アウトドアな日常

インドアからアウトドアへのススメ

待ち人来らず

2009年11月29日 | 雑想
好きな季節はいつだろう。
大概の人たちは、明瞭に答える。

僕はといえば、明瞭な答えを用意しているわけでもなく、どっちつかずの曖昧なひとりの男を演じる。
そして「はっきりしない奴」と罵声を浴びつつ、自分の不甲斐なさに頭を垂れる。
以上、昨日より昔の話。

今の季節は冬。
僕の好きな季節は秋だ!

理由はいたって簡単で、今より遠い季節にあるからだ。

どの季節だってその良さがあり美しい。
名残りゆく季節を見送りながら、また長い月日が経ってその季節が舞い戻ってくる。
今が春なら冬を、今が夏なら春を、今が秋なら夏を好きになろう。

現代人は待つのが苦手だ。
でも、待つことは素敵な出来事だ。

永遠に好きな季節はやってこないけど、過ぎ去った名残惜しい季節と「待つ」ことを手に入れることができる。

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セレンディピティ(serendipity)

2009年11月28日 | 雑想
表題の意味を簡単に書きますと、大事なものを捜していたら、他の大事なものが出現したということです。
日本の諺ですと「早起きは三文の徳」が近いでしょうか・・

「捜す」を「考える」に置き換えてもいいでしょうが、そう考えると人は常に考えていた方がいいのかもしれません。
でも、今日の夕飯は何を食べようと考えるのは、「考える」という範疇には達していないと僕は考えます。

では「考える」とは?
その答えは未知数で、本当は我々の考えが及ばないものではないかと考えます。

だったら考える必要はないじゃないか!
と賢明なる人は思うかもしれない。

ここでセレンディピティなんです。
この世の中には、無駄はなく、本当に無駄なのは人間の小賢しい思考ということです。

追記
「文豪 ケーテ氏」に語れせればよかったかな。
真面目に書く内容じゃないです。

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鬼が棲む現代

2009年11月27日 | 読書日記 その7
「畜犬談」  太宰治著
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/246_34649.html

「私は、犬については自信がある。いつの日か、かならず喰(く)いつかれるであろうという自信である。私は、きっと噛(か)まれるにちがいない。自信があるのである」
で始まります。

エッセイとも物語ともつかない作品です。
主人公(著者)の家では、犬を飼っている。可愛がる理由はその犬に復讐をされないためである。
引っ越しのため、その犬に毒を飲ませて処分しようとするが、それもうまくいかず懺悔する気持ちが芽生えてくる。
そんな物語である。

現代は、犬猫を年間数十万匹殺処分されているわけですが、市民生活の中でそれを実感することはありません。

イヌイットの人たちは、働けなくなった犬は食べてしまいますが、冒険家植村直己さんの本の中にそんな場面が出てきますが、植村さんはそのを口にすることを躊躇してしまいます。
イヌイットにとっての犬は、我々の世界の牛や鶏と同じでいざとなれば食べてしまう存在なのであろう。
だから、残酷な行為であるという意見は的を射ていない。

この本の中の主人公も、犬を置いていけば近隣住人に迷惑がかかるというので、自分で手をくだすという行為に及んだのであって、知らぬ間に年間数十万匹の犬猫が殺処分されている現代の方が残虐なことをしているのだろう。

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天使と悪魔

2009年11月23日 | 読書日記 その7
「妻よ」 河野義行著 潮出版社

「このまま調書を受けていたら、本当に殺されしまうかもしれない。そこまでいかなくても、調書を受け、体力が限界にきたときに逮捕となれば、刑事に自白強要に耐え切れず偽りの自白をすることもありうるだろう」
「犯人というレッテルを貼られているときは、わが家には無言電話や嫌がらせの電話が相次ぎ、脅迫状が送り込まれた。疑惑が晴れてからは、励ましの手紙が送られるようになった。その時々に人の悪意や善意を見せつけられた。
 しかし、その二つのものは、同じ人間の中にある二面性に過ぎないことに気づいた。一つの状況のなかで、悪意と善意のどちらの判断をしていくのか。どんな人も、常にその二つの方向に振られていく可能性をもっているのだと思う」(以上本文より)

「アンダーグラウンド」(村上春樹著)に続きオウム事件に関する本を読んでみました。

ある日突然事件に巻き込まれ、犯人とされてしまう。
警察、新聞、週刊誌のデッチあげの中、著者は無実を貫く。
このようなことは日常生活の中にも多々あり、僕らは「針のむしろ」の上に暮しているのかもしれない。

このようなことが起こらないように、細心の注意でもって報道しなくてはいけないのに、時として暴走してしまう。
それは人間の中の悪魔が、他人の不幸を待ち望んでいるかのように暴走を許してしまう。

人が生きていくのに意味などありゃしないのだから、天使や悪魔を飼っておく必要もない。

コメント (4)
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人生は楽ガキ(落書き)だあ! 94

2009年11月22日 | 絵 その10
091122

雑誌「スクリーン」を見ながら描いてみました。
その中に、クリント・イーストウッドのコメントが心に響きます。

「多少は常識のある大人に向けて問題意識を含んだストーリーを選んで映画化していく過程が楽しくてならない。
・・・・・
 毎朝、新しい事をひとつでも学ぼうと新鮮な気分で目が覚める。
 現役の俳優として体型を維持するためのエキササイズもこのトシになると義務でなく、生きている!という実感を与えてくれるしね。
 過去を振り返っても、今が最も幸せで楽しい」(雑誌より)

 僕も今日、ひとつ学んだ。


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