お茶の郷・観月茶会の翌日、茶会へ参席した三人で
宇津ノ谷峠(うつのやとうげ)にある「蔦の細道」を歩きました。
宇津ノ谷峠は藤枝市岡部町と静岡市駿河区宇津ノ谷の間にあって、
峠を越す道が平安時代から現代まで時代に応じて造られ、
五つの道が現存しています。
その一つ、「蔦の細道」は平安時代の最も古い道で、
在原業平が東下りの折に通りかかり、和歌を詠んでいます。
駿河なる 宇津の山べの うつつにも
夢にも人に あわぬなりけり 業平
藤枝市岡部町側から道の駅を通り抜け、蔦の細道公園に車を停めました。
公園には在原業平、鴨長明、阿仏尼らが詠んだ歌や漢詩の板碑が
ずらりと並んでいます。
川添いに舗装された山道を登っていくと、
「蔦の細道」と書かれた石碑があり、けわしい古道になりました。
「この急峻な道を市女笠の女人が登って行ったのかしら・・・」
と思いながら、急な勾配、石がごろごろした道を喘ぎながら登りました。
茶畑やみかん畑もあり、今では山奥という感じはありませんが、
当時は蔦の生い茂る寂しい難所だったことでしょう。
(蔦の細道を行く)
(峠から岡部町方面の眺め)
急坂にやっと身体が慣れてきた頃、見晴らしの良い場所へ出ました。
藤枝市岡部町の方角が見渡せ、業平の歌が刻まれた歌碑があります。
ここが「蔦の細道」の峠で、ここから静岡市丸子方面へ下ります。
「さぁ、これからが本番!」と思っていたので、あっけない道のりでした。
杉林の道を下ると、現代の道・国道1号線に出ました。
(宇津ノ谷の集落)
旧東海道の丸子宿と岡部宿の間に宇津ノ谷という間宿(あいのしゅく)があり、
屋号をかかげた家並みが街道の面影を伝えています。
その一軒、お羽織屋と呼ばれる石川家に寄りました。
天正18年(1590年)3月、小田原の北条氏征伐に通りかかった
豊臣秀吉から拝領した「陣羽織」が飾られています。
(岡部宿の柏屋)
宇津ノ谷の集落を過ぎ、国産レンガで造ったという明治のトンネルを抜け、
旧東海道を歩き、元の蔦の細道公園へ戻りました。
ゆっくり見ながら2時間くらい歩いたでしょうか?
岡部宿の大旅籠(おおはたご)「柏屋(かしばや)」を見学してから
Mさんに焼津駅へ送ってもらい、また鈍行に乗って帰ってきました。
電車に乗るとすぐにぐっすり。
Hさんに声を掛けられ、車窓を見ると
富士山が青々と美しく、白い雲を従えて聳えていました。
(観月茶会(2)へ)
宇津ノ谷峠(うつのやとうげ)にある「蔦の細道」を歩きました。
宇津ノ谷峠は藤枝市岡部町と静岡市駿河区宇津ノ谷の間にあって、
峠を越す道が平安時代から現代まで時代に応じて造られ、
五つの道が現存しています。
その一つ、「蔦の細道」は平安時代の最も古い道で、
在原業平が東下りの折に通りかかり、和歌を詠んでいます。
駿河なる 宇津の山べの うつつにも
夢にも人に あわぬなりけり 業平
藤枝市岡部町側から道の駅を通り抜け、蔦の細道公園に車を停めました。
公園には在原業平、鴨長明、阿仏尼らが詠んだ歌や漢詩の板碑が
ずらりと並んでいます。
川添いに舗装された山道を登っていくと、
「蔦の細道」と書かれた石碑があり、けわしい古道になりました。
「この急峻な道を市女笠の女人が登って行ったのかしら・・・」
と思いながら、急な勾配、石がごろごろした道を喘ぎながら登りました。
茶畑やみかん畑もあり、今では山奥という感じはありませんが、
当時は蔦の生い茂る寂しい難所だったことでしょう。
(蔦の細道を行く)
(峠から岡部町方面の眺め)
急坂にやっと身体が慣れてきた頃、見晴らしの良い場所へ出ました。
藤枝市岡部町の方角が見渡せ、業平の歌が刻まれた歌碑があります。
ここが「蔦の細道」の峠で、ここから静岡市丸子方面へ下ります。
「さぁ、これからが本番!」と思っていたので、あっけない道のりでした。
杉林の道を下ると、現代の道・国道1号線に出ました。
(宇津ノ谷の集落)
旧東海道の丸子宿と岡部宿の間に宇津ノ谷という間宿(あいのしゅく)があり、
屋号をかかげた家並みが街道の面影を伝えています。
その一軒、お羽織屋と呼ばれる石川家に寄りました。
天正18年(1590年)3月、小田原の北条氏征伐に通りかかった
豊臣秀吉から拝領した「陣羽織」が飾られています。
(岡部宿の柏屋)
宇津ノ谷の集落を過ぎ、国産レンガで造ったという明治のトンネルを抜け、
旧東海道を歩き、元の蔦の細道公園へ戻りました。
ゆっくり見ながら2時間くらい歩いたでしょうか?
岡部宿の大旅籠(おおはたご)「柏屋(かしばや)」を見学してから
Mさんに焼津駅へ送ってもらい、また鈍行に乗って帰ってきました。
電車に乗るとすぐにぐっすり。
Hさんに声を掛けられ、車窓を見ると
富士山が青々と美しく、白い雲を従えて聳えていました。
(観月茶会(2)へ)