アウトドアな日常

インドアからアウトドアへのススメ

山に生きる人びと

2020年08月15日 | 本と雑誌

「山に生きる人びと」(宮本常一著)を読む

半世紀以上前に書かれた本ですが、その頃でも野生動物の数は減っていて、村人の話の中では桁違いに多かったということです。

ニホンオオカミは、人も襲ったりと人間にとっては畏怖を感じる存在であったそうです。

自然に野生動物は奥に追いやられて、人間も安心して暮らせるようになったとありますが、ニホンオオカミを絶滅させてしまったのは人間の驕りであろう。

植物を例にとると、かれらは共存という形はとらず、棲み分けという形をとるそうです。野生動物たちとの共存というのは、植物と同じで無理なことで、棲み分けという形をとり、かれらの領分には入らないという不文律が必要だったのかもしれません。

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ピエドラ川のほとりで私は泣いた

2007年01月17日 | 本と雑誌
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『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』 パウロ・コエーリョ著 角川文庫

教鞭を執う29歳の女性ピラールは、12年ぶりに再会した幼馴染みから愛を告白される。

スピリチュアルな本です。
人は何かから解きはなれることが出来ないと何も変わらない、そして勇気がないと幸福を手に入れることはできないと教えられます。

己の中の他者を追い出して自分らしく、「魔法の瞬間」を見逃さないようにすれば誰の人生も幸福へと辿り着くと著者は描く。

いかに僕たちの生活はがんじがらめだなあと思います。他者(悪意?)を気にし、自分らしくもなんともない。
では自分らしく幸福を手に入れるには?

この本に描かれているように己の中の他者を追い出すこと。
僕なりに解釈すれば、自分や他人を丸裸にして、自分にとっての正しさを認識するということ。

「僕たちは、彼の惨めな人生のいらだちの一部を演ずるはめになるところだった」(本文より)
惨めな人というのは多いですね。
イジメなどもその類いです。(八つ当たりも程がある!)
そんな場所、環境に身を置いて、惨めな環境で演じさせられることはないはずなのに、そこを離れる選択権もなかったりします。

全ての人には、すばらしいものを持っているのに、それにも気付かず、惨めな人生をおくってしまう。
その反動で、人や自分を悪意でもって陥れる。


魔法の瞬間で、永遠の幸福を手に入れたいものですね。

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凍てる岩肌に魅せられて

2007年01月09日 | 本と雑誌
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『凍(い)てる岩肌に魅せられて』 小西政継著 中公文庫

日本を代表する登山家のお一人ですが、10年ほど前に山で亡くなられました。
この本は、著者の自伝的な本です。

押し入れに入れたあったのを久しぶりに取り出してみました。
単行本の出版は1971年と書かれてあります。文庫本化は1998年です。

所々、赤い線が引かれてあり、読んだ当時は、このことに共感したのだなとあらためて思います。
少し抜粋してみます。

「私は運命論者だと自認するつもりは毛頭ないが、いまはこの予期せぬ危険で生命を奪われても、これが自分の運命だとあきらめられる心境になっている。この運命的なあきらめは幾多の垂直の岩壁を登る間に、肌で感じとったものだ」

「スイスへ遠征したときである。ある田舎の道で、工事人夫が汗を流しながら道路工事をしていた。そこをちょうど国会議員が通りかかった。
『おはよう、ごくろうさま、大変だね』
『いやそうでもないですよ』
と、お互い明るい笑顔で語り合う会話は、国会議員と工事人夫の上下の隔たりはまったく感じられなかった。
 この会話を何気なく耳にしたとき、私は日本人の欠点をみつけたような気がした。係長でも、課長でも、社長でも名刺に肩書きがつくと、一般的な傾向として、その人の人間性というより、肩書きにまどわされ勝ちなものだ。いかに高名であり、有名であっても人間は誰しも、対等であっていいはずである。肩書きに頭を下げる必要はけっしてないと思う」

「爽快な高原を歩く私の足から、3ヶ月ぶりに杖がとれた。自分の足だけで大地をあるくことができる幸福を全身で感じとる。人間の幸福とはふだん自分で気がつかない、こんな平凡なごく当たり前のような中にあるのかもしれない」(凍傷で足の指全てを失っています)


平凡であることの幸せ・・・
普通の人達が罪を犯すと、普通の人達が罪を犯すはずはないと、その人達のプライベートまでも詮索し、アラを探す。そして普通の人達じゃないと安心する。
平凡な行動ではありません。

どこにでもみられる平凡な生活(本より抜粋)で育まれた著者のこの本を、じっくりと読み直したいと思いました。

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前田真三 里の風景

2007年01月06日 | 本と雑誌
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CD-ROMです。
数年前に、たまたま買い求めたものです。写真には詳しくないので表紙の絵を見て買いました。

しかし、こうした風景は、今の日本では断片的にしか見ることは出来ないなあと感じました。

明治期に来日した雑誌のカメラマンの写真を見ると、エキゾチックに撮られたものがあります。
日本人にとっては、そこは生活の場でしかなかったのですが外国の人にとってはエキゾチックに見えたのかもしれません。

日本人にも、エキゾチックのように見えた人達がいなかったのか・・と考えてみると葛飾北斎のような絵師たちだったのではないだろうか。
だから、多くの人達がそのような絵に影響され魅了されるのではないだろうか。

話し変わって、先日、公共放送でタ-シャ・テューダーの番組を放送していました。
http://masagoro.mo-blog.jp/masa/2005/11/post_5d75.html
「ガーデニングは人生そのもの」という言葉が印象的でした。

政治家も役人も庶民もガーデナーであってほしいと思っている僕ですが、人もまた風景の一部になればいいなあと思います。


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ニンジンより大切なもの

2006年12月25日 | 本と雑誌
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『ニンジンより大切なもの』 ボリス・フォン・メルチェック著 主婦の友社

うさぎのハンニバルは妻のへレナに、ある朝、目の輝きのなさを指摘されます。
なに不自由なく働き、家族も得たにもかかわらず、目の輝きのなさに愕然として、ハンニバルは旅に出ます。


だいぶ前になりますが、ボクシング関係の本を読みました。
ある選手がクリスマスの日に試合に勝利したなら、街を歩きながら帰れとトレーナーに言われたそうです。
皆が自分の勝利を祝ってくれていると感じられるからだそうです。

確率からいえば、ボクシングの試合に勝利することは50パーセントです。
でも、類い稀な才能に恵まれていなければ勝利することは難しい。

なぜなら血の滲むような練習、減量で己自身に克たなければいけないから。

選手寿命は短く、試合の数も多くなく、だから1試合の意味がトーナメント戦のように大きくなる。
もしかしたら、この試合が終わりかもしれない、そんなおもいで試合に臨んでいるのかもしれない。

ただ君たちの目は輝いていることは確かなことだろう。
だからこそ、クリスマスの日に勝利を収め、まわりが楽しそうに振る舞っていても、それが自分の勝利を祝っていてくれているのだろうと思えるのだろう。

目の輝きを失わず(あるいは取り戻して)に生きることのみを考えて日々の生活を営んでいけばいいと思う。

それが一番むずかしいこと・・なんて冗談じゃない!
ひとに輝かせてもらうのではなく、自分自身が輝かすものじゃないか!

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