アウトドアな日常

インドアからアウトドアへのススメ

余韻

2010年01月31日 | 雑想
余韻のあるお店は繁昌する、という記事を読んだことがありますが、僕流に解釈すると、お別れの儀式で、もう手を振っていないだろうと振り向いたら、直も手を振り返してくれている、そんな光景のことです。

本日の新聞の書評で差別のことが書かれてありましたが、都市化や資本主義の流入が起こり、安住した共同体が崩れるとその犯人捜しが始まり、弱い者のせいにする。
これが差別の始まりらしい。

交通状況をみていると、1秒待てば相手にプレッシャーを与えることなくスムーズに進行することが出来るのに、その1秒すら待つことはできない。

余韻とは待つことであり、余韻とは他人のせいにしないことである、と僕は余韻の中で考えるのである。

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ああニッポン!

2010年01月30日 | 読書日記 その8
「日本人はなぜ日本を愛せないのか」 鈴木孝夫著  新潮選書
「怯えの時代」           内田 節著  新潮選書

日本人というのは、世界的に見て面白い人間性を持っているのだなあと思います。
外国の文化を日本よりも優秀だと錯覚してしまうのは、その現れでしょうが、度が過ぎると「へりくだる」を通り越して「こびる」に変化してしまう。

上記の本には、ペットとして飼われている犬についてフランス、イギリスの状況を解説しています。
一般にフランスでは、犬の躾は行き届いていると思われがちですが、人間に危害をあたえる犬は淘汰されるそうです。
こうした残酷性も秘めている。
表面上を見て、その国を優秀だと思うのは、どうも日本人の癖らしいです。

僕個人は、日本の文化、人間性は知れば知るほど誇れるものだなあと思っています。
なによりも自然と生き、静けさを尊び、潔いところがよいです。

下記の本はこう結んでいます。
「連帯のために智恵を使い、言葉を使い、時間を使い、お金を使うことのできる人間だけが、そしてそのことを実行に移せる共有された世界を築こうとする人間だけが、現代とは違う未来をみることができる」(本文より)

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別人になる

2010年01月29日 | 読書日記 その8
「道順は彼女に訊く」片岡義男著 を読む

5年前の25歳の女性の失踪事件の切り抜きを目にし、その真相を調べようとするノンフィクションライター。
彼女は事件に巻き込まれたのか、自ら失踪したのか。

ネタバレですが、彼女は自ら周到な準備のうち失踪しました。
が、その動機が僕にはよく分かりませんでした。(読解力のなさもあります)
本人に遭うわけではなく、予想の段階で物語が終わっているからです。
続編があってもいいなと思わせる作品です。

誰でも、別人になりたいという願望があるかもしれません。
別人になりたくても、日本のような法治国家では、手続き上難しい面もあるでしょう。

僕らが別人になりたかったら、どうすればよいのか。
現代の日本であれば、本当に好きなものがあり本気で打ち込めるものがあれば、別人になることは可能だと思います。
そういう世の中だと思います。

それを「夢が叶える」というのだろうけど、それには他人には分からない「自分だけの充足」というものも含まれている。
僕だけの夢がある、それはとりもなおさず別人になるということなのかもしれません。

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人生は楽ガキ(落書き)だあ! 98

2010年01月28日 | 絵 その10
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最近は、よく成熟という言葉を使いますが、人が成熟するということはどういうことだろうか。

「静かなる人」というのが僕のイメージですが、何もしゃべらない、何もしないということではなくて、静かな趣きという意味です。

思い出すのが「静かに生きることを学べ」(釣魚大全)という言葉ですが、では「静か」ということはどういうことなのか。

人さし指を口の前に立て、「シーッ」という合図をおくることがあります。
耳をすまして聴こえてくるのは、どんな音なのだろうか。


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ベルマン・ヘッセ氏

2010年01月27日 | 絵 その10
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「ひとつの美徳がある。私が非常に愛している唯一の美徳である。その名を「わがまま」という。
 ・・・・
 わがままな者は、人間のつくったものではない法律に、唯一の、無条件に神聖な法律に、自分自身の中にある法律に、「我」の「心」のままに従うのである」(byヘルマン・ヘッセ)

経済が不調であっても、精神をも凹ますことはない。
ヘルマン・ヘッセが「わがまま」という言葉を使うのなら、僕は「勝手」という言葉を使いたい。

誤解される表現だけれど、もっと勝手に生きてもいいんじゃないかなと思う。
「自由」という言葉に置き換えた方が、他者には伝わりやすいだろうか。

人間社会には、法律があり世間というものがある。
芸術家はある恵まれた環境にあるけど(この本にも書いてある)、一般の人が「わがまま」というと「変わり者」とか「変わっている」という表現で蔑視されることもある。

そこをかいくぐって自由な精神を養う。
面白そうである。



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