光悦寺より京の街を望む(11月6日に撮影)
京の北、鷹峰三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)を見渡す景勝の地、光悦寺。
その昔、本阿弥光悦が家康よりこのあたりの土地を拝領して拓き、
太虚庵を建てて住し、一族と配下の工匠とともに芸術村を創りました。
ここで毎年行われる光悦会へ11月13日に行ってまいりました。
光悦会は、本阿弥光悦の遺徳をしのぶ茶会で、土橋嘉兵衛らが世話役となり、
三井松籟、益田鈍翁、馬越化生、団琢磨らの賛助を得て、
大正4年(1915)に財団法人として発足しました。
光悦寺に大虚庵、騎牛庵、本阿弥庵などを新築して、11月に最初の茶会が開かれ、
東京の大師会とともに近代数寄者の二大茶会として始まったのです。
現在も11月11日~13日の三日間、東京、京都、大阪、名古屋、金沢の
美術商が世話人となって茶会が行われています。
京都に居る間に参席したく思い、或る方に茶券をお願いしました。
関東から茶友のSさん、Oさんが参席することになったので、
ご案内の下見を兼ねて光悦寺を訪ね、掲載の写真を撮ってきました。
当日、三人で9時前に光悦寺へ到着すると、1週間前より紅葉が進み、
朝陽を浴びて、赤橙黄緑のグラーデーションが輝いています。
東京、金沢、大阪、京都、最後に点心の順で各席をまわりましたが、
とても覚えきれず、各席ごとに印象に残ったことを記念に記しておきます。
第一席は薄茶・東京席で、本席は三巴亭です。
青磁竹の子の花入に季節外れの大きな牡丹(花無し)。
たった一枝ですが、枯れた葉あり、青葉あり、花芽あり、新芽ありで、
人の一生を託したとか・・・東京席世話人の心意気を垣間見た気がしました。
源氏夕顔文の芦屋釜と、七宝蒔絵(道恵造)の炉縁の華やかさにも惹かれましたが、
乾山の色絵夕顔文水指が一番のお好みでした。
鉄絵も好いですが、斬新でモダンな乾山の色絵にすっかりほれ込みました。
茶碗(黄伊羅保、絵唐津、色絵)のうち、仁清造の黒地芭蕉葉文(横山家伝来)が
珍しい文様で、仁清の色絵も佳いなぁ~とため息です。
三巴亭 (薄茶・東京席)
第二席目は濃茶・金沢席です。
了寂軒が寄付になっていて、床には元伯宗旦の松絵自画賛のお軸が掛けられ、
香合は金沢席らしく、仙叟手捏ねの飴釉寿星香合。
垂涎の炭道具が飾られ、こちらで金沢・吉はし製の「初霜」と薄茶を頂きました。
本席は太虚庵、外には有名な光悦垣があり、了寂軒から庭伝いへ進みます。
三畳台目の落ち着いた席へ入ると、奈良先生が対応されていました。
床は、春屋宗園墨蹟「諸悪莫作衆(修)善奉行」、
以前に拝見した一休禅師の墨蹟と違い、柔らかく優しい人柄が想像される墨蹟で、
光悦の遺跡・太虚庵にふさわしく思いました。
花は白玉椿とズイナ、花入は古銅四方蝶耳(芳春院伝来)、
この花入は本阿弥光悦より大徳寺芳春院へ寄付されたものとか。
紅葉が美しい光悦垣
太虚庵 (濃茶・金沢席)
インパクトがあったのが水指でした。
仙叟好飴釉海老撮手付(初代長左衛門造、一井庵旧蔵)で、
一井庵不言斎記によると、
「長左衛門が同じ水指を二つ造り、一つは宗室へ、一つは自分が持ち、
互いに懐かしく思う時は是をみるべし・・・と」
茶入、茶碗、帛紗、茶杓・・・どれも素晴らしく相和して、金沢席っていつも凄い!
