![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/c7/d4d7aaeda2006b87e2ceacea4a031ea9.jpg)
畠山記念館を訪れた帰り、来た道を白金台駅へ戻りました。
やっとこの頃になって頭の中にある地図が動き始めました。
「日吉坂上」の表示とバス停、「八芳園」も目に入ってきましたが、
趣ある商店が軒を並べていた、以前の白金台の面影は見つかりません。
「もう無いと思うけれど・・・」
とバス停「日吉坂上」へ向かいました。
すると、とっくの昔に壊されたと思っていた旧国立公衆衛生院の建物が
私の記憶と変わらずに聳えていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/cc/d785f71a4e986c3a26364fe6401e9af5.jpg)
西欧の城砦を思わせる、塔のある赤煉瓦の建物を見た途端、
胸がキュンとなりました。
建築家・内田祥三によって設計され、1938年(昭和13年)に竣工した、
二つの塔のある巨大な建造物です(詳しくは下記参照)。
旧国立公衆衛生院は、日本の公衆衛生の向上を目的とした調査研究機関で、
米国ロックフェラー財団より多額の寄付を受け、1938年に設立されました。
2002年(平成14年)に改組廃止され、現在は国立保健医療科学院となり、
埼玉県和光市へ移転しています。
仕事の関係で何度も通った旧国立公衆衛生院ですが、
今は人が出入りできないように閉鎖されていました。
遠くから写真を撮って帰宅しましたが、
封印が解けたようにいろいろな場面が懐かしく甦ってきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/09/44eaad240a9847e8b78a70711dd21050.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/10/f495c081973893ec39bc070e7e307575.jpg)
1か月の新人研修で、分析機器を動かしデータをとった実験室。
講習会場の講堂は階段式で、高い窓や天井が印象に残っているけれど、
夏は天井の扇風機のみ、暑さでふらふらになったことも・・。
内田ゴシックともいわれる建物の中の一番美しい場所は、
玄関正面のロビーと踊り場のある優雅な階段だと今でも思う。
階段を下りるとき、実験中のことも白衣のことも忘れ、
舞踏会へ行く素敵なドレスの貴婦人になった気分を楽しんだっけ・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/fc/5e8882543da2be60f893ce2d1ad4762f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/5e/4907af66f9bd328f49d0671f1380a246.jpg)
そして、極めつけは化粧室(つまりトイレ)。
「本当にトイレなの?」と思うほどの広い空間は大理石が敷き詰めれ、
優雅に二つの個室がありました。
入るたびに「公衆衛生院にきている」ことを体感させられる、
存在感のあるトイレでした。
男子トイレも同じ思想で作られていることでしょう・・・。
(もちろん、覗いたことはありません、念のため)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/58/5aa1f8ca5ca6037e5d9e05b1289bddc2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/c4/193edb325fb8e80cecb42889f146a745.jpg)
旧国立公衆衛生院を見て、実感してもらいたくて
カガミ建築計画の各務氏のブログを拝見して、写真提供をお願いしました。
私にとって、茶の湯ではなく仕事に熱中していた時代の思い出の場所ですが、
各務氏にとっても、子どもの頃忍び込んで、野球をしたり、
建物の中を探検したりと、やはり思い出の場所だったようで、
なんか嬉しくなりました。
写真提供をご快諾いただき、ありがとうございました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/42/4b99e8cbbed75e530eb69ab442521b73.jpg)
この由緒ある、文化遺産ともいえる建造物が今後も残され、
大事に活用されることを切に願っています。
(前へ)![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_please.gif)
旧国立公衆衛生院の建物
所在地 東京都港区白金台4-6-1
設計者 内田祥三
施工 大倉土木
構造形式 鉄骨鉄筋コンクリート構造、鉄筋コンクリート構造
建築面積 2,923.09平方メートル(884.459坪)
延床面積 15,090.75平方メートル(4,564.748坪)
