暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

金沢・南砺の旅  大友楼

2011年05月19日 | 2011年の旅
金沢では本場の加賀料理を食べてみたいと思いました。
「大友楼」へ予約の電話を入れると、
「5月3日の昼なら空いています」 という返事です。
すぐに会席料理を予約しました。 出かける三日前のことです。

                                
尾山神社(前田利家と正室まつを祀る)を目指して行くと、
すぐにわかりました。
着物姿の仲居さんが玄関で私たちを待っていてくださって、
二階の座敷へ案内してくれました。

次の間付きの十畳余の座敷には、床の間、火頭窓のある書院、
中国の田植え風景を描いた金屏風、襖の取っ手、小さな喚証など、
どこを見ても素晴らしく、加賀の伝統的な文化を感じる設えでした。
天井に釣り釜を掛けるヒル釘があったので、仲居さんに伺うと、
旧藩時代には茶の湯の先生のお宅だったそうです。
この部屋でお稽古をしていて、一階には一井庵という茶室もあるそうです。              

                

早速に、料理が運ばれてきて、あれこれ仲居さんに
お尋ねしながら舌鼓を打ちました。

   (1)そら豆の葛豆腐
   (2)汁   筍真蒸 菜の花 舞茸 木の芽
                

   (3)刺身   鯛 さより 甘海老
   (4)海老 どじょうの蒲焼 水蛸の梅肉あえ  
      鯖の押し寿司  そら豆  べろべろ(卵が入っている寒天)

                

   (5)サーモン照焼 蕗味噌 ハスのチップス
   (6)鯛の唐蒸(からむし)

      蘭学修行の藩士によって長崎から伝えられた南蛮料理です。
      調理法は、そら豆(銀杏)、キクラゲ、昆布、人参、百合根、麻の実などと一緒に
      煮た卯の花(おから)を鯛に詰めて蒸します。

     「武家料理なので鯛は背開きにして卯の花を詰めます。
      蒸している間に鯛の旨味がおからに凝縮されているので
      鯛より卯の花の方が美味しいですよ。
      婚礼の料理で、嫁方から久谷の大皿に蒸した鯛2匹を腹合わせに
      飾って持ってくるのがしきたりになっていました」

      食べてみたら、仲居さんのお勧めのおからが絶品でしたが、
      鯛が大きく、卯の花もぎっしり詰められていて、食べきれません・・・。 

                

   (7)じぶ  鴨 すだれ麩 椎茸 金時草(きんじそう・加賀野菜) 山葵

      加賀料理の代表と思っていましたが、庶民のお惣菜だそうです。
      煮物ですが「煮」と言わずに「ジブ」と呼び捨てにします。
      四季を通じて楽しまれていて、味の無い青菜、旬の根菜、茸、すだれ麩を取り合わせ、
      小麦粉をつけた肉(鴨、鳥、牡蠣など)を煮込んだ(ソース)で食べます。

      味は関東で食べた治部煮と全くちがい、濃厚で甘い味でした。
      加賀百万石といわれ裕福な人たちは、当時貴重だった砂糖を贅沢に使って
      甘みを楽しんだとか。藩政当時のままの味付けだそうです。

      仲居さんが面白いことを教えてくれました。
      「青菜を上手に使ってとろみを残さずに食べ、菜を残してください。
       武家料理ですので、
       武士は名(菜)を残す・・と言って、このような食べ方をします」

      輪島塗の器についても
      「加賀の人たちは外見は質素に・・を心がけ、
       中身は豪華にして楽しんでいました」
      幕府に目をつけられないように苦労していたようですね。

                  

   (8)酢物  蛍イカ みようが ウド きゅうり(太い・加賀野菜)
          レモン  酢味噌                
   (9)焼おにぎりのおだく掛け  小あられ 香の物
   (10)デザート   西瓜 バジル添え

大友楼で過ごした2時間余は加賀料理だけでなく
「加賀の歴史と文化をたっぷり味わう」時間となりました。
 
                                    
       (金沢・南砺の旅  前へ)     (次へ)

 追記)誤って未完のうちに投稿してしまい、ご迷惑をおかけしました。ご免なさい。                 
                 

金沢・南砺の旅  仙叟ゆかりの灑雪亭(さいせつてい)

2011年05月17日 | 2011年の旅
           (金沢市・玉泉園にある隠れ切支丹灯篭のマリア像)

