暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

本占い・・・「主人公」

2020年04月18日 | 暮らし

  (土佐水木と岩根絞り(最後の蕾です)、花器は小代焼)

 

   (ベランダ席・・・丸いテーブルにしてみました)

 

皆さま、新型コロナウイルス対策で外出自粛の折、家の中でどのように過ごしていらっしゃいますか?

一人遊びはしていますか? 片づけ物ははかどりましたか? ・・・とっても興味があります。

暁庵は生来の怠け者で、掃除や片づけ物が苦手です。

それでも、この機会に本を半分に減らしたいと重い腰をあげました。

2階にある書斎の本棚は既に飽和状態で、重量的にも床が持つか心配になっています。

本棚の一段を選び、A(処分)とB(お茶関係で処分)の2つの段ボールに分けてみました(先ずはウォーミングアップから・・・)。

2日目は段ボールの数を増やし、ツレも動員し、いらない本をどんどん選んでいきました。

ツレは再点検して、残す本、廃棄する本、売れそうな本、寄付する本、文庫本、漫画などに分類して紐で縛っていきます。

 

  (今、茶室に段ボールと本があふれています)

 

愛読書で捨てられなかった本や大好きな漫画(ベル薔薇・・)も思い切って捨てました。それでも、呆れられながら「ガラスの仮面」は残しました・・・。

お茶関係の本や雑誌はなかなか捨てられず、占有率が多くなってしまいそう・・・もう一日増やして、お茶関係の本を整理する予定です。

いつものことですが、読みたい本や読んでいなかった本がたくさん見つかり、手元に積んであります。

その中に「心が晴れる禅の言葉」(赤根祥道著、中経の文庫)がありました。いつ買ったのか、自分で買ったのかも定かでありません。

大昔、高校生だった時、ハチこと村田先生(お河童頭のユニークな先生だった・・・)に教えて頂いた聖書占い(違う言葉だったかも?)を思い出しました。

一日一回、または迷い行き詰まった時、聖書を無作為に開くと、その頁にその時に必要な言葉や背中を押してくれる言葉が書かれている・・・と。

バスの中だったけれど、先生は実際に聖書を開いて、その頁に書かれていることを噛み砕いてお話してくださったことが鮮明に思い出されます。

新型コロナウイルスとの戦いが続く中、聖書占いのように何か啓示が欲しいと願いながら、「心が晴れる禅の言葉」を開けてみました。すると・・・。

 

人公惺惺着(しゅじんこう せいせいじゃく)也」 河野太通師筆

 

そこには「主人公」・・・本来の自分を覚ましつづける   出典「無門関」

人は、本当に自分自身の主人公でいるかどうか、きわめて疑わしい。

他人のちょっとした批判を気にして、その言葉に引っかかり、何日も何日もこだわり続けている。自分の主人公は、他人になっていて、本当の自分はどこかへ置き忘れてしまっているのだ。・・・(中略)・・・

人は真の主体性をもつことが何よりも大切だ。

 

ウ~ン・・・ざっくりと心に突き刺す禅語でした。自分を見失って、おろおろしている自分を、まるで映画のように見るようでした。それに時々、自分で自分がわかっていない・・・と思うことがあるからです。

今日は、「主人公」の色紙を掛けて、その意味するところをじっくり考えてみることにしましょう。   

    


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