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「川を考える」(野田知佑、藤門弘著)を読む
30年ほど前に出版された対談集です。
当時、日本は金持ちになり、乱開発が各地で行われました。そういったこともあってか過激な言葉で交わされます。
政府の借金は現在膨大ですが、その原因はこうした乱開発の借金が今でも響いていると言われている方もいます。(造ればランニングコストはかかるし、どうでもいいような代物は放置だし)
昔は川というものは一般人が集う場所であったものが、特定の人たちが権利を主張するようになり、一般の人たちは川から遠ざかるようになってしまい、関心を失う。野田さんは、多くの人に関心を持ってもらいたいと願っていても人々は川から去っていくと嘆きます。(関心が高ければ、川を綺麗にしようという意識も高まります)
こうも言っています。「ただ人が欲にかられて川をかき回しているだけなんだ。日本の川は漁業組合の独占的金儲けの対象になっている。そして漁業組合ほどいい加減な「組合」は日本になかろう」
追記(2021・10・5)
「森林と人間(ある都市近郊林の物語)」(石城謙吉著)を読んだのですが、その中に「第5章 甦る川、賑わう水辺」というのがあります。苫小牧の幌内川を紹介していますが、荒れた小川を人の手で生命あふれる川に変身させたことが載っています。
コンクリによる三面張りの河川工事、堰堤、ゴミ、こうしたものが生命を遠ざけ、無機質なものになってしまいます。これらを撤去し、魚、鳥、人もまた集まりだします。人間が壊したものは人間の手で元に戻すことも可能であるという事例でした。
本の紹介でも書きましたが、よい文章なのでこちらにも貼っておきます。
北海道大学苫小牧地方演習林は「研究林」と名前を代え、こんな看板が建てられているそうです。
「この地域一帯は、北海道大学苫小牧地方研究林の森です。
研究林の森は、多くの人たちが、森林について学び、また、心のやすらぎを求める場所です。
自然を愛し、森のいのちを尊ぶ心でおはいり下さい。
ここは全域鳥獣保護区です。
すべての動物たちが、自然の中で、自然のままに生きる姿を大切にしましょう。」
追記(2021・10・23)
「魚食の人類史(出アフリカから日本列島へ)」(島泰三著)を読んで
最後半では、日本の海藻が激減していることにも言及しています。昔から日本人は海藻を食べてきましたが、その細胞壁を分解する酵素を持っているのは日本人だけという研究発表をした科学者もいます。(フランスのロスコフ生物学研究所のジャン・エンドリュク・エーエマンたち 2010年)
著者の個人的見解では、1958年頃、農薬の散布で水田、小川が汚染され、この頃からニシンが湧かなくなり、1964年東京オリンピックの頃には、下関が廃油で汚染され、屋久島ではトビウオが産卵に来なくなったそうです。
魚たちが産卵する海藻がなくなれば、自然と魚自体もいなくなり、日本の漁獲量は減る一方です。これは日本だけの問題ではないでしょうから、他国の領海であっても侵入して漁獲することも多くあり、国際的な問題も引き起こしてしまうこともあるのだろう。
追記(2021・10・26)
「自然はだれのものか(環境問題講演集)」(石城謙吉著)を読んで
1989年夕張での公演からの抜粋になりますが、かつて苫小牧にコンビナート建設の話が持ち上がり、結局それはオイルショックで頓挫してしまうことになり、こうしたことを調べてみると、地方にとっては利というのは少ないということでした。
自然破壊という大きな代償を払うほどのものではないということです。確かに固定資産税は入るのですが、その分、地方交付金が削られるということになり、リゾート法なども同じような原理だということです。(ダムなども同じですね。水力などで固定資産税は入るので・・)
著者にとって自然とは、「国民全体の財産」「未来からの預かりもの」という認識です。
追記(2021・11・3)
環境白書をサラッと見てみたのですが、やはりmonitoring(監視・観察)という言葉はよく出てきます。
なんでもそうで、川の状態がどうなっているのか、常日頃から調査し、告知することが重要なことなのだろう。
追記(2021.11.9)
昔、秩父市街地を流れる荒川で、毛ばりの流し釣りを夕暮れ時にしたことがあります。10~20分ぐらいやりましたが、まったくアタリは来ず、直ぐに竿をしまいました。
すると、猟銃と犬を従えた人(とても紳士的とは思えない)がやってきて、釣り券は持っているかと聞かれ、幸いその時には鑑札を持参していたので事なきを得ました。
この程度でもお金を得ようとするのだから、いったい川や魚は誰のもの?と思ってしまいます。(私は誰のものでもないと思っています)
徴収人の報酬は50パーセントほどだったと思うので全力で集金に来るし、金を払ったのだから持ち帰ろうという発想に陥りやすいと思います。
追記(2021・11・15)
釣り文学の古典「釣魚大全」(アイザック・ウオルトン著)がありますが、その本の終わりは「Study be quiet」で結ばれています。
静かなることを学べ、穏やかなることを学べとか色んな訳がありますが、聖書の一節からの言葉だそうです。
「幸福論」や外国の古典などを読んで感じたことは、人は穏やかな状態でいることが最良であって、それが幸福であるということを個人的に感じています。
追記(2021.11.18)
「ヤナギランの花咲く野辺で」(ベルンド・ハインリッチ著)を読んで
「それにしても、鳥を殺してはいけないという法律はあるのに鳥が生息する自然環境の破壊を禁ずるという法律がないのはおかしな話である。その行為が及ぼす大きさからいうと、自然破壊の方がはるかにその罪は重い」(66頁)
追記(2021・11・21)
「森の探偵(無人カメラがとらえた日本の自然)」(宮崎学、小原真史著)を読んで
実は現在の日本の森林は、何百年、何十年まえよりも栄えていると記されています。かつては木材は家を建てる材料として、木炭として多くが使われ、はげ山が多かったということです。
それによって土砂が流失しにくくなって、海岸線がか細くなり、豊かな海が消えていったとありますが、ダムとかもありますので、そこはどうなんでしょ?