ゴールデンウィークに石川県金沢市と富山県南砺市へ出かけました。

金沢といえば、裏千家四代・仙叟宗室(1621-1667)が活躍したところです。
金沢に現存する仙叟ゆかりの茶室・灑雪亭(さいせつてい)を訪ねてみました。

仙叟は三代玄白宗旦の四男、裏千家流の初代です。
仙叟は31歳の時、加賀三代藩主・前田利常に御茶堂として仕え、
150石を賜りました。
利常亡きあとには五代藩主・前田綱紀に仕え、その間、金沢と京都を
精力的に往復しながら、およそ二百十回の茶会を催しています。
72歳の時やっと致仕が許されて京都へ戻り、1967年76歳で亡くなりました。

「灑雪亭」は、兼六園の東隣にある西田家庭園「玉泉園」にあります。
「玉泉園」は、初代脇田直賢(なおかた)が着手し、、
四代九兵衛の代に完成した、上下二段式の池泉回遊式庭園です。

初代脇田直賢は朝鮮人で、名を金如鉄といいました。
7歳の時、征韓の役で孤児となり、豊臣秀吉の家臣・宇喜多秀家が
憐れんで如鉄を日本へ連れ帰りました。
その後、宇喜多秀家は失脚し、秀家夫人(前田利家の四女、豪姫)に伴われ
金沢城へ入り、二代前田利長夫人・玉泉院に育てられます。
如鉄は帰化し、前田家臣・脇田直賢となり、晩年には知行1500石となりました。
切支丹であったと伝えられています。

直賢の子の直能(なおよし)は加賀藩御茶堂の仙叟に茶を学んでいました。
仙叟の指導により直能は、邸内の一画、一段高くなっている高台に
茶室(二畳台目と一畳)と八畳書院の「灑雪亭」をつくりました。
玉泉園は、池や露地が現存する「灑雪亭」のある庭が最初に造られ、
下段の方に広げられたそうです。

さぁ、ご一緒に仙叟お好みの「灑雪亭」を見学しましょう。

              

              

写真は、灑雪亭の「腰掛待合」と「露地」です。
腰掛待合(1986年に復元)に腰掛け、美しい緑の苔に覆われ、
伽藍石がある石組の露地を歩むと、簡素な造りの茶室があります。
半間幅の土間庇(ひさし)があり、板戸もついていて雪国ならではの造りです。
ここから茶室へ入ります。

              

              

写真は、「貴人口と躙り口」と「茶室内部」です。
躙り口は板戸二枚の引違いで、その上が中連子窓、
この右手に障子二枚が入り貴人口となっています。
茶室は一畳と台目二畳と板付、炉は向切で、仕付棚がありました。
畳の寸法は京間と田舎間の合間の寸法だそうです。

柱は杉面皮、床は踏込の板床で、幅四尺五寸弱、奥行二尺強です。
床前に一尺二寸五分幅の松の板が入っています。
床柱は赤松皮付の二寸五分丸。
天井は、点前畳の上が落天井、その他は露地側へ流れる化粧屋根裏天井です。
茶道口は幅二尺八分の火頭形となっています。

              

この侘びた、寂びしいような茶室で、雪が降り灑ぐ(そそぐ)庭を眺めながら、
どんな茶会が催されたのでしょうか?
雪を風流に愛で、春の息吹きを感じ、苔の美しさに心躍り、
秋風に人生のはかなさを感じ、人を招き、茶を点て、茶をのむ・・・。
そんなことをぼんやり考えながら何度も茶室の中を覗き込みました。

「灑雪亭」の下段の旧脇田家本邸にある寒雲亭写しの茶室で、
菓子「かきつばた」と美味しい薄茶を頂きました。  
  
                    

明治11年に脇田家が屋敷、庭園を一切売却して金沢を去り、
その後所有者が点々と代り、西田家所有となり保護されました。
昭和46年(1971年)西田家より寄贈され、(財)西田家庭園保存会が設立され、
「玉泉園」の管理運営をしているそうですが、維持が大変なことを伺いました。
由緒ある庭園が後世へ伝えられることを願わずにはいられません・・・。    

                                   
       (金沢・南砺の旅  次へ)

いちねん会  唱和式(2)

2011年05月14日 | 七事式&いちねん会
(つづきです。花月あたりからだんだんわからなく・・・)

