(本席に「點笑」の軸を掛けました)
2020年11月28日に口切の茶事をしました。
京都での茶事修行(?)を終えて2015年1月に横浜へ戻った時に、いくつかやりたいことがありました。
その一つが「口切の茶事」でした。毎年、11月に茶人の正月を祝う「口切の茶事」を我が家(暁庵)で開催したい・・・と思ったのです。
その時の心境や茶事の様子をブログに書き留めています・・・よろしかったらご覧ください。
それ以来6年経ち、思うように出来たり出来なかったり、怪我で中止になったり、エネルギー不足だったり、いろいろでした。
2015年11月 口切の茶事(2015年)
2016年11月 口切の茶事を2回しました
2017年11月 中止(茶事直前の2017年11月21日右膝故障のため)
2018年11月24日 2018年口切の茶事を終えて
2019年11月10日 2019年「炉開き&口切の会」(茶事はお休みでした)
昨年(2019年)は、11月にイベントが重なり「炉開き&口切の会」のみで済ませています。
今年こそ・・・と思いながら左膝痛に加えて腰痛もあり、無理は出来ない・・・状態でした(トホホ・・・)。
「そうだわ! 社中の方に亭主をやっていただいて、私は半東などサポートに廻れば「口切の茶事」は続けられる」と思い、KTさんにお声掛けをしました。
KTさんが初めての口切の亭主を引き受けてくださって、暁庵が半東、懐石は2年ぶりに佐藤愛真さんにお願いしました。
コロナ禍なのでお客さまが来てくださるかどうか心配でしたが、5人のお客さまが快諾してくださって感謝しています。正客Oさま、次客Yさま、三客Hさま、そして四客Iさまと詰M氏は暁庵社中です。
(亡き母の形見でもある「秋耕」を待合に掛けました)
席入は11時、M氏の打つ板木の音が高らかに聞こえ、梅昆布茶をお持ちしました。
三密対策で窓をあちこち開放していたのですが、風もなく穏やかな小春日和でラッキーでした。
待合の掛物は「秋耕」という題の日本画、作者は野沢蓼州(河合玉堂門下)です。
煙草盆は春慶塗、火入は染付・冠手で、口切のお祝いの気持ちを込めました。
コナラと木蓮の落葉が掃いても掃いても降りそそぐ露地ですが、腰掛待合でしばし「開門多落葉」の風情を楽しんでもらえたら・・・と思いながらご案内しました。
「お召し上がりになりましたら、腰掛待合へお出ましください」
亭主KTさんが水桶を持って蹲へ向かい、あたりを清めています。迎え付け出ている間に濡れ釜を掛けました。釜は霰唐松真形、美之助造です。
本席の掛物は「點笑」(てんしょう)。
どのような困難な時であっても、このようなコロナ禍であっても「笑いをたやさないこと」という意味です。読みにくいですが胸に迫るような御筆は東大寺管長でいらした清水公照師です。
せめて今日一日、笑いを絶やさず茶事を愉しんでいただけたら・・・とKTさんが選びました。
床の勝手付きに網袋に入った茶壷を飾りました。
ご挨拶が交わされ、茶壷の拝見が始まったようです。
茶壷は仁清写しの京焼で、吉野山の春の景色が美しく描かれています。
もう一つの見方として、吉野山に陽が昇り、満開の桜の山々を照らし、やがて山間に沈んでいく・・・という一日の景色、または人の一生のようにも思える茶壷です。それぞれの方の感性でいろいろ楽しんでいただければ・・・嬉しいです。
(仁清写しの茶壷・・・いろいろな見方が楽しい。後座の床の写真です)
茶壷の拝見が終わり、いよいよ口切です。口切の時に茶道口から失礼してKTさんの晴れ姿を撮らせて頂きました。
(小刀で口を切っているところです)
(詰茶を葉茶上戸に少し出してから、濃茶を選びます)
「いずれのお茶を差し上げましょうか?」
「・・・初昔をお願いします」と正客Oさまが御茶入日記を見ながら応えます。
「承知いたしました」とKTさん。陰で伺っていた暁庵は内心シマッタ!でした。京都・柳桜園の口切の時期だけに販売される「無上」をご用意していたのを言い忘れていました。
茶の入った半袋3つのうち1つが取り出され、茶銘を読み上げ、挽家(ひきや)に入れました。
「初昔でございます」
「トントントト・・・トーン」という音が聞こえてきました。葉茶上戸から詰茶が挽家に入られ、茶壷に戻され、再び口が封印される様子を想像しながら・・・こうして口切が無事に終了しました。(つづく)