荒廃した海の流域では、カキなどの養殖筏を浮かばせることによって、海藻やイソギンチャクなどが付着するようになり、それに合わせて魚たちも集まるようになっていくそうです。(里海)人間が積極的に関与することによって、生命豊かな海を作ることも可能であるという事案です。
追記(2021・11・22)
梅崎春生(1915-1965)の随筆「オリンピックより魚の誘致」というのがありますが、1964年のころには海辺には魚が減ったと記されています。「はげ山に木を植えろ」という記述もあるので、この頃にははげ山が多かったのだろう。
これは渓流魚にもいえることで、イワナやヤマメが棲みやすい環境をつくってあげることが第一なのであろう。
追記(2021・12・9)
苦い思い出の話を・・秩父市街を流れる荒川で水中撮影をしていた時に、釣り人に前をバチャバチャと歩かれたり、撮影中、我がもののように場所を横取られたりしたこともあります。
金を払っているから、この場所を使うのは俺たちの権利たとでも言うような不遜で傲慢な態度です。こうした人に権利を与えるとこのようなことを平気でするものです。(ゴムカヌーに乗っていた時に、釣り人から石を投げられたこともありましたが、こうした釣り人は、一部だと信じたい)
川は漁協や釣り人の所有するものではありませんし、一般人が憩いの場として生命の尊厳や節度を守り、時間を過ごしたりする場所でもあると思います。
追記(2021・12・17)
モースの言葉「「この地球上の文明人で、日本人ほど自然のあらゆる面を愛する国民はいない。嵐、凪、霧、雨、雪、花、季節による色彩の変化、穏やかな川、激しく落ちる滝、飛ぶ鳥、跳ねる魚、そそりたつ峰、深い渓谷ー自然のすべての相が単に賞賛されるのみでなく、無数の写生画や掛物に描かれるのである」
エドワード・シルヴェスター・モース(1873-1925 アメリカの動物学者)
追記(2022・1・13)
「カミの人類学 不思議の場所をめぐって」(岩田慶治著)の中に次のようなことが記されていました。
「自然の美を称賛するようになったのは、キリスト教の流布によって造物主の偉大な力の証明であるというように記されています」
それまで自然は、中世の旅人、商人にとっては悪路を嘆くばかりのものであったということです。
日本では、古来より花鳥風月を愛でる和歌として歌われたり、上記のモースのように称賛されてきました。
鳴き虫の音も、雑音として捉えるのではなく、音色として感じてきました。
追記(2022.3.6)
「言葉を使う動物たち」(エヴァ・メイヤー著)の訳者のあとがきには著者の考えが述べられています。
その内容は、動物を保護するときに、人間は動物を下に見る傾向があるが、その序列を排して彼らと対等な立場で考え、彼られの価値基準を尊重し、お互いが協力関係になり、政治的な話し合いが必要だと説いています。
動物に限らず、あらゆる生命に対してもいえるのだろうと思えます。
追記(2022・5・21)
「日本人は土地に恵まれなかったから、持っているものを崇め保存し、自然崇拝を彼らの宗教、社会、政治の主要の柱とした。伝統神道の多くの神事は、肉体的満足の対象である食べ物と精神的満足の対象である美をもたらしてくれる自然に感謝する儀式であった。
私たちの土地はありすぎるから、広大な地域を砂漠にしてしまうまで保存の必要性を必要としなかった。日本人は持っているものがすくなかったから大切にした。
二千年にわたって耕してきた今でも、彼らの小さな島は肥沃であり、森や田畑はさながら手入れの行き届いた菜園である」(203頁「アメリカの鏡・日本」ヘレン・ミアーズ著より)