マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

秋の配達人・・・『秋の味覚』 そして 『わたしは平和ではなく、むしろ分裂をもたらすために来た。』

2019-08-18 15:52:41 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

8月18日。日曜日。34度。夏日。

今日は・・・

 『秋』が運ばれてきました。

     友人から・・・  『秋の味覚・梨』
 

  「秋を召し上がって、気持ちだけでも秋を味わってください!」

  大きい梨は、ジューシーで、おいしくて、心が秋になりました。
                    感謝!感謝!


そして。

 『食欲』も運ばれてきました。

     夫のゴルフ賞品・・・ 『牛肉 700g』
     

     「たくさん食べて残暑を乗り切りましょう!」

 おいしい肉は、優勝を逃した夫にはほろ苦い味、妻の心を秋にしてくれました。
                            感謝!感謝!

    
   『季節の先取り』は、確かに、新しい季節を運んでくれます。
       今日は、秋を感じた、穏やかな日曜日でした。

 

そして。

今日は8月18日。年間第二十主日。

 
 イエスは、『福音』を告げるために、神からこの世に派遣されました。
                         この世に運ばれました。

   『福音』とは、
 旧約時代から待ち望んできた、『救いの時の告知』 です。
 イエス・キリストによって始る、終末的救いの、『喜ばしい知らせ』:『よい便り』 です。


    『福音』とは、将来への『大きな希望』 なのです。


それは・・・


『今日の福音 イエスの御言葉


『 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。

    「わたしが来たのは、地上にを投ずるためである。
 
      そのが既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。


    
しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。

             
   
     それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。


 
 あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。

 
          『平和 意見の一致』


          
       そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。
  
           『分裂 意見の不一致』
  
     

      今から後、
          一つの家に五人いるならば、
    三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。

父は子と、子は父と、 母は娘と、娘は母と、 しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、
          対立して分かれる。」』
          ルカ福音書 12章49-53節

 

        私たちは皆、平和を望んでいます。
  皆の意見が一致して、皆が穏やかな気持ちでいられるのは、嬉しいことです。

     しかし、
       私たちは皆、それぞれの意思があり、考えがあります。
皆の妥協点を見出すために、互いの不一致を認め、互いの尊厳が重視される必要がありますね。


  イエス様は、『神の平和』をもたらすために、この世においでになりました。

     しかし、
  イエス様の教え』は、それまでの社会常識を超える、『新しい教え』でした。
        今まで長年重視してきた価値観や環境を、
         完成させるものであったのですが・・
          否定するかのように見えました。

        そこには、当然、『分裂』が生じたのです。

 

 『一つの家に五人いるならば、 三人は二人と、二人は三人と対立して分かれる』のです。
     五人家族の中で、
   二人がイエスを信じ、三人はイエスを理解できない。受け入れられない。

       そこには、
      『意見の相違』:『対立』が生じることがあります。

 

 イエスは、
   ご自分の教えによって人々の間に『分裂』が生じることを、ご存知でした。

   反対に遭ってもご自分に従うには、『勇気』が必要であることも、ご存知でした。
     
    
    反対によって家族の平和な関係が脅かされることもあります。

      『父は子と、子は父と、 母は娘と、娘は母と、
    しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、対立して分かれる。』
         ・・・と。 イエスはおっしゃるのです。

 

    親しい友人や家族から、『イエスの福音』理解を得られない時、
      ただ一人で、イエスに従うのは簡単ではありません。

 

    イエスは、
          御自分自身が理解されないことを、
        皆に『信仰の火』が燃えていないことを、
                残念に思われました。苦しみました。

    
      しかし、イエスは決してあきらめません。

    
    イエスは、
        皆に理解してもらうためには・・・

 『わたしには受けねばならない『洗礼=十字架上での磔刑=受難と死』が必要である。
    それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。』
            ・・・と。
   
     『一致』に至るまでには、必ず、『苦しみ』が伴なう。
                   
ことを、人々に教えました。

   
      イエスは、
    家族の反対も、時にはあざけりも、
 キリスト者が耐えなければならない『苦しみ』の一部であることを教えました。
イエスの弟子たちも、キリストにふさわしい者であるために、耐え忍んできたのです。

 

     それでも。

  すべての人は、
      それぞれの人生の体験から、
『一致』のために失ったものよりも、はるかに多くのものを得ること、を知っているのです。
      『不一致』を降り越えて、
   『一致』を見出した時の『喜び』、を体験しているのです。

 

    やはり。
    イエス様は、地上に『火=信仰』を投ずるためにいらしたのです。
 
  イエス様は、『分裂』ではなく、『平和』をもたらすために、地上にいらしたのです。
                      感謝!感謝!

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
蝉の声が少なくなってきました。秋を思わす朝のさわやかさが感じられます。 お元気で!


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