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マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

梅雨時のゴルフ そして 『主の祈り』・・・『御心が天に行われるとおり、地にも行われますように。』

2020-06-18 05:30:26 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
6月16日。木曜日。雨。

梅雨真っ盛り。
早朝。小雨の中を、庭の紫陽花の花々を愛でる。

    
              
               紫陽花に朝露が似合う。

    

               梅雨時は予定が立てにくい。
         何ヶ月ぶりに腰を上げて、今日「ゴルフ」を予定に入れた夫。
             天気予報を聞きつつ、キャンセルとした。
               コロナ禍に続いての梅雨。
             片腕をもぎ取られたような夫が不憫です。

     
                
                梅雨に歓喜して 
           至福の雨を浴びて微笑んでいる紫陽花は
                 いと美しい。
           今日は「紫陽花」を愛でながら過ごそう。

     
   

そして。

今日は6月18日。年間第十一木曜日。


『今日の入祭唱』

  『父がその子を憐れむように、
       主は主を畏れる人を憐れんでくださる。』

           詩編 103章13節   

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

          『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
 
    「あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。
      異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。
           彼らのまねをしてはならない。

    あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。

だから、こう祈りなさい。

          『天におられるわたしたちの父よ、  
        御名が聖とされますように。 御国が来ますように。

  御心が天に行われるとおり、 地にも行われますように。

          わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

           わたしたちの罪をおゆるしください。
            わたしたちも人をゆるします。

      わたしたちを誘惑におちいらせず、 悪からお救いください。』


    もし人の過ちを赦すなら、 あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。
       しかし、 
     もし人を赦さないなら、 あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」』
                     マタイ福音書 6章7-15節



      『主の祈り』は、 「全福音の要約そのもの」 になっています。
            『カトリック教会のカテキズム』より

聖アウグスティヌスは語ります。
   聖なる詩編の嘆願の言葉を調べれば、 『主の祈り』 に含まれない嘆願はありません。
   『主の祈り』は、最も完全な祈りです。
           人間が望むことができるすべてのことが願われています。
            また、 正しい順序をもって願われています。
     従って、
   『主の祈り』は、願うべきことを教え、私たちの情念全体を秩序づけるものでもあります。


     イエスは、ご自分の言葉によって、『新しい生き方』 を 私たちに教えたのです。
     私たちは、 『主の祈り』を通して、 『新しい生き方』ができるように、助けられるのです。


以前に私は自分のブログに書きました。
戦時の『特攻隊の出発地点:知覧』の記念館に残された
若き特攻隊青年たちの『葉書』に書かれた『最期の言葉』は、
  「お母さんありがとうございました。」
  等等。 家族を思う『言葉』が多かったです。
一方。
映画で、戦時に、ナチスに一人一人処刑される場面で、
イギリス青年も、フランス青年も、
『主の祈り』 を唱えながら、逝きました。
『老人と海』では、窮地に陥った老人は、
『主の祈り』と『天使祝詞』を100回唱える、と約束しますよね。
最近の映画でも、
アメリカ南部の家族が強盗に殺されそうになるとき、
両親も小さい子どもも 『主の祈り』 を唱えていました。
さて。
私は、最期の時に言い遺す『言葉』は、何でしょう。


       私たちは、 誰に向かって?  誰のために?  祈るのでしょうか?

   『誰に向かって』祈るのか・・・
   
     『私たちの父、神』 に向かって祈りなさいと、 イエスは教えました。

         神は、すべての人の父です。 私たちは皆、 『一つの家族』 なのです。
       神は私たちに必要なものを下さる父である、 ことを私たちは信じているのです。
           だから、くどくどと、多くの言葉で、神に願う必要はありません。
                神が下さる恵みに感謝するのです。

       神は、 私たちの弱さをご存じですが、 私たちを見捨てることは決してありません。
            だから、私たちもお人を許す力を、神に願うのです。


   『誰のために』祈るのか・・・
    
        『自分のために』 そして 『お人のために』 人は祈るのです。

      イエスの『新しい生き方』は、 わたしたち皆が、 『一つの家族』 という生き方です。
        「一つの体、家族で・・・体の部分部分の、一人一人は、足であり、手目耳でもあり、
           どれもが必要で、 どれもが支え合うのです」 コリントの信徒への手紙Ⅰ 12章14節
        人は、 それぞれの体の部分のために、 全力で、 皆で祈り合うのです。


『今日の祈願』

  『全能永遠の神よ、
 私たちは、聖霊によって、あなたの子どもにしていただきました。
 同じ家族のわたしたちが、一つの信仰と愛に結ばれて生きることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
梅雨のために、STAY HOMEが続く私です。 STAY HOMEを楽しみます。
全国で、大雨による災害がありませんように・・・お祈りします。 お元気で!

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