暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

四国遍路・一期一会  遍路ころがし

2009年07月09日 | 四国遍路
「遍路ころがし」と呼ばれる難所のトップは、第十一番札所藤井寺から
第十二番札所焼山寺へ至る遍路みちです。

アップダウンが多く、約6時間の行程ですが、
私は昔ながらの、この遍路みちがとても好きなのです。
汗にまみれて山道を懸命に歩くと、実に爽快な気分になります。
・・・しんどいですけどね。
何故か、お大師さまの存在を身近に感じることができる
遍路みちでもあります。

「是より焼山寺まで三里」と書かれた道しるべを横目に出発です。
藤井寺から少し登ったところで、手に野草を持った
女の人が下りて来ました。
土地の方のようです。
「こんにちは。それは何ですか?」と声を掛けると
「イタドリです。こうやって皮を剥いて噛むと
 酸味があって喉の渇きを潤してくれますよ。
 少し差し上げましょう」
3本ほど有難く頂き、時々酸味のある汁を吸い、喘ぎながら登りました。

「長戸庵」で、60代後半の男性二人連れに会いました。
コッヘルで湯を沸かし、インスタントラーメンを作っています。
聞けば、その二人は連れではなく、Aさんが朝食を食べていないと聞いて、
Bさんが手持ちのラーメンを作ってあげていたのでした。

山道ばかりの焼山寺へ行くのに朝食も食べず、食料も持たず、
おまけにBさんのお世話になって・・・
いったいAさんは何を考えて遍路しているのかしら?
そして、Bさんはとても立派な方だなぁ!と密かに思いました。

「柳水庵」の遍路小屋で、再びBさんにお会いしました。
Aさんとは歩く速度が違うので、先に来たそうです。
「一服差し上げたい」と尊敬の念をこめて申し出ました。

「焼山寺の山の中で、こんな体験ができるなんて。
 今回思い切って遍路へ来て、本当に良かったです!」
とても喜んでくれて、私も感激しました。

Bさんは尼崎の方で、不景気のため3月で仕事が打ち切られたので
四国遍路へ来てみたそうです。

先を急ぐBさんとエールを交換し、柳水庵でお別れしました。
                          

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四国遍路・一期一会  尺八さん

2009年07月08日 | 四国遍路
尺八さんとの最初の出会いは第十二番札所・焼山寺です。
焼山寺宿坊を出立すると、遍路道への分岐点に
お遍路さんらしい男性が立っていました。

遍路道を進むと、なんとその人が後から付いて来ます。
鬱蒼と杉の木立に覆われ、シャガが咲き乱れる遍路道は
急坂で、転びそうになりながら下りました。

すると思いがけず、尺八の音色が聞こえてきたのです。
遍路道のBGMにぴったりと思いながら、足を緩め
哀調を帯びた尺八の音色に聞き惚れました。

高く、低く、心の奥深く染み渡る曲です。
焼山寺下の「杖杉庵」を過ぎると、
その人の姿は急に見えなくなりました。

尺八さんと再会をしたのは第十九番札所立江寺です。
寺へ着くと尺八が聞こえたので「もしや?」
やはりあの時の尺八さんでした。

私のことを覚えていてくれて、焼山寺遍路道の心に沁み入る尺八は
「たむけ」という曲だと教えてくれました。
「これから献茶をするので、あとで一服差し上げたい」
と申し出たら、とても喜んで、私の点前を静かに見守っています。

「美味しいお茶を頂いて、何かお礼をしたいのだけれど・・・」と尺八さん。
「お礼はいりません。でも、よかったら一曲吹いていただけませんか?」
「それでは、はぜ取り唄を一曲。」

「はぜとり唄」は九州の民謡です。
はぜ(和蝋)を取るには、幼い時からはぜに身体を慣らし、
かぶれない体質にしていくそうで、過酷な労働の唄なのだそうです。

「はぜ取り唄」は静かに物悲しく、参拝者が少ない境内へ、
そして私の心の中へと拡がっていきました。

尺八さんとの出会いと再会。
無心に吹いている尺八の音色。
何とも言えないシアワセを感じて、涙が出そうになりました。

「そうだ! 私はこういう瞬間を求めて遍路の旅へ出たのだ!」

立江寺の前で尺八さんと握手をして分かれました。
戴いた「納め札」で静岡県菊川の人と知りました。
                            

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四国遍路・一期一会  石井町の渡辺さん

2009年07月07日 | 四国遍路

今日は七夕です。
天帝の怒りに触れて、引き離された彦星と織姫が
年に一度許されて、天の川を渡り逢瀬を楽しむ日です。

年に一度どころか、もう再び逢うことはないであろう
四国遍路中の一期一会、愛惜をこめて綴っています。

平成21年4月、第七番札所十楽寺の休憩所で
名西郡石井町在住の渡辺さんに出逢いました。
渡辺さんは歴史と地質が好きな女性で、
この辺りは渡辺さんのドライビングコースだそうです。