  茶碗がかえると総礼。
  茶碗へ湯を汲み、まわして捨て、茶碗を膝前に置いて客付へ廻り、
  「薄茶は花月で」と挨拶し、客は帛紗を腰に付けます。

  亭主は建水を引き、折据をのせた干菓子器を正客前へ置きます。
  亭主は建水を運び出し、踏込畳の敷き合わせに置き、仮座へ入り
  「折据おまわしを」と一礼。以下、花月と同様です。
  菓子付きなので茶巾で折据をまわします。
 
  薄茶は三服点てです。
  仕舞花は茶碗(三服目)を出すと、折据(すみかけ)に替え札を戻し、
  水一杓入れて控えています。
  三服目の茶を飲んだ月は茶碗を縁外へ預かり、
  折据が正客へ戻るのを待ちます。
  ここで月は定座に茶碗を返します。
  仕舞い花は茶碗を取り込み、総礼。座替わり。
  正客は折据を干菓子器にのせておく。

  仕舞い花は仕舞いつけ、道具を拝見に出します。
  柄杓、蓋置を棚に飾り、茶碗を勝手付に割付け、
  棗を棚に荘り、建水を持って下がり、敷き合わせに置き、
  自席へ戻ります。
  その間に、客は拝見をし、三客は拝見物をあずかっておきます。

  亭主は建水、続いて茶碗を引きます。
  水次を持ち出し、水指に水を注ぎ、水屋へ戻ります。
  三客は拝見物を定座へ返します。
  拝見物を持って亭主が立つと同時に客も立ち、
  正客は折据が乗った干菓子器を持って立ち、八畳へ戻ります。
  正客は干菓子器の正面を正し、下座へ置きます。

              
               
  薄茶が終わると、亭主は重硯が正客前へ置き、菓子器を持ち帰ります。
  縁内で下から順に硯を取りまわし、右膝脇へ置きます。
  墨をすって、短冊に和歌を書き、右膝脇へ置きます(縁内上から硯、短冊)。
  硯を縁内で上へ順に重ねて亭主へ送ります。
  亭主は蓋を閉め重硯を持って水屋へ戻り、文台を正客前へ運び、自席へ戻ります。

  正客から順次、短冊を取りあげ和歌を二度詠み上げ、
  短冊を文台の右から置いていきます。
  亭主は和歌を唱和し終わると文台を水屋へ下げ、送り礼に出ます。
  送り礼ののち、客は帛紗をしまい、退席し、水屋で互礼します。

  都忘れ   住む人の絶えて久しき山里の
          都忘れに春風ぞ吹く          暁庵

 
             

和歌や書は苦手ですが
短冊に書き、唱和するところは大好きな場面です。
次客さんが姿勢よく、短冊に筆を走らせている優雅な姿に、横目でうっとり。
皆さま、花に因む素晴らしい和歌を唱和してくださって
ご披露できないのが残念です。

後日、次客さんからメールを頂戴しました。
「野の花々の美しさに心打たれ、至福のひと時でした。
 歌を詠むのも他の方のを鑑賞するのも中々味わいのあることで
 何だかやみつきになりそうです・・・」

「また唱和式を致しましょう」
という声があがり、炉の時期にもう一度することになりました。
(よかった! 何度でも習いたい唱和式です)

    いちねん会 唱和式」(1)へ              



いちねん会  唱和式(1)

2011年05月13日 | 七事式&いちねん会
5月8日(日)は、七事式の勉強会・いちねん会でした。

床には、「薫風自南来」(くんぷう みなみよりきたる)。
清々しくも初風炉の設えがされていて、
席主お心入れの道具組や風炉の灰型を拝見して、みんなから嘆声が漏れました。
この一年が楽しみでもあり、七事式をしっかり勉強しよう!
と改めて思いました(この気持ちを忘れないようにしなくっちゃ・・・)。

                 

今日の科目は、炭付花月、唱和式、三友之式です。
唱和式と三友之式で花寄せがあるので、花を持ち寄りました。

花づもりをすると、
紫と白の藤、りら、七段花、空木、こでまり、水木、つぼサンゴ、椿、
破れ傘、苧環、シャガ、都忘れ、突抜き忍冬、蔓桔梗、撫子・・・

懸命に咲いている花がいとおしく、全て花台に乗せることにしました。
それに唱和では、花に因む和歌を詠むので、経験上、その花がないと
青くなる人
がいるかもしれませんし・・。

唱和之式の次第は、花寄せ、香(亭主が出香)、濃茶(亭主)、
薄茶(花月)、和歌、唱和となります。
札で役を決めますが、私は正客でした。
用意してくださった短冊を三枚に折りたたんで懐紙に挟み、席入りしました。
(以下は復習と忘備録です)

