暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

京の茶所-1 大徳寺

2013年04月30日 | 京暮らし 日常編
4月26日~5月6日まで京都市と京都八幡市の19社寺で
春の「京都非公開文化財特別公開」が開かれています。
初日の4月26日にかねてより見学したいと思っていた
「大徳寺(本坊)」と「真珠菴(大徳寺塔頭)」へでかけました。

大徳寺は、臨済宗大徳寺派の大本山(京都市北区紫野大徳寺町53)、
広い寺域に本坊の他、別院二ヶ寺と二十一の塔頭(たっちゅう)を有します。

鎌倉時代の末期、宗峰妙超(大燈国師)は紫草繁る洛北の野原に
大徳という小庵を創りました。
宗峰妙超の学徳は次第に世に知られ、花園・後醍醐両天皇の帰依をうけ、
勅願所となりました。
嘉歴元年(1326年)に法堂が完成し、龍宝山大徳寺と命名されました。

室町時代には幕府の保護を辞退し、在野の禅院として独自の立場を貫きましたが、
応仁の乱で建造物のすべてを焼失しました。
その後、四十七世住持・一休宗純が堺の豪商の保護を受けて復興し、
豊臣秀吉や諸大名により寺領や建物が寄進され、江戸時代初期には
現在の建物のほとんどが整えられました。

              
               (雨後の大徳寺参道)
              
                   (利休に因む三門・金毛閣)

いつものように総門から入り、勅使門の前を通り、三門(山門)を見上げました。
この三門は金毛閣と呼ばれ、大徳寺最古の建造物の一つです。
応仁の乱で焼失後、大徳寺中興の祖・一休禅師の参徒である
連歌師・柴屋宗長の寄進により一階が創建されました。
60年後に千利休の寄進により現在の二階二層門になったそうです。

残念ながら今回、見学はできませんでしたが、京の茶所の一つです。
楼上には釈迦如来像や利休寄進による羅漢像が安置されていて、
天井の龍図は長谷川等伯筆です。
そして、この楼上に利休木造を置いたことが豊臣秀吉の怒りを買い、
利休切腹の原因と言われているのです。

              
                        (仏殿)
              
                     (大徳寺のイブキ)

続いて仏殿にお詣りしました。
仏殿はがらんとした禅宗独特の様式で、いつも清々しい気持ちになります。
仏殿前に大きな木、「大徳寺のイブキ」がありました。
仏殿は寛文5年(1665年)に再建され、その頃に植栽されたと思われます。
イブキはヒノキ科で、別名イブキビャクシンまたはビャクシンと呼ばれています。
ビャクシンといえば鎌倉建長寺の巨木を懐かしく思い出しました・・・。

やっと今回目的の本坊です(ふぅ~)。
庫裏から入り、応接室のような板敷の大きな部屋でしばし休憩、
古い木のテーブル、がっしりとした長椅子と肘掛け椅子、
どれも広い空間に合わせて大きいこと! 
肘掛け椅子に腰掛けて廻りを眺めると、
華鬘のような形の喚鐘(?)があったり、特大の鉄風炉が備えてあったり、
興味津々です(撮影禁止なので・・・)。

               

国宝の方丈と唐門へ。
方丈の廊下は鶯張、歩くたびに心地よい音が響きます。
通常の方丈は住持の居室や修行の場に使われますが、
ここ大徳寺は特別に、開祖・大燈国師の塔所(墓所)である雲門庵を
中心に構成されていて、建築様式も他とは違っています。

方丈建築は、前後2列、左右3列の計6室を並べる平面形式ですが、
大徳寺方丈は前後2列、左右4列の計8室をもつ特異な形式になっていて、
向かって右から2列目の前後2室は、大燈国師の塔所・雲門庵となっています。
雲門庵の一部は方丈北側に突き出ていて、渡り廊下から確認することができます。
宗峰は、
「自分の死後に、墓所として別の寺院を建てるには及ばぬ」
と遺言したため、このような形式になったそうです。
方丈の襖絵は狩野探幽筆、四季山水の水墨画などが描かれていましたが、
傷みもかなり進んでいて、この先心配です。

             
                   (歴史を感じる瓦)

                  
              (こちらは西本願寺の国宝・唐門です)

方丈前庭は天佑和尚の作庭、禅問答そのものの枯山水の庭です。
白砂の掃き方に二種あって静と動、あるいは大と小の波を表わしているとか。
広縁に長時間坐してみたい庭でもありました。

前庭の向こうに国宝・唐門がありました。
村上周防守が聚楽第の遺構を譲り受け、
明治になって明智門があった今の場所へ移築されました。
彫刻や金具が豪華ですが、先日見学した西本願寺の唐門(伝・聚楽第の遺構)より
ずっーと落ち着きがあり、小振りのような(?)です。
それが禅院にふさわしい気もしました。

方丈の東側の庭は小堀遠州の作庭です。

                            のち  のち 


       京の茶所-2 真珠菴へつづく



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。