春草蘆の入口で半東のNYさんが出迎えてくださり、広間(春草蘆に付随する8畳)へ入りました。
広間の床には古筆の百人一首切が掛けられていました。和歌は三首、二条中納言為相(冷泉為相)の御筆です。
おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つ杣に 墨染めの袖
花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり
来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに やくや藻塩の 身もこがれつつ
(古筆「百人一首切」)
最後の「来ぬ人を・・・」の和歌は百人一首を選定した藤原定家の作で、定家は筆者の冷泉為相の祖父にあたります。為相の母は「十六夜日記」の作者の阿仏尼です。
また、三渓園に春草蘆を移築した原三渓翁は4歳にして百人一首をそらんじていたというエピソードがあり、きっと三渓翁も喜んでくださったことでしょう。
秋の名残りの花が7種(ススキ、シュウメイ菊、ホトトギス、木槿、秋海棠、水引など)、宗全籠に生けられていました。
(名残りの花がいっぱい宗全籠に生けられています)
広間で第1席のお客さま(ルースさま、EKさま、宗弥さま、宗里さま、宗敦さま、宗優氏)に正客として同席させて頂きますことをご挨拶しました。
主菓子の銘「山づと」(栗きんとん)を頂戴しました。ご近所さんの石井菓子舗(横浜市旭区都岡)が茶会のために特別に創ってくださったのですが、栗の風味が生かされてとても美味しかったです(アリガトウ!)。
(主菓子「山づと」(石井製))
その後に金剛流をお習いのEKさまが暁庵の喜寿を祝って「猩々」を舞ってくださいました。それも生のお謡いで・・・。S先生の東京教室でご一緒にお習いしている宗優氏が即興で「猩々」を謡ってくださったのです。
以下にEKさまからのメールの一部を記します。
EKさまから
暁庵先生へのお祝いの気持ちを表現するのに、やはりこういった余興もいいかなと思いまして、お見苦しいかもしれませんが、頑張りたいと思います。
「猩々」は祝言の曲なので、京都でも自宅で宴会をするときは(私が子供の頃は一般家庭でも結婚式や葬式、結納、誕生祝などで宴会してました)、よく「猩々」を謡って舞ってました。
(茶会後の旅で出会った能画「猩々」・・・椿寿莊(新潟県田上町))
仕舞の謡は以下に書きました。酒は菊の水、尽きせぬ命の泉ですから飲めば飲むほど酔うことなく不老長寿となります。喜寿にふさわしいかなと。短いし・・(笑)。以下に謡を書いておきます。
よも尽きじ。萬代までの竹の葉の酒。酌めども尽きず。飲めども変わらぬ秋の夜の盃。
影も傾く入り江に枯れ立つ。足もとはよろよろと。酔いに臥したる枕の夢の。
覚むると思えば泉はそのまま。尽きせぬ宿こそ。めでたけれ
第1席のお客さまだけでなく、スタッフの方もご一緒にEKさんと宗優氏のコラボの仕舞に見惚れました。なんか胸の奥が熱くなってきました・・・。
仕舞のEKさんも謡の宗優氏も本当に凄い!です。
お祝いの席を盛り上げてくださったお二人のお気持ちがとても嬉しかった!し、これで不老長寿も間違いなし・・・かな?(つづく)
喜寿を祝う三渓園茶会・・・(3)へつづく (1)へ (4)へ (5)へ