暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

横浜美術館の「原三溪の美術」展へ・・・その2

2019年07月25日 | 美術館・博物館


(つづき)
沢山の展示品の中で特に心に残ったものを記念に記しています(順不同)。

森川如春庵が作った信楽茶碗2碗(昭和4年ごろ)
信楽茶碗2碗が並んで展示されていました。
両方とも森川如春庵作、同じ土で作られていることが一目でわかりますが、次のエピソードが興味を引きました。

大きい方の信楽茶碗は、森川如春庵が自作し、中村富次郎(中村好古堂)に贈呈したもので、中村はこの茶碗に仕覆と箱を作り、三溪に箱書きを頼みました。
三溪は「熟柿」と名づけましたが、魅力的な信楽茶碗が大いに気に入り、「是非小生にも一碗御恵投願上度」と書かれた書簡を如春庵に送ったそうです。
後日三溪の元へ贈られたのがもう一つの、一回り小ぶりの信楽茶碗でした。
「熟柿」はどっしりとした形状が素晴らしく、茶事や茶会に映えると思いますが、三溪は贈られた小ぶりの信楽を日常的に愛用したのではないでしょうか。
手持ちの頃合いが良さそうで、上から覗き込むと見込のビードロ釉が美しい茶碗です。


    秋の終わりに春草廬へ


    三溪園の茶室・春草廬(重要文化財)

黒織部茶碗「文覚」
久しぶりに黒織部茶碗のお気に入りにお出合いし、この茶碗でお茶を一服頂けたら・・・とつい想像した。
歪みがあるので、「どこを飲み口にしようかしら?」と迷うのも楽しそう・・・緑色のふっくらとした薄茶が黒織部に映えて美しく、やがてゆっくり喉を潤していく。
飲み終わると、平たい底部に小さな緑の茶溜まりができて、その風情は如何ばかりか・・・想像はどんどん膨らんでとめどない。
胴に描かれた織部独特の大胆な幾何学模様がシンプルで好ましく、茶碗の印象を鋭くモダンなものにしている。
口縁部に白い釉薬が掛かり、その貫入の景色に一入魅せられました。

買入覚や「一槌庵茶会記」にこの作品と特定できる記述はないそうだが、漆塗りの箱の蓋表に「をり部」の紙片があり、蓋裏に朱の漆で「文覚」の銘と、三溪の花押が書かれている。
三つの△が並んだ三溪の花押、始めて拝見した朱漆の花押は生々しく今も脳裏に焼き付いています。


三溪園の茶室・蓮華院(元の場所と違う場所に建てられているが、こちらの小間が「一槌庵」)

高麗根来茶箱  朝鮮時代
「う~ん、何これっ?・・・なんて個性的な茶箱なんだろう!」と少々呆れ顔で三渓が自ら仕組んだ茶箱を長時間睨んでしまった。
説明よりも是非一見を・・・。手帖に書き写してきた解説を記します。

真鍮の鍵付きの李朝の手箱を茶箱としたもの。
S.13年4月の白雲洞の茶事に用いられている(仰木政斎「雲中庵茶会記」)。
当時の茶碗は柿の蔕「木枯」(別に展示中のNo.79)、茶杓は宗旦「何伽」。
薄器と香合は今も収められている。宗旦在判の曲物の中次と、香合は唐招提寺の釘隠しであった。
茶巾置に瓦経(がきょう)断片、釜敷に枯蓮の実が収められている。



   枯れた蓮の実


   9月頃の三溪園の蓮池

伝雪舟等楊 「四季山水図巻」 室町時代 京都国立博物館
三渓は終生この作品を鍾愛し、死去の前々日にこの巻子を枕頭に披いて生涯最後の鑑賞とした・・・と解説にありました。

牛を引いて田畑を耕す農夫、
仕事を終えたのだろうか・・畦道を行く農夫
池のほとりの梅の木の下で語り合う二人の男
川と橋が描かれ、風が松の梢を揺らしている

・・・図巻を見ていると「まるで三溪園みたい・・・」と思いました。
三溪園を造り、三溪園で暮し、三溪園を深く愛した三溪翁が生涯最後に見たという「四季山水図巻」、
その時の三渓の様子を想像すると、胸が張り裂けそうになりながら
「きっと三溪翁はこの図巻を見ながら三溪園を愉しく逍遥していたに違いない・・・」と思ったのでした。


 原三溪 「芙蓉」 (大正14年)

これから展示替えが2回位あるそうで、横山大観の「柳陰」(7/26~8/7)や下村寒山の「弱法師」(8/9~9/1)を鑑賞しに、また「原三溪の美術」展へ行きたいと思っています。 この夏は忙しくなりそうです。


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