する色んな逸話とか、僕自身観たこともない映画でも観ている気分にさせてくれるとか、こういったことです。

作家大佛次郎は大の猫好きでした。
常時10匹はいて、トータルで500匹の猫と暮したそうです。
戦争中でも疎開せずに猫と一緒にいたそうですから、猫好きという感情を越えていますね。
「僕は避け難い自分の臨終の数時間の静かな時を、自分の一生に飼った猫のことを順に思い出して明るいものにしたいと企てている」(本文より)

映画「猟奇的な彼女」の説明では、「猟奇」という言葉を造語したのは作家佐藤春夫と記されています。
佐藤は「奇想を楽しむ」といういい意味で作ったとされていますが、現在ではいい意味では使われていませんね。
「「猟奇的な彼女」は「猟奇」という言葉の意味をもう一度、元に戻してくれるかもしれない」(本文より)


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人生は楽ガキ(落書き)だあ! 103

2010年02月26日 | 絵 その11
100226

人間の頭からキノコが生えてきたら面白いなあと落書きしてみました。

「冬虫夏草」ならぬ「頭中夏草」。


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活性化

2010年02月25日 | 自転車
100225

群馬県宇都宮に自転車ロードレースの「プレッツェン」というチームがあります。
今期で2年目のチームでそこの監督のブログを見ています。
街自体が自転車による活性化を目指しているようで、その中でこのプロチームがどう成長成熟していくのが楽しみです。
栗村修「銀輪たちの軌跡 」
http://blog.osamukurimura.jp/blog/2010/02/post_3c2b.html

秩父市大滝にもBMXのコースが出来ました。
http://www.city.chichibu.lg.jp/item3155.html
前に「ツール・ド・秩父」というのがあったのですが、今はなくなってしまいました。
僕も一度ランドナーで参加したことがありましたが、このようなことを残しておけばよかったのになあと思います。

隣の小鹿野町は「オートバイによるまちおこし」を掲げていますが、早くトレッキングコースが出来ないかなあと心待ちしています。


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敵は本能にあり!

2010年02月24日 | 読書日記 その8
「本能はどこまで本能か(ヒトと動物の行動の起源)」 マーク・S・ブランバーグ著 早川書房

我々が本能とよんでいる中には、経験や学習による後天性のものも多く含まれていると記す。
便利に「本能」という言葉を使うよりは、人は経験や学習によってアンデンティティを確立するものであると思った方がいいのかもしれない。

何かを欲したいと思った時には、いい環境を手に入れることから始めなければいけない。
がんじがらめの社会システムの中で、そのような環境を手に入れることはたやすいことではないかもしれないが、僕らがそれを手に入れたとしたら、何かが動き出そうとする気配を感じることができるであろう。

「本能に従う」なんてことは、できることではないし分かることではないのだから・・

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