暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

飛雲閣茶席と祝賀能  その2

2013年05月26日 | 京暮らし 日常編
                 平敦盛と熊谷直実を描いた杉戸

国宝「飛雲閣」でお茶を頂き、御影堂へお詣りすると、
親鸞聖人降誕会法要の最中で、正信念仏偈が唱えられていました。
しばし、法要参加の方々とご一緒にその偈文(詩)を唱和しました。
その後も音楽法要や雅楽献納会が行われたようですが、
途中で失礼して祝賀能の整理券の列に並びました。

私の整理券番号は「えの33番」、あいうえお順で各100番まであります。
開場となり、南能舞台のある書院へ初めて入りました。
正面席へ進み、まあまあ舞台と橋掛かりが見える席に正座しました。

そこは、203畳敷きの大広間(対面所)で、欄間に雲中飛鴻の彫刻があるので
鴻の間と呼ばれています。
能舞台は大広間の南側に庭をはさんであり、三方から見ることができます。
見渡すとざっと千人以上、老弱男女が入り乱れて座し、
これから始まる祝賀能を今かいまか・・・と。
なんか、凄いエネルギーです!

             

本願寺と能との縁の深さを初めて知りました。

その昔、本願寺八代蓮如上人(1415-99)の頃、法事の余興として能を催したのが
始まりで、その後、単なる余興だけではなく、民衆教化の手段として
積極的に取り入れられるようになります。
また、坊主衆は能や謡を嗜み、能・狂言役者が出入りし、
本願寺を中心とした能文化の保護・集積が盛んに行われ、
戦国期、江戸時代、そして現在まで続いていることを知り、驚きました。

                 
                    

そんな本願寺の能を雄弁に物語る三つの能舞台があります。

第一は、国宝・北能舞台です。
戦国期、本願寺坊官であり、能の名手であった下間仲之は徳川家康より
駿府城の能舞台を拝領しました。後に下間家より本願寺へ寄進されました。
天正9年(1581)の 墨書が遺されていて、日本最古の能舞台とされています。

第二は、祝賀能が催された南能舞台(重要文化財)です。
明治20年代になって祝賀能開催が恒例となったため、
それまで解体保管されていた南能舞台を明治29年に現在地に再築しました。
その後毎年、南能舞台で祝賀能が京都観世会の奉仕により行われています。

第三は、書院の北と南にある二つの常設能舞台の他に、
白書院三の間・菊の間・対面所下段(いずれも国宝)には、
畳を取り除くと能舞台になり、能が演じられる設えになっています。

              


歴史ある南能舞台を囲んで祝賀能を待つ信徒や民衆、
空間を譲り合いながらじっと開演を待っています。
その逞しいバイタリティは能の魅力に比例するのでしょうか。
民衆教化のためだけでなく、もっと大きな力のうねりを感じました。

能「敦盛」が始まりましたので次回に続きます。


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