  亭主が花台を持ち出し、迎えつけの挨拶をします。
  亭主は床前に花台を運び、正客へ次礼してから最初に花を入れます。
  水を注いで水屋へ戻り、香盆を用意して茶道口へ控えています。
  正客から四客まで順次花を入れ、水を注ぎます。

                

  四客が席を立つ頃、亭主は香盆を持って踏込畳へ入り、香を焚きます。
  一度試し聞きをしてから(下座・左袖へ息を抜く)、
  かぎ畳を回り、正客前へ置きます。

 (香は伽羅ですが、急いで準備したせいか、香炉の火が消えかけて残念! )

  亭主まで香を聞くと、正客より「どうぞお香そのままに」。
  亭主は受けて、香盆を床に荘ります。
  亭主と同時に客も立って四畳半入りし、亭主は水屋へ戻ります。

  亭主は茶碗を運び出し、茶入を棚からとり(棗を棚中央へ直す)
  茶碗と置合わせ、建水を運び出し、常の如く濃茶を練ります。
  茶碗を定座へだすと、すぐに亭主の席へ入り、総礼。
  亭主が喫み終わり茶碗を置くと、正客より「拝見を」。
  亭主は拝見に出し、仮座から点前座へ戻り、水一杓帛紗腰。

       (長くなりましたので(2)へつづきます)       



正午の茶事  藤の咲く頃に (2)

2011年05月10日 | 思い出の茶事
  (つづき)
銅鑼が五つ打たれ、後座の席入りです。
躙り口を開け、正面の床を拝見したとたん
「あらっ!ご亭主様がいらっしゃるみたい・・・」
姫空木と名残りの椿が楚々と生けられていました。

山里棚に備前の水指、優雅な棗が飾られていて、
あとでお尋ねするのが楽しみです。
八寸の頃に煮えがついた湯が十分に練られ、松風を奏でていました。

濃茶点前が始まりました。
帛紗捌きの間合い、茶入や茶杓の清め、
柄杓からこぼれる湯の音、茶筅通しの指先と幽かな響き・・・、
一座の心地好い緊張感が濃茶への期待を高めていきました。
黒楽に映える緑を鑑賞しながら濃茶を頂戴しました。

「お服加減はいかがでしょうか?」
よく練られた濃茶は熱く、香り高く、
まろやかの中にも苦味がアクセントになっていて美味しかったです。
「とても美味しく頂戴しております」
ご亭主の安堵の気持ちが波長のように伝わってきます。

濃茶は青松園の「延齢の昔」、前席の菓子は亀屋万年堂の「遠山」です。
茶入は膳所の丸壺、仕覆は紺地の道元緞子でした。

              

後炭では炉中の炭の流れを鑑賞し、
共に稽古で学んだ輪胴の扱いを所望したり、
薄茶では、一度言ってみたかった
「どうぞ、ご自服を」
スムースにご自服して頂き、嬉しかったです。
気になっていた棗は淡々斎お好みの「霞棗」、山里棚にとてもお似合いでした。
ほっそりした形、溜塗の色艶、優美な霞の蒔絵を楽しみました。

「稽古道具ばかりで・・・」
とご亭主は謙遜されていますが、
全てにご亭主のお心入れとセンスを感じました。
又庵写しの茶室、ご亭主と半東のHさん、心に残る道具組、流れるような点前、
楽しく頼もしい次客のIさんと詰のAさん・・・
いろいろな要素がハーモニーとなって素晴らしい茶事でした!

次客のIさん曰く。
「パーフェクトな茶事でしたね。
 その中でご亭主とお正客さまの気持ちが響きあって、
 いろいろな思いを感じさせられました。
 お二人の喜びが連客へも伝わってきましたよ・・・(アリガトウ)」 

茶事も終わり近くになって、「汲古庵」(きゅうこあん)という庵名について
伺ってみました。
「汲古」は温故知新という意味ですが、さらに調べていると、
「古(いにしえ)をくみて、ながきつなを得たり」
という禅語に出会ったそうです。
意味するところは、
「人との出会いを大切にして、そこから新しい道(人生)を汲み直して歩む」

この禅語が心に入ってきて「汲古庵」と名づけられたのです。
とても素敵なお話でした・・・。

          
      (正午の茶事 藤の咲く頃に(1)へ)        

       写真の「藤の花」は、季節の花300の提供です。