階数 地下2階、地上7階、塔屋2階
高さ 塔屋約36.20メートル、5階約23.10メートル
着工 1935年(昭和10年)3月
竣工 1938年(昭和13年)10月
やっとこの頃になって頭の中にある地図が動き始めました。
「日吉坂上」の表示とバス停、「八芳園」も目に入ってきましたが、
趣ある商店が軒を並べていた、以前の白金台の面影は見つかりません。
「もう無いと思うけれど・・・」
とバス停「日吉坂上」へ向かいました。
すると、とっくの昔に壊されたと思っていた旧国立公衆衛生院の建物が
私の記憶と変わらずに聳えていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/cc/d785f71a4e986c3a26364fe6401e9af5.jpg)
西欧の城砦を思わせる、塔のある赤煉瓦の建物を見た途端、
胸がキュンとなりました。
建築家・内田祥三によって設計され、1938年(昭和13年)に竣工した、
二つの塔のある巨大な建造物です(詳しくは下記参照)。
旧国立公衆衛生院は、日本の公衆衛生の向上を目的とした調査研究機関で、
米国ロックフェラー財団より多額の寄付を受け、1938年に設立されました。
2002年(平成14年)に改組廃止され、現在は国立保健医療科学院となり、
埼玉県和光市へ移転しています。
仕事の関係で何度も通った旧国立公衆衛生院ですが、
今は人が出入りできないように閉鎖されていました。
遠くから写真を撮って帰宅しましたが、
封印が解けたようにいろいろな場面が懐かしく甦ってきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/09/44eaad240a9847e8b78a70711dd21050.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/10/f495c081973893ec39bc070e7e307575.jpg)
1か月の新人研修で、分析機器を動かしデータをとった実験室。
講習会場の講堂は階段式で、高い窓や天井が印象に残っているけれど、
夏は天井の扇風機のみ、暑さでふらふらになったことも・・。
内田ゴシックともいわれる建物の中の一番美しい場所は、
玄関正面のロビーと踊り場のある優雅な階段だと今でも思う。
階段を下りるとき、実験中のことも白衣のことも忘れ、
舞踏会へ行く素敵なドレスの貴婦人になった気分を楽しんだっけ・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/fc/5e8882543da2be60f893ce2d1ad4762f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/5e/4907af66f9bd328f49d0671f1380a246.jpg)
そして、極めつけは化粧室(つまりトイレ)。
「本当にトイレなの?」と思うほどの広い空間は大理石が敷き詰めれ、
優雅に二つの個室がありました。
入るたびに「公衆衛生院にきている」ことを体感させられる、
存在感のあるトイレでした。
男子トイレも同じ思想で作られていることでしょう・・・。
(もちろん、覗いたことはありません、念のため)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/58/5aa1f8ca5ca6037e5d9e05b1289bddc2.jpg)
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旧国立公衆衛生院を見て、実感してもらいたくて
カガミ建築計画の各務氏のブログを拝見して、写真提供をお願いしました。
私にとって、茶の湯ではなく仕事に熱中していた時代の思い出の場所ですが、
各務氏にとっても、子どもの頃忍び込んで、野球をしたり、
建物の中を探検したりと、やはり思い出の場所だったようで、
なんか嬉しくなりました。
写真提供をご快諾いただき、ありがとうございました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/42/4b99e8cbbed75e530eb69ab442521b73.jpg)
この由緒ある、文化遺産ともいえる建造物が今後も残され、
大事に活用されることを切に願っています。
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旧国立公衆衛生院の建物
所在地 東京都港区白金台4-6-1
設計者 内田祥三
施工 大倉土木
構造形式 鉄骨鉄筋コンクリート構造、鉄筋コンクリート構造
建築面積 2,923.09平方メートル(884.459坪)
延床面積 15,090.75平方メートル(4,564.748坪)
階数 地下2階、地上7階、塔屋2階
高さ 塔屋約36.20メートル、5階約23.10メートル
着工 1935年(昭和10年)3月
竣工 1938年(昭和13年)10月