マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

聖書100週間・聖書通読会・・・『わたしは戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、 信仰を守り抜きました。』 そして『『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』

2022-07-01 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
7月1日。金曜日。晴れ。酷暑日。

今日は、
金曜日
聖書100週間・聖書通読会です。


     『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』
  
  
    全国的猛暑の今日、神戸では酷暑日です。
    酷暑の炎天下、集会所まで出かけることなく、
    冷房の家の中でクラスに参加できる『オンラインクラス』です。

    炎天下で働く多くの方々に
      私たちの恵まれた環境は申し訳ないことだと、 ”ごめんなさい” と。
    80歳の参加者もいる私たちは、”ありがとうございます” と。
          誠に有難いことと、
      『オンラインクラス』に感謝しました。


そして。

  今日の通読範囲は、『テモテへの手紙ⅠとⅡ & テトスへの手紙』です。
   
       今日の範囲は、
       使徒パウロの、生涯に書いた15冊のうち、
       最晩年に書いた、最後の『三つの手紙』です。
    

『三つの手紙』は、
 ※共同体ではなく、個人に宛てた手紙です。
 また、
 ※獄中のパウロが、自分の死後の教会共同体の将来に対して、配慮を示す内容である。
      ※『2点』※において、共通した内容であるのです。


        使徒パウロ
    
    『執筆中のパウロ』ヴァランタン・ド・ブーローニュ作。

  パウロは。
  西暦49年~58年の10年間。 3回の『伝道旅行』を行ったのち、
  西暦58年。エルサレムに戻り、エルサレムで危険人物として、捕縛された。
     それから二年間、カイザリアで獄中生活を送る。
  しかし、
  西暦60年。パウロはローマ市民であったため、
     パウロに刑罰を科すには正式の裁判手続きが必要であり、
     そのため、囚人としてローマに護送され、軟禁されました。


       パウロは、西暦51年~67年の間に、
     15冊の『書簡』や『手紙』を書き残しました。


  西暦67年頃。  ローマで獄中生活を送っていたパウロは、
           殉教してこの世を去る前に、
           死期を悟ったのでしょうか?
        愛する弟子テモテ『遺言』を書き残しました。

   『わたしは戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、
          信仰を守り抜きました。
       今や、義の栄冠を受けるばかりです。
     しかし、わたしだけでなく、
     主が来られるのをひたすら待ち望む人には、
       だれにでも授けてくださいます。テモテへの手紙Ⅱ4章6~7節

       と、愛する弟子テモトへ『テモトへの手紙・遺言』
         『神の心』を書き送りました。
       

    パウロは、
    生涯最後の三冊:『テモテへの手紙Ⅰ&Ⅱ と テトスへの手紙』を書き、
    この世を去る前に、
    教会共同体の存続を考え、その運営と組織についての具体的な指導、
         を、二人の愛する弟子に書き送ったのです。


  西暦67年。 ローマで、斬首により殉教、没しました。
     

      パウロは、
      すべての書簡の最後の最後に、
      愛する弟子テトスにも『遺言』を書き残しました。

    「神の救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、
      新たに造り変える洗いを通して実現したのです。
      わたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、
      希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。」
         この「言葉」は真実です。
      あなたがこれらのことを力強く主張するように、
         わたしは望みます。』 テトスへの手紙 3章4-8節
     又、
      『神に呼ばれた人を助け、
       彼らを信心に一致する真理の認識に導きなさい。』
              テトスへの手紙 1章1節

      
     今日も、
     仲間と共に、聖霊に満たされて、
     2000年ほど前に書かれた『パウロの手紙』を、嬉しく有難く読みました。
     又、正しく読み取ることができるように、励ましあいました。
                      感謝!感謝!



そして。

今日は7月1日。年間第十二金曜日。

『今日の入祭唱』

   『主に従う人の救いは主のもとからくる。
  災いが降りかかるとき、砦となってくださる方のもとから。』
       詩編 37章39節

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
      休ませてあげよう。』
       マタイによる福音書 11章28節   アレルヤ、アレルヤ。


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは通りがかりに、
    マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、
    
    『聖マタイの召命』 ミケランジェロ・カラヴァッジョ 作

     「わたしに従いなさい」と言われた。

      彼は立ち上がってイエスに従った。

  イエスがその家で食事をしておられたときのことである。
      徴税人や罪人も大勢やって来て、
      イエスや弟子たちと同席していた。

     

   ファリサイ派の人々はこれを見て、
   弟子たちに、
   「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」
                       と言った。

   イエスはこれを聞いて言われた。
   「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。

   『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』
     とはどういう意味か、行って学びなさい。

    わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、
       罪人を招くためである。」』
        マタイによる福音書 9章9-13節


    今日のイエス様は、
    『わたしは、罪を赦し救うために、この世に来た』
               と、宣言されました。


    徴税人のマタイは、
    イエス様から呼ばれる資格がないように思っていたでしょうが、
    イエス様から呼ばれ、更に、『使命』が与えられたのです。


       イエス様の招きは、
       誰にも価値があるとお考えになり、
       差別なく、誰をも招かれるのです。


    イエス様は、
    世間から罪人と考えられていた『徴税人』・マタイを召し出し、
    友情の印として、マタイの家で『食事』を共になさるのです。


       人は、人に受け入れられる時、
       『悔い改め』ができるようになるものです。


   ファリサイ派の人々は、
   自分たちの考えに固執し、
   自分は正しい者・罪がない者、一方、徴税人は罪人、と考え、
   悔い改めもなく、赦しを求めることもないのです。


       イエス様は、
       正しい人を招くためではなく、
       罪人を招くためである。』と言われました。
        ※自分の罪を認める人に、イエス様は『赦し』を与えるのです。
        ※自分の罪を認めず、イエスから『赦しと救い』を求めない人には
            イエス様は何もできません。


   私たち・キリスト者も、
   その資格もないのに、キリスト様から呼ばれ、
   イエス様の慈悲によって、『赦し』を受けました。
   私たちが積極的に、互いを許しあうなら、
       『キリストの業』を続ける弟子の一人となれるのです。
   心から神に感謝をささげ・・・
   人を大切にし、特に弱い人に対して『慈悲』が示せるようになりましょう。
             祈りましょう。

   
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
日本全国、酷暑が続く今週です。
できるだけ外出を避け、この週末を元気に乗り越えましょう。 お元気で!

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