・・と思うのはお道具もさることながら、郷土愛を感じるせいかもしれませんね。
鷹峰・光悦会-2へつづく
京の北、鷹峰三山(鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)を見渡す景勝の地、光悦寺。
その昔、本阿弥光悦が家康よりこのあたりの土地を拝領して拓き、
太虚庵を建てて住し、一族と配下の工匠とともに芸術村を創りました。
ここで毎年行われる光悦会へ11月13日に行ってまいりました。
光悦会は、本阿弥光悦の遺徳をしのぶ茶会で、土橋嘉兵衛らが世話役となり、
三井松籟、益田鈍翁、馬越化生、団琢磨らの賛助を得て、
大正4年(1915)に財団法人として発足しました。
光悦寺に大虚庵、騎牛庵、本阿弥庵などを新築して、11月に最初の茶会が開かれ、
東京の大師会とともに近代数寄者の二大茶会として始まったのです。
現在も11月11日~13日の三日間、東京、京都、大阪、名古屋、金沢の
美術商が世話人となって茶会が行われています。
京都に居る間に参席したく思い、或る方に茶券をお願いしました。
関東から茶友のSさん、Oさんが参席することになったので、
ご案内の下見を兼ねて光悦寺を訪ね、掲載の写真を撮ってきました。
当日、三人で9時前に光悦寺へ到着すると、1週間前より紅葉が進み、
朝陽を浴びて、赤橙黄緑のグラーデーションが輝いています。
東京、金沢、大阪、京都、最後に点心の順で各席をまわりましたが、
とても覚えきれず、各席ごとに印象に残ったことを記念に記しておきます。
第一席は薄茶・東京席で、本席は三巴亭です。
青磁竹の子の花入に季節外れの大きな牡丹(花無し)。
たった一枝ですが、枯れた葉あり、青葉あり、花芽あり、新芽ありで、
人の一生を託したとか・・・東京席世話人の心意気を垣間見た気がしました。
源氏夕顔文の芦屋釜と、七宝蒔絵(道恵造)の炉縁の華やかさにも惹かれましたが、
乾山の色絵夕顔文水指が一番のお好みでした。
鉄絵も好いですが、斬新でモダンな乾山の色絵にすっかりほれ込みました。
茶碗(黄伊羅保、絵唐津、色絵)のうち、仁清造の黒地芭蕉葉文(横山家伝来)が
珍しい文様で、仁清の色絵も佳いなぁ~とため息です。
三巴亭 (薄茶・東京席)
第二席目は濃茶・金沢席です。
了寂軒が寄付になっていて、床には元伯宗旦の松絵自画賛のお軸が掛けられ、
香合は金沢席らしく、仙叟手捏ねの飴釉寿星香合。
垂涎の炭道具が飾られ、こちらで金沢・吉はし製の「初霜」と薄茶を頂きました。
本席は太虚庵、外には有名な光悦垣があり、了寂軒から庭伝いへ進みます。
三畳台目の落ち着いた席へ入ると、奈良先生が対応されていました。
床は、春屋宗園墨蹟「諸悪莫作衆(修)善奉行」、
以前に拝見した一休禅師の墨蹟と違い、柔らかく優しい人柄が想像される墨蹟で、
光悦の遺跡・太虚庵にふさわしく思いました。
花は白玉椿とズイナ、花入は古銅四方蝶耳(芳春院伝来)、
この花入は本阿弥光悦より大徳寺芳春院へ寄付されたものとか。
紅葉が美しい光悦垣
太虚庵 (濃茶・金沢席)
インパクトがあったのが水指でした。
仙叟好飴釉海老撮手付(初代長左衛門造、一井庵旧蔵)で、
一井庵不言斎記によると、
「長左衛門が同じ水指を二つ造り、一つは宗室へ、一つは自分が持ち、
互いに懐かしく思う時は是をみるべし・・・と」
茶入、茶碗、帛紗、茶杓・・・どれも素晴らしく相和して、金沢席っていつも凄い!
・・と思うのはお道具もさることながら、郷土愛を感じるせいかもしれませんね。
鷹峰・光悦会-2へつづく