暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

鹿ケ谷カボチャ供養

2012年07月27日 | 京暮らし 年中行事
長い梅雨が明けて、今京都では土用の行事があちこちで行われています。
毎年7月25日に左京区鹿ケ谷にある安楽寺では
「中風まじない鹿ケ谷カボチャ供養」が行われます。

土用の丑の日に暑気払いとして鰻を食べる習わしはありますが、
カボチャ、しかも中風まじないとは、御利益を願って行くしかありません。
それにカボチャ供養が行われる住蓮山安楽寺は普段は非公開なので
この日を密かに待っていたのでした。

                  
                  哲学の道で見つけたカボチャ供養の案内
                  

哲学の道を若王子から北へ辿り、大豊神社の前を通り過ぎて山側の道へ入ると、
住蓮山安楽寺があります。
いつも静かな門前ですが、この日はカボチャや京野菜や陶器の出店があり、
十時だというのに大勢の人で賑わっていました。

美しい茅葺屋根の山門をくぐり、本堂でご住職から寺の歴史を伺いました。
寺宝の掛軸が掛けられ、その虫干しを兼ねて拝観する機会を作っておられるとか。

                  
                  
                 
安楽寺の由来ですが、悲しい物語にしばしお付き合いください。
                  
   鎌倉時代のはじめ、法然上人の弟子の住蓮上人と安楽上人がこの近くに
   鹿ケ谷草庵を結び、修行と布教の日々を送っていました。
   後鳥羽上皇に女官として仕えていた松虫姫と鈴虫姫の二人は
   法然上人の教えにより仏門に帰依し、やがて出家を望むようになりました。

   建永元年(1206)、後鳥羽上皇が熊野参詣へ出掛けた留守中に
   二人は御所を忍び出て鹿ケ谷草庵を訪れ、
   住蓮上人と安楽上人の前で出家剃髪しました。
   松虫姫は19歳、鈴虫姫は17歳でした。

   このことを知った後鳥羽上皇は激怒し、住蓮証人と安楽上人は斬首、
   法然上人(75歳)は讃岐国(現高松市)へ、親鸞聖人は越後国(現上越市)へ
   流罪となりました。
   許されて流罪地から戻った法然上人は荒れ果てた草庵を復興し、
   「住蓮山安楽寺」と名づけて両上人の菩提を弔う寺としました。

   松虫姫と鈴虫姫ですが、その後二人は瀬戸内海の生口島へ移り、
   念仏三昧の余生を送り、松虫姫は35歳、鈴虫姫は45歳で
   往生を遂げたと伝えられています。

                  
                     境内にある松虫姫と鈴虫姫の供養塔


                   
                   

さて、いよいよカボチャ供養です。
書院で甘辛く煮た鹿ケ谷カボチャと冷たい麦茶が振舞われました。
鹿ケ谷カボチャは珍しいひょうたん型の大型カボチャでした。
若いお坊さまのお話では、鹿ケ谷の土は固く、カボチャしか育たなかったので、
300年前の住職が中風除けと鹿ケ谷の地域活性化を願って始められたそうです。

                   
                   

今では鹿ケ谷でカボチャを作る農家は無くなってしまったので、
鹿ケ谷カボチャを集めるのに苦労されているそうです。
毎年800~1000人が訪れるので、300キロのカボチャを用意するとか。
カボチャの煮物は檀家の婦人たちが5時起きで料理し、
給仕の男の子たちは近所に住む小学生や中学生です。
鹿ケ谷の地域活性化で始まったカボチャ供養ですが、
また別の地域の絆をしっかりと育んでいるようです。

帰りに鹿ケ谷カボチャを買い、宝物の虫拂が行われている真如堂へ向かいました。 

                   
                     鹿ケ谷カボチャと中風まじないの護符