先日、自転車を走らせたわけですが、湖畔の周遊道路を走っていると一匹のニホンザルを見かけました。
自転車を止め、猿を凝視したのですが、僕のことなど眼中にないという態度で悠然と穏やかな表情で佇んでいました。
猿と目を合わせてはいけない、といったことを聞いたことがありますが、そんなことはなく、実に達観した表情をその猿から読み取れます。
側では、ガザガザという餌を探している音がして、群れで行動する猿のボスなのかもしれません。
その帰りに、町中を通っている最中に、またもや猿に出合いました。
道路を横切り、塀に上り、食べ物を口にくわえながら僕を威嚇しました。
山の猿と町の猿、この違いはなんなのだろう。
山登りをしていても、猿の群れに出合うこともあります。
そんなときも猿の群れは、僕の存在など眼中にはないという態度で、それぞれの行動をするのみです。
食べ物を簡単に得ようとすれば、人間の生活圏に入れば、簡単に得ることはできるだろう。
でも、それと引き換えに、誇り高き野生の魂というものを失ってしまうのかもしれません。
山の猿を見ていたら、僕はなにか大切なことを気づかされたような気がしました。
注)写真は、昔、撮影したものです。
『親子という病気』 香山リカ著 講談社現代新書
親子に限らず、人は「人間」という病気持ちだと僕は思っています。
去年だったでしょうか、父親が就寝中に子供がナタを持って殺そうとした事件は。
それをニュースで知った時に、柳田国男の民俗学の評論を思い出しました。
貧しい父親と2人の子供の家族が、その貧しさゆえに子供たちが父親の前にナタを差し出し、これで自分達を殺してほしいと懇願したそうです。
その後、どうなったかは忘れましたが、貧しさというのも病気の一つなんだなあと感じます。
僕は、明鏡止水(めいきょうしすい)の心を持った人ではないと尊敬はしない、という単純明快な考えしか持っていなくて、だからこそ色々なものが見えてくることもあります。
みんな「殺したいんだなあ」と思っています。
殺し文句、捨て台詞、陰口、そして自分をも。
なかなかどうして、こうしたことはごく身近で起こっていて、防御していないか逃げないと神経を病むことにもなりかねません。
たちが悪くて優位に立っている人間は、殺しにくるよなあ。
ホント怖いもんです。
著者は「あらゆる親子はビョーキである」と説き、
「人類の歴史が続く限り、決して地上から消え去らない「親子という病気」のウイルスに対するワクチンができる日は、あるのだろうか。きっとないんだろうな。」と記す。
「人間」という病気につける薬はあるのだろうか。
あるんです!
「バカにつける薬」があるんです!
いいんです!人間はバカでいいんです!!ちゃんと薬があるんですから。
バカでいいんです!バカの方がいいんです!
親子に限らず、人は「人間」という病気持ちだと僕は思っています。
去年だったでしょうか、父親が就寝中に子供がナタを持って殺そうとした事件は。
それをニュースで知った時に、柳田国男の民俗学の評論を思い出しました。
貧しい父親と2人の子供の家族が、その貧しさゆえに子供たちが父親の前にナタを差し出し、これで自分達を殺してほしいと懇願したそうです。
その後、どうなったかは忘れましたが、貧しさというのも病気の一つなんだなあと感じます。
僕は、明鏡止水(めいきょうしすい)の心を持った人ではないと尊敬はしない、という単純明快な考えしか持っていなくて、だからこそ色々なものが見えてくることもあります。
みんな「殺したいんだなあ」と思っています。
殺し文句、捨て台詞、陰口、そして自分をも。
なかなかどうして、こうしたことはごく身近で起こっていて、防御していないか逃げないと神経を病むことにもなりかねません。
たちが悪くて優位に立っている人間は、殺しにくるよなあ。
ホント怖いもんです。
著者は「あらゆる親子はビョーキである」と説き、
「人類の歴史が続く限り、決して地上から消え去らない「親子という病気」のウイルスに対するワクチンができる日は、あるのだろうか。きっとないんだろうな。」と記す。
「人間」という病気につける薬はあるのだろうか。
あるんです!
「バカにつける薬」があるんです!
いいんです!人間はバカでいいんです!!ちゃんと薬があるんですから。
バカでいいんです!バカの方がいいんです!