抹茶を一服飲んでいただきました。
徳島駅で購入した和三盆の干菓子をお出ししたら
「この近くに和三盆を製造している岡田製糖所があるので案内したい。
 お茶をしている貴女に役に立つと思うので・・・」
と車で連れて行ってくださいました。

和三盆糖は藍とともに阿波徳島を代表する産物です。
岡田製糖所は「竹糖」と呼ばれる砂糖きびを今でも栽培し、
機械をあまり使わずに伝統の製法を受け継いでいました。

店内で熱い緑茶をいただきながら、
つまんだ和三盆の霰糖の美味しかったこと!
上品な甘みはコクがあるのに、しつこさがありません。
緑茶の味が見事に引き立ちます。
早速、霰糖を買って振り出しへ入れました。

外へ出ると、早や夕暮れが迫っています。
宿舎の安楽寺まで送ってくださった渡辺さんと
握手をしてお別れしました。
                

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   写真は岡田製糖所の霰糖と振りだしです。

四国遍路・一期一会  最初の喫茶

2009年07月06日 | 四国遍路
最初の喫茶のご縁は二日目の第六番札所・安楽寺。

本堂に入ると内陣の入り口があり、
一人のお坊様が現れました。
「内陣で献茶をしても宜しいでしょうか?」とお尋ねすると、
「どうぞ上ってください」とすぐに許可がでました。

茶箱の準備の間、先ほどのお坊様は忙しく働き、
供物を新しいものに取り替えています。
一段落したようなので、思い切って声を掛けてみました。

「あの~宜しかったら、献茶の後に抹茶を飲んでいただけませんか?」
「えっ! 私が頂いてよろしいのですか?」
「ぜひお願いします」
お坊様は正座して、茶箱の雪点前をじっとみつめています。

利休緞子の古袱紗に点てたお茶をお出ししてから
「ちょっとだけ待ってください。
 般若心経を唱えて、お大師さまに召し上がっていただきます。
 そのあとで宜しいでしょうか?」
「それなら私も一緒に般若心経をお唱えしましょう」
 若いお坊様の声は低く、太く、朗々として力強く、
 もたもたしている私を待って唱和してくださいました。

「お服加減いかがでしょうか?」
「とてもまろやかで、久しぶりに美味しいお茶をいただきました。
 ありがとうございます」

お待たせして、ぬるくなってしまったのに・・・
「こちらこそ、ありがとうございました。
 とても良い思い出になりました」

あとで、その方は安楽寺の若住職と知りました。
                         


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四国遍路  札所で献茶

2009年06月23日 | 四国遍路
自分らしいお参りの仕方として献茶を・・と思い、
茶箱とポットを持参しました。

第一番札所霊山寺の本堂内陣で最初の献茶をしました。
内陣の左右に次のような言葉が書かれています。

本堂向かって右に 釈迦の言葉
「己こそ己の依るべ 己を捨てて何処に依るべぞ
 よく整えられし己にこそ 誠 得難き依るべをぞ 得ん」

本堂向かって左に 空海の言葉
「仏法遥かに非ず 心中にして近し
 真如他に非ず 身を捨て何処に求めん」

私を含めお遍路さんは何かを求めて
遍路していると思うのですが、
遍路(求道者)の真髄を表しているように思えます。

第一番札所なので大師堂でも外縁に正座し献茶をしました。
内陣とは違い、たくさんのお遍路さんがお参りに
行き交う中なので、ちょっと勇気が要りました。

しかし、人々が唱和する般若心経を聞きながらのお点前は
気持ちが入り、人の出入りがだんだん気にならなくなります。

茶箱の点前は雪点前。
心をこめて点てた抹茶を仏様に飲んで頂く間に
般若心経を唱えます。
それから自服して、お仕舞にします。

本当は自服ではなく参拝者に飲んで欲しいのですが、
タイミングがとても難しい。
無理にお願いするのではなく、喫茶のご縁は自然にある・・
と思うことにしました。

始めての献茶を無事終えて清々しい気持ちで、
今夜の宿である第二番札所・極楽寺へ向かいました。
                         

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