マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

松の明け・・・『七草がゆ』・・・新年の計  そして 『花婿の介添え人は 、そばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。』

2022-01-08 06:27:09 | 日々のこと。 世界のこと。
1月8日。土曜日。快晴。

昨日で
松の内も終わりました。

お正月明け、
7日は、『人日(じんじつ)の節句』です。

  そこで。
  昨夜は・・・
              『七草がゆ』
  

     毎年の1月7日。一年の最初の節句:『人日の節句』です。


  『七草がゆ』
   ●『仏の座』:葉の付き方が『仏様の蓮座』に似ているための命名です。
   ●『せり』: 若葉が伸びる様子が、競り合っているように見えるので・・・。
   ●『すずな』:『かぶ』の古い呼び名で、神を呼ぶ『鈴』を意味します。
   ●『なずな』:なでて・・・汚れを取り除く意味があります。
   ●『ごきょう』『仏の体』、『人型』を意味するそうです。
   ●『はこべら』:茎に葉が沢山ついている姿で、『繁栄』を意味します。
   ●『すずしろ』:『大根』のこと、その色から『純白』を意味します。

      七草の若芽を食べて植物がもつ生命力を取り入れ、
      無病息災でいられるようにという願いを込めて、
       今年は、孫娘と夫と私の三人で頂きました。


       今年もいよいよ、幕開け、始まります。
       新年の『一年の計』は、『慈愛』でした。
       そして、
       もう一つの『一年の計』は、
         『年を重ねた今、年を忘れる。』

        『好奇心と感動を忘れずに、軽々と生きる。
        心も体も一所にじっとしているなら、老いていく。
         初心の謙虚さを忘れず、勉強を怠らず・・・。』


     明日・日曜日には、
     昨年12月24日から共に過ごした孫娘が、
     東京・家族のもとに戻ります。


     2週間の『若者との同居』で、私には学びが大でした。
     何よりも、私の『時代錯誤』を痛感させられました。
     お陰様で、
     今年は・・・謙虚さを忘れず、勉強を怠らず・・・。と決心することができました。
              感謝!感謝!



そして。

今日は1月8日。降誕節土曜日(主の公現後)

『今日の入祭唱』

『時が満ちると、神は、その御子を女から生まれた者としてお遣わしになりました。
   それは、わたしたちを贖い出して、神の子となさるためでした。』
        ガラテヤの信徒への手紙 4章4&5節  


『今日の福音 洗礼者ヨハネの言葉』

  『そのとき、イエスは 弟子たちとユダヤ地方に行って、
   
       そこに一緒に滞在し、
       洗礼を授けておられた。

  他方、
      ヨハネは、サリムの近くのアイノンで
   
        洗礼を授けていた。
      そこは水が豊かであったからである。
       人々は来て、洗礼を受けていた。
     ヨハネはまだ投獄されていなかったのである。

  ところが
     ヨハネの弟子たちと、あるユダヤ人との間で、
        清めのことで論争が起こった。

  彼らはヨハネのもとに来て言った。
    「ラビ、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒にいた人、
     あなたが証しされたあの人が、洗礼を授けています。
       みんながあの人の方へ行っています。」

  ヨハネは答えて言った。
    「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。
     わたしは、
        『自分はメシアではない』と言い、
        『自分はあの方の前に遣わされた者だ』 と言ったが、
      そのことについては、あなたたち自身が証ししてくれる。


          花嫁を迎えるのは花婿だ。
   花婿の介添え人は
   そばに立って耳を傾け、 花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。
      だから、わたしは喜びで満たされている。

     あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」』
          ヨハネによる福音書 3章22-30節


    洗礼者ヨハネは、  
    イエスを、『イスラエルの花婿』 と呼びました。


 イエス様は、
 ※洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後、
   イエス様御自身も、その弟子たちと共に、洗礼を授けていました。
 ※洗礼者ヨハネが、領主ヘロデに捕らえるまでのしばらくの間、
   イエス様の洗礼とヨハネの洗礼の、二つ洗礼、が行なわれたのです。

 ヨハネの弟子たちは、
 ※ヨハネ師匠と同様に、イエスが洗礼を授けること、を納得できなかったようです。
 ※ヨハネ師匠以上に、イエスの所へ洗礼を受けに行く人たちが多いこと、
     イエスの活躍を、納得できなかったようです。

 洗礼者ヨハネは、
 そんな自分の弟子たちの『つぶやき』に答えました。
 ※天から与えられなければ、人は何も受けることができません。』
     誰から洗礼を受けるとしても、それは『神の恵み』なのです。
     神なしでは、洗礼を初め、何もできません。
 『自分はメシアではない。自分はあの方の前に遣わされた者である。』
     イエスはヨハネの弟子ではなく、ヨハネはイエスの道を『準備する者』なのです。


    洗礼者ヨハネは、 
    沢山の人がイエスについて行くのを見て・・・ 
    結婚式の喜びを感じました。
    花婿が来るのを喜び迎える沢山の友人、と重ねて感じたのです。
    そこで、 イエスを、『イスラエルの花婿』 と呼んだのです。
    更に、『イエスは栄え、私は衰えなければならない。』 
    と、メシア・イエスについて、二回目の証しをしました。


    私たちも、
    信仰者として、洗礼者ヨハネに倣って、
    私たちのすべての行動が、イエスを紹介する結果を生めると良いですね。
        祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『暗やみに住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んんだ。』
       マタイによる福音書 4章16節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
収まるか?と、一時、希望を持ったコロナ禍でしたが・・・
更なる新型コロナウイルス・オミクロン株の感染者拡大となってしまった昨今です。
それでも、希望を失うことなく・・・
今できることを精一杯がんばってまいりましょう。 お元気で!

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