暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

飛雲閣茶席と祝賀能  その1

2013年05月24日 | 京暮らし 年中行事
                 西本願寺の大銀杏(樹齢500年)

本願寺(西本願寺)の宗祖・親鸞聖人の誕生を祝う宗祖降誕会(こうたんえ)が
5月20日と21日に行われました。
宗祖降誕会行事の中で、国宝「飛雲閣」の茶席と祝賀能へ参加しました。

      お茶席   5月20日 12:30~16:00
              21日  9:30~15:30
            ところ   飛雲閣

      祝賀能   5月21日 開演 12:30  
              能   敦盛
              狂言  因幡堂
              能   国栖(くず)
            ところ   南能舞台

                    

西本願寺に8時50分に到着、すぐに参拝篤志(五千円以上)をお納めして、
観能券と茶席券を頂きました。
観能整理券をゲットし、飛雲閣の茶席入口へ行くと、すでに長蛇の列です。
国宝「唐門」の前で待つこと約30分、やっと行列が動き出し、
それからは25人ずつの席入りで、スムーズに進みました。

               
                 塀の向こうにちらっと見えるのが飛雲閣

滴翠園に点在する茶室や石灯籠、屋根つきの橋を見ながら進み、
正面の池・滄浪池(そうろうち)の前でしばらく待たされました。
飛雲閣へ渡る石橋が狭いこともありますが、ここでゆっくり建物を鑑賞していると、
お茶席への期待がいや増してきます。

飛雲閣を間近に観るのは、4月の特別公開(外観)に続いて二度目ですが、
とても謎の多い建造物で、いつ誰が造り、どうして西本願寺へ移築されたのか、
諸説紛々で、はっきりしません。
ここでは聚楽第の遺構という俗説(?)を採用することにします。

                
                     国宝・唐門 (伏見城から移築)
                
                     見事な極彩色の彫刻

西本願寺が現在の地に本山を構えることが出来たのは、
豊臣秀吉が七條坊門堀川に寺地十余万歩を寄進したことに始まります。
天正19年、始めて現在地に御影堂を建てることができ、本山安泰となったのですが、
元和4年の火災で建物が焼失してしまいました。
そこで、飛雲閣、黄鶴臺を聚楽第より、又四脚門、書院を伏見城から移築し、
御影堂は寛永13年、阿弥陀堂は宝暦10年に再建され、現在に至っています。

飛雲閣は、柿(こけら)葺三層の建物(内部は四層)で、各階で外観と印象が違います。
先ず屋根の形が全部違い、上層は宝形、中層は寄棟と唐破風、
下層は入母屋切妻と軒唐破風です。
杮葺の各屋根が調和して、しっとりとした美しさを醸し出しています。

目を奪うのは2階の板戸に描かれた三十六歌仙で、歌仙の間と呼ばれています。
華やかでもあり、優雅な桃山文化の粋を思わせますが、
落ち着いた杮葺の建物に似合わないと思うのは私だけでしょうか。
3階は摘星楼といい、八畳の草庵風の詫びた作りになっているとか。

飛雲閣を見るといつも(・・まだ二回目ですが)、
横浜三溪園・聴秋閣の佇まいが懐かしく思い出されます。

               
                       御影堂と阿弥陀堂

飛雲閣へ行くには、今は狭い橋を渡って行きますが、
かつては船で池を渡り、船着き場の階段を上って舟入の間へ入りました。

ようやくご案内がありましたので、橋を渡り、仮設玄関から飛雲閣へ入りました。
待合は舟入の間です。
窓から眺める池水や築山、下は船着き場の石の階段、
やっと飛雲閣へ入れ、そちらからの眺めに感激です!

主室・招賢殿の一の間と二の間が茶席になっていて、
毛氈が長々と二列に敷かれ、一列25名の席となっていました。
一の間の床には「石玉而山輝」、有栖川熾仁親王筆です。
石温めれば玉となりて山輝やけり・・・と読むのでしょうか。

池に面した小書院には、花が堂々と生けられています。
芍薬、菖蒲・・・・敷板は真塗長板を斜めに、花入は青釉の遊環です。
茶席は藪内流とありましたが、点前はなく水屋からの運びでした。
お菓子「憶昔(いくじゃく)」(亀屋陸奥製)が運び出され、
唐津風の天目茶碗で薄茶を頂きました。

              
                     大銀杏の全景
              (天然記念物で「水吹き銀杏」または「逆さ銀杏」という)

宗祖降誕会の祝賀のお茶席なので、全国から信徒さんがいらして
気楽にお茶に親しめる席になっていました。
これだったら来年は主人を誘っても大丈夫・・・かな。
お菓子を頂き、お茶を飲んでいる間にお坊さまが飛雲閣の歴史、お軸のことなどを
繰り返し易しくお話してくださっています。

今回は見学できませんでしたが、飛雲閣の左手に付随して、
茶室「憶昔席」(いくじゃくせき)があります。
この茶室は、寛政7年(1795年)に茶人・藪内竹蔭らによって増築されたものです。
壁は赤壁(外からわかりますが)、躙り口を入ると、板廊下があり、
その奥に「憶昔」の額が掛けられた、三畳半の茶室があるそうです。

「憶昔席」へ席入りして一服頂けたら・・・夢でしょうかね。
夢はみないと叶わないそうなので、夢見ることにいたしましょう。
                                  


          飛雲閣茶席と祝賀能  その2へ続く