アウトドアな日常

インドアからアウトドアへのススメ

思考

2008年05月07日 | 読書日記 その3
『君の夢僕の思考』 森博嗣著 PHP

写真とメッセージで綴られています。

「人間は自分の生き様を見せること以外に、他人に教えることなど、何もないのだ。一般に使われている教育という言葉は、ありもしない幻想でしかない」

「人間は仕事をするために生きているのではない。仕事をしないために生きている。それが、人間だけの目的、幻想だと思う。「働かざる者食うべからず」は低級で危険な現実だ」

後者は、下で紹介した本の中にも同じようなことが書かれてありました。

ありもしない幻想を追い掛けるから、人は多くの間違いを犯す。
お金があれば幸せか?否!
モノがあれば幸せか?否!

人間だけの目的、幻想とはなんだろう・・
僕にとっては「ふつう」であること。

逆に「ふつう」じゃないこととはどういうことかが浮かび上がってくる。
「ふつうじゃない」人たちが、あの人は変わっていると蔑視する。
世の中とは、そういうものだ。


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優雅な暮らし

2008年05月06日 | 読書日記 その3
『優雅な暮らしにおカネは要らない(貴族式シンプルライフのすすめ)』 アレクサンダ-・フォン・シェーンブルク著

お金をどのように使うかが、その人の優雅さを示すものなのだろう。

序文に森永卓郎氏(経済アナリスト)の言葉が添えられています。
「本当の幸福とは、自分の価値観を持ち、自分の選択で本当にほしいものを腹八分目で買うことである」
テレビ番組で知り合った人たちのことも書かれていて、舞台女優、映画評論家、料理研究家など、お金がなくとも好きなことをしている人たちの表情は豊かで、なにより教養があり知的好奇心が満たされるという。

やはりというべきか、自分の好きなことを持って、一所懸命やれることを持っている人は幸運であると思う。
それでいて、ひとりよがりになることもなく、自慢したり威張ることもない、こんなことはどうでもよくなるのである。
ただ、好きなことであっても人一倍苦労はします。

著者は最後にこう記します。
「礼儀正しさ、親切心、友情、協力心といったものはどれも生活を快適にしてくれる。
 ・・これからの時代には、こうした美徳をふんだんに発揮して人付き合いをしたいものだと思う」


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ルール

2008年05月05日 | 読書日記 その3
『うつくしく、やさしく、おろかなりー私の惚れた「江戸」』 杉浦日向子著

江戸暮らしにはルールがありました。
日本各地から色々な人が集まってくるので、暗黙の了解というものでしょうか。

生国(しょうごく)は問わない、年齢は聞かない、過去と家族、つまり来訪は問わない、です。
肩書きでは判断しないで、自分の洞察力だけをたよりに相手を判断するということでしょうか。
現代よりは、ずいぶんと楽な生き方だなあと思います。

過去を振り向いてはいけないとは、よく聞きますが、古きに斬新な発見をすれば、それは新しさになる。
それに著者は、「昨日でも明日でもない、今日この日、ここが良い。どこへも行きたくない。現在たまたまいる場所が、いつでもどこでも良い」と記します。
過去に新しさを発見するば、現代にそれを取り入れる、それが著者の生きる姿勢なのかなと思います。

著者は「江戸」を美化しているのではなく、江戸に発見を求めているのではないのかと思います。

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警官と空き巣

2008年05月03日 | 読書日記 その3
『貧困旅行記』  つげ義春著  晶文社

東京都奥多摩日原のことが書かれてありました。
秘境といわれるにふさわしいか分かりませんが、細い一本道が渓流に沿って続き、急斜面に家々が連なります。

一度だけ林道探訪と称して、この集落を訪れたことがありますが、オートバイでトロトロと走っていたら、警官と空き巣に出くわしました。

なぜ空き巣と分かったのかは、かっぷくのよい警官が「空き巣」と何度も連呼していたからです。
ヒステリックまでに「空き巣」と叫んでいたのは、その空き巣と呼ばれる人に「空き巣」と分からせようとしていたのですが、本人もそのことは重々承知のはずなのに、ヒステリックまでにそのことを追求されると、人というものは黙るか逃げるか、どちらかの行動しかとれないだろう。

それでいて黙っている空き巣に尚も腹をたてる光景をみていたら、ここではこのようなことが日常茶飯事におこるのだろうかと何事もなかったように通過していきました。

生涯あるかないかの出来事に出くわし、たまたまオートバイで走っていたら(また訪れることがあるだろうか)警官の怒号を聞くなんて、なんという点と点の巡り合わせなのであろうか。

その空き巣に入った人ですが、仕方なくやってしまったという風情で、プロ(?)の空き巣とは思えず、3~40年前にタイムスリップしてしまったのだろうかという錯覚さえしました。


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もしも知りすぎたら

2008年05月01日 | 読書日記 その3
『イギリス式時給900円から始める暮らし』  井形慶子著  講談社

イギリスには、こんな格言みたいなものがあるそうです。
「もし何かを知りすぎたら、それは楽しみでなくなる」

一番好きな町には住んではいけない、著者はこう記しますが、理由は上記のように知りすぎ、アラが見えてくるからだそうです。

オートバイや自転車のことを書かせてもらえば、僕もこれらの関係する雑誌をまったくといっていいほど読むことはありません。
始めの頃は、よく読んでいたのですが、しだいに読まなくなったという訳です。

ヒッチコック作品に「知りすぎた男」というのがありますが、知りすぎというのは、あまり良い結果に結びつかないのかもしれません。

便利さも複雑さを増し、そこに格差が生まれる。
何にしても、ほどほどが良いのかもしれません。

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