両足院の半夏生の庭
7月2日は半夏生(はんげしょう)でした。
自転車に乗って、半夏生で名高い建仁寺塔頭・両足院へ。
半夏生は雑節の一つで、天球上の黄経100度(90度が夏至)の点を
太陽が通過する日です。
半夏生(半化粧とも、別名カタシログサ)という草の葉が半分白くなって
化粧しているようになる頃・・と言われています。
半夏生の葉っぱと花 (季節の花300提供)
半夏生はまっ盛りで、庭園の特別拝観も7月10日で終了です。
葉っぱの先端の三枚が白くなって、遠目には花のようですが、
よく見ると花穂をいっぱい付けています。
半夏生を見ながら、次のようなお話に興味深く耳を傾けました。
玄関へのアプローチ
半夏生の庭へ
両足院は、臨済宗建仁寺の開山・栄西(ようさい)禅師の法脈を受け継ぐ、
徳見(とっけん)禅師を開山とする建仁寺の塔頭です。
建仁寺開山の栄西禅師は、1191年中国(宋)から帰国し、臨済宗を伝えました。
その時、茶の種を日本へ持ち帰り栽培し、製茶法や茶の点て方を伝授しました。
建仁寺境内に「栄西禅師 茶碑」と、著書の「喫茶養生記」の冒頭の句、
茶は養生の仙薬なり
延齢の妙術なり
を記した「顕彰碑」が建てられています。
「栄西禅師 茶碑」 (建仁寺境内)
両足院の開山・徳見禅師は21歳で中国(元)へ渡って苦行を重ね、
中国で途絶えそうになっていた臨済宗黄龍派を再興し、中興の祖となった方です。
中国に45年滞在の後、足利尊氏の招きにより帰国します。
京都に戻り、建仁寺・南禅寺・天竜寺の住持となり、多くの後進を指導し、
「真源大照禅師」の号を賜わりました。
1358年11月13日に75歳で示寂。
遺偈は、
西涌東没 ・・・西に涌いたかと思うと東に没する
南往北来 南へ行ったかと思うと北へやって来る
末期一句 最後のわかれの一言
掘地深埋 地面を掘って深く埋めなさい
その遺言に従い、知足院(現・両足院)の地中深く葬られているそうです。
茶室・水月亭(如庵の写し、二畳半台目)
案内人から両足院の歴史を伺ったことで、長年の疑問が一つ解けました。
日本に「饅頭」を伝えた「林浄因」のことです。
昨年、如月の茶事へ伺った折、塩瀬総本家製の菓子を頂戴し、
「明代の詩人・林和靖(りんなせい)の子孫が日本に饅頭を伝えた」
という話をされたのですが、全く知らなかったので、後で調べよう
・・・とそのままになっていたのです。
林浄因は林和靖の末裔で、徳見禅師に深く帰依し、
禅師の帰国の際に、別れがたく禅師に従って日本へやってきました。
その後、林浄因は奈良に居を構え、饅頭を作って売り出したところ、
甘葛の甘味と塩味を加えた餡が評判となり、繁盛します。
饅頭屋は、林淨因の子孫が受け継ぎ、650年の歴史を背負う、
菓子老舗「塩瀬総本家」となっています。
鶯の練きり(赤坂の塩瀬総本家製)
林浄因にあやかって美味しい和菓子を作ろうと、
帰りに三条の生あん屋へ寄り、餡を買って帰りました。
あらっ? なんだか半夏生より饅頭の話になってしまいましたね・・。
7月2日は半夏生(はんげしょう)でした。
自転車に乗って、半夏生で名高い建仁寺塔頭・両足院へ。
半夏生は雑節の一つで、天球上の黄経100度(90度が夏至)の点を
太陽が通過する日です。
半夏生(半化粧とも、別名カタシログサ)という草の葉が半分白くなって
化粧しているようになる頃・・と言われています。
半夏生の葉っぱと花 (季節の花300提供)
半夏生はまっ盛りで、庭園の特別拝観も7月10日で終了です。
葉っぱの先端の三枚が白くなって、遠目には花のようですが、
よく見ると花穂をいっぱい付けています。
半夏生を見ながら、次のようなお話に興味深く耳を傾けました。
玄関へのアプローチ
半夏生の庭へ
両足院は、臨済宗建仁寺の開山・栄西(ようさい)禅師の法脈を受け継ぐ、
徳見(とっけん)禅師を開山とする建仁寺の塔頭です。
建仁寺開山の栄西禅師は、1191年中国(宋)から帰国し、臨済宗を伝えました。
その時、茶の種を日本へ持ち帰り栽培し、製茶法や茶の点て方を伝授しました。
建仁寺境内に「栄西禅師 茶碑」と、著書の「喫茶養生記」の冒頭の句、
茶は養生の仙薬なり
延齢の妙術なり
を記した「顕彰碑」が建てられています。
「栄西禅師 茶碑」 (建仁寺境内)
両足院の開山・徳見禅師は21歳で中国(元)へ渡って苦行を重ね、
中国で途絶えそうになっていた臨済宗黄龍派を再興し、中興の祖となった方です。
中国に45年滞在の後、足利尊氏の招きにより帰国します。
京都に戻り、建仁寺・南禅寺・天竜寺の住持となり、多くの後進を指導し、
「真源大照禅師」の号を賜わりました。
1358年11月13日に75歳で示寂。
遺偈は、
西涌東没 ・・・西に涌いたかと思うと東に没する
南往北来 南へ行ったかと思うと北へやって来る
末期一句 最後のわかれの一言
掘地深埋 地面を掘って深く埋めなさい
その遺言に従い、知足院(現・両足院)の地中深く葬られているそうです。
茶室・水月亭(如庵の写し、二畳半台目)
案内人から両足院の歴史を伺ったことで、長年の疑問が一つ解けました。
日本に「饅頭」を伝えた「林浄因」のことです。
昨年、如月の茶事へ伺った折、塩瀬総本家製の菓子を頂戴し、
「明代の詩人・林和靖(りんなせい)の子孫が日本に饅頭を伝えた」
という話をされたのですが、全く知らなかったので、後で調べよう
・・・とそのままになっていたのです。
林浄因は林和靖の末裔で、徳見禅師に深く帰依し、
禅師の帰国の際に、別れがたく禅師に従って日本へやってきました。
その後、林浄因は奈良に居を構え、饅頭を作って売り出したところ、
甘葛の甘味と塩味を加えた餡が評判となり、繁盛します。
饅頭屋は、林淨因の子孫が受け継ぎ、650年の歴史を背負う、
菓子老舗「塩瀬総本家」となっています。
鶯の練きり(赤坂の塩瀬総本家製)
林浄因にあやかって美味しい和菓子を作ろうと、
帰りに三条の生あん屋へ寄り、餡を買って帰りました。
あらっ? なんだか半夏生より饅頭の話になってしまいましたね・・。