アウトドアな日常

インドアからアウトドアへのススメ

植木甚一氏

2009年02月28日 | 絵 その7
090228
「幸運が来ますようにと、おまじない。」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

植木甚一氏

2009年02月27日 | 絵 その6
090227
「街を歩くと必ず何かを買いたくなるんだ」
「表紙や装丁に感じてしまったら、買っておいたほうがいいようです」
「ぼくは、何かしら買って帰らないと、原稿が書けない癖がついた」
「写真や広告の入った雑誌とハサミと糊があればいい」
「コーヒーをあたためながら、原稿を書いてしまおうと考える」
「雑学の網を張っていると、ときおり珍しいものが引っ掛かる」
by 植草甚一

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生は楽ガキ(落書き)だあ! 45

2009年02月26日 | 絵 その6
090226

植草甚一の日記というのは、レシート、タバコの箱、その他あらゆるものがペタペタと貼られてあるそうです。

こうしたことをして、何か役に立つことがあるのだろうかと他者は思うかもしれない。
だけど、他者は大きな勘違いをしている。
人ひとりが何かの役に立つことがあるのだろうか・・と。

役に立つかどうかは大きな問題ではない。
大きな問題なのは、役に立つかどうかと秤(はかり)にかけることだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冒険家の妻

2009年02月24日 | 本と雑誌 その2
『最後の冒険家』  石川直樹著 集英社

2008年2月1日、北大西洋上空で熱気球に乗ったまま行方がわからなくなった。
彼の名は、神田道夫。
埼玉県川島町職員でありながら、2000年には植村直己冒険賞を受賞している。

一度やると決めたら、なにがなんでも貫く、冒険家の血筋を頑固までに受け継ぐ。
ただ、そこに焦りを感じた時に、最も危険な状態になってしまう。

熱気球から地球を見下ろした時、どんな風景が広がっているのだろう。
僕らには想像できない世界が広がっているはずだ。
寡黙に広がる世界から、どんな暗示を受け継いできたのだろうか。

「冒険家の妻」は、どんな思いで冒険家を送り出すのだろう。
故植村直己さんの奥さんは、冒険家のことを究極のエゴイストと呼んでいた。

大きな金が動き、スポンサーがつくと後戻りできない状態になって、多くの冒険家、登山家が命を落としてしまう場合があるという。(ただ神田さんの場合は、このような冒険家ではありませんが)
究極のエゴイストであれば、なによりも命を優先すべきなのに、エゴイストにはなりきれなかったのであろうか。

我々は傍観者であり、成功した時は賞賛を贈り、失敗に終わった時には、手のひら返しで責任を追求する。
究極のエゴイストは、傍観者の我々の方ではなかったのか。

神田さんの奥さんはこうに語る。
「自分の好きなことをやって、短い間に凝縮した人生をおくったと思います。お父さんにとって悔いはないだろうし、本当に幸せだったんじゃないですか?」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

待ち人

2009年02月23日 | 絵 その6
090223
先日、公営放送で深夜、ターシャ・デューダーの放送がありました。

昨年、92歳でお亡くなりになりましたが、その発する言葉には、現代人が忘れかけていることを思い起こさせます。

「待つことができれば、あらゆることは解決できる」
「だんだん幸せになっていく」
「一日を丁寧に生活する」

こういった言葉の数々には、驕りもなければ焦りもなく、静かに穏やかに暮す生活にそのヒントがありそうです。

球根を植えれば、花が咲くまでは待つことしか許されない。
待つということは、こういうことなのかもしれない。

関連ページ
http://masagoro.mo-blog.jp/masa/2005/11/post_5d75.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする