暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

野の里の名残りの茶事-3

2014年10月17日 | 思い出の茶事  京都編
(つづき)
後座は花所望からはじまりました。
名残りの花を花台に溢れんばかり用意してくださいました。
私は吾亦紅、秋海棠、白杜鵑を手付き籠に生け、
Yさまはヤブミョウガの実と白秋明菊を揖保川焼の花入へ。

いよいよ濃茶です。
古備前の水指の前に荘られている濃茶器が気になっていました。
笹蔓緞子の仕覆が脱がされると、藤村庸軒好の凡鳥棗が現われました。「凄い!」
その形と桐の蒔絵に心惹かれ、あとで棗のことをお伺いできるのが楽しみです。

濃茶はもちろんSさま好みの成瀬松寿苑の「松寿」です。
お茶を掬いだしたとたん、薫りが立ち、よく練られた濃茶を頂戴すると、
香り佳く、ふっくらと丸味のある、甘い濃茶でした。

茶碗は高麗三嶋刷毛目。
ゆがみのある茶碗には2カ所金継があるので名残りに使ったそうですが、
探すとひそやかな美しい金模様でした。
形も三嶋模様も魅力的なのですが、美しい波文を画いている刷毛目に見惚れました。
緑の抹茶が映える茶碗なので、名残りだけではもったいない・・・です。

             

凡鳥棗と茶杓の拝見をお願いして、いろいろな話を伺いました。
凡鳥棗は漆芸工芸士・岩渕祐二氏に写しを特別注文した、思い入れのあるものでした。
甲に金蒔絵で桐、蓋裏に「凡鳥」と朱漆書があり、その字がまた・・・。

凡鳥棗(本歌)は、藤村庸軒好で初代宗哲が作っています。
外は黒の刷毛目塗、東山時代の塗師・羽田五郎が得意としたので五郎塗と呼ばれ、
甲に桐文を金蒔絵、銘は棗の盆付に「凡鳥」と庸軒の朱漆書があります。
せっかくの機会なので凡鳥棗の由来を調べてみました。

元禄7年(1694)の庸軒の漢詩に「鳳凰」があります。
この漢詩は、中国の「世説新語」にある「はるばる親友を訪ねてきたが会えず、
門上に「鳳」字を書いて去った」という話に基づいています。

    鳳凰
   彩羽金毛下世難    高翔千仭可伴鸞
   棲桐食竹亦余事    更識文明天下安

凡鳥とは鳳のことで、鳳の字を二つに分けると凡鳥(平凡な鳥、とるに足らぬ俗人)
というような意味で、「世俗新語」では親友に会えぬ無念さを物語っているとか。
庸軒はストレートに「鳳」とせずに、凡鳥と言って「鳳」を暗示し、
さらに甲の桐の蒔絵で、桐に棲む鳳を暗示しています。

・・・鳳凰の蒔絵がずばり描かれた平棗を愛用していますが、庸軒さんって
シャイだったか、シニカルだったか・・・でも、その捻り味に惹かれます。

             

茶杓は銘「ぶかん(豊干)」足立泰道和尚作です。
豊干は、中国唐代の詩僧で天台山国清寺に住み、寒山拾得を養育した人と伝えら、
虎に乗って僧たちを驚かすという奇行で知られています。

薄茶になり、カスガイのある楽茶碗と案山子絵の茶碗で愉しくお話しながら
2服ずつ頂きました。
棗は拭き漆の武蔵野(司峰作)・・ここで最後の月に出合いました。
茶杓は銘「寅(虎)」、先の茶杓「ぶかん(豊干)」と見事に対を成し、
Sさまの「吾心似秋月」の心意気や庸軒流への深い思いに触れて、
こちらまで熱くなりました。
これからも素敵な茶事を続けてくださいね・・・またきっとご縁がありますように。

姫路駅でYさまと天を仰ぐと、早や満月が欠け始めています。
10月8日、名残りの茶事のその日は十五夜、皆既月食、寒露でした。  
                                   

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