暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

「洛南の秋の茶事」を終えて・・・(1)

2022年10月28日 | 社中の茶事(2018年~)

 

10月9日(日)は社中Sさんの正午の茶事が我が家で行われました。

Sさんにとって初めての茶事です。

Sさんはだいぶ前から時間をかけて茶事の内容(茶事の種類、日時、お客様、テーマ、道具組など)を考え、少しずつ具体的にしていきました。

開催は10月半ば、花が大好きなことから「秋の七草」をテーマに考えていましたが、関西(洛南)に住まいしていた頃の思い出に満ちた「洛南の秋」にテーマが変わりました。それは、Sさんが出逢ったお道具とのご縁が大きかったかもしれません・・・。

Sさんの想いをどのように表現しお客さまへ伝えるのか、一見難しそうですが、とても丁寧にお伝えできたように思います。

そして、何よりもお客さま一人一人をおもてなししたいという気持ちのこもった茶事になりました。

お客さまは、正客N氏、次客NYさま、三客Y氏、四客F氏、詰Iさまで、全員が社中の方です。

半東はAYさんが大活躍、暁庵は水屋でうろうろし一応手伝ったつもりでいます・・・

 

席入は11時半。板木が打たれ、半東Aさんが白湯をお持ち出ししました。

待合の掛物は短冊、近衛信尹筆の和歌が書かれています。

  永らえば 又この秋も めづらめと 思えば空の月もなつかし  

 

 

久しぶりの秋晴れになり、腰掛待合でしばしお待ちいただき、蹲をつかって席入りです。

亭主が迎え付けの間に、半東Aさんが濡れ釜を風炉に掛けました。

点前座には、唐銅道安風炉(一ノ瀬宗和造)に糸目桐文車軸釜(長野 新造)が掛けられ、竹風炉先屏風(竹峰作)が設えています。竹風炉先屏風は、かつて住んだ洛南・山崎の地には竹林が多く、その雰囲気を出したかったそうです。

棚は寿棚、高取焼の水指(十三代高取八仙造)、天板に羽帚と香合が莊られています。

 

お客様お一人お一人と親しく挨拶が交わされました。

Sさんはとても緊張したと思いますが、お客さまもきっとご亭主の緊張を自分のものとし、やさしく受け止めてくださったことでしょう。

床の掛物は、紫野 三玄院の長谷川寛州和尚の御筆で

   弄花香満衣 (花を弄すれば かおり衣に満つ)

 

初炭が始まりました。

香合は、待庵古材四方香合(不賢斎造)です。香は沈香(松栄堂)です。

或る茶道具展示会でこの香合と出逢ったことが今回の茶事のテーマ「洛南の秋」へ結びついたそうです。Sさんにとって洛南・山崎での暮らしぶりや四季の思い出が待庵の古材を使った香合から鮮やかに蘇ってきたことでしょう。

待庵(国宝)は、羽柴(豊臣)秀吉が山崎城築城に際し、堺から呼び寄せた利休が、大山崎在住中に建てたといわれる小間の茶室です。

羽柴(豊臣)秀吉は明智光秀との天下分け目の天王山の合戦(山崎合戦)に勝利した後、天王山に山崎城を築き、本拠地として半年間ほど住み、千利休を招いて城下に二畳の茶室を作らせたと言われています。
茶室はその後解体され、慶長年代(1596~1615)に妙喜庵(みょうきあん、京都府乙訓郡大山崎町)に移されたそうです。

 

      京都府乙訓郡大山崎町にある妙喜庵(みょうきあん)

待庵

       妙喜庵にある国宝の茶室「待庵(たいあん)」

初炭が終わり、先ほどの待合へ動座して頂き、そちらで昼食をお出ししました。

昼食は懐石ではなく、松花堂弁当(温石製)、汁、吸物、お酒をお出ししました。

選んだお酒は京都伏見の「澤屋まつもと 守破離」(松本酒造)、「とても美味しいお酒でした・・・」と好評でした。(つづく)

      

     「洛南の秋の茶事」を終えて・・・(2)へつづく

 

 


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