マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

受難の火曜日・・・『イエスは、心を騒がせ、断言された。』

2018-03-27 11:13:41 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
今日は3月27日。受難の火曜日。イエスのエルサレム入城の翌々日。

『今日の福音 イエスの御言葉 過越祭りの五日前の二つの予告


  『イエスは弟子たちとともに食事の席についておられたが、
 
       『心を騒がせ、断言された。』

一つ目の予告。

『「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」

  弟子たちは、だれについて言っておられるのか察しかねて、顔を見合わせた。
  イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。
  シモン・ペトロはこの弟子に、だれについて言っておられるのかと尋ねるように合図した。

その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、それはだれのことですか」 と言うと、
    イエスは、「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」 と答えられた。
 
  『ユダにパンを与えるイエス』

  それから、パン切れを浸して取り、イスカリオのシモンの子ユダにお与えになった。
  ユダがパンを受け取ると、サタンが彼の中に入った。

  そこで、

   イエスは、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」 と彼に言われた。

座に着いていた者はだれも、なぜユダに言われたのか分からなかった。
ある者は、ユダが金入れを預かっていたので、
「祭りに必要な物を買いなさい」とか、貧しい人に何か施すようにと、イエスが言われたのだと思っていた。

   ユダはパンきれを受け取ると、すぐに出て行った。夜であった。』


   イエスは、一人の弟子がイエスを裏切ることを予告しました。

       光であるイエス。 闇であるこの世。
   両者の争いは、ますますは激しさを増し、闇は光であるイエスを殺そうとします。
この両者の争いを通して、人間となった神の御子・イエス・キリストの使命が、明らかになっていくのです。


もう一つ。二つ目の予告。


 『シモン・ペトロがイエスに言った。 「主よ、どこへ行かれるのですか。」
 イエスが答えられた。「わたしが行く所に、今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。」

 ペトロは言った。「主よ、なぜ今ついていけないのですか。あなたのためなら命を捨てます。」
 イエスは答えらられた。「わたしのために命を捨てるというのか。はっきり言っておく。
鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。」』

  
   『ペトロの否認』

                以上。 ヨハネ福音書 13章21-38節


     イエスは、ペトロの否みを予告しました。

ペトロはイエスのための命を捧げることを誓いますが、実際には、イエスがペトロのために命を捧げることになるのです。

神から遣わされたキリストを、神の子として、受け入れるか?拒否するか? 信仰するか?信仰しないか?
    その決断ができていても…いかなるときにも、揺るがない信仰を保てるのか?

神は、最後まで私たちに呼びかけておられます。ペトロ同様に、私たちに過ちがあっても、神の元に戻るように祈りましょう!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日、私は、ノーベル賞作家・ペール・ラーゲルクヴィストの作品:『バラバ』=イエス・キリストの身代わりに釈放された犯罪者バラバの数奇な運命を描いた傑作=の映画を観ました。

 イエスを否んだペトロは、イエスの一番弟子となり、『天国の鍵』をイエスから預かりました。
 イエスの身代わりで釈放されたバラバは、イエスの面影と共に一生歩くことになり、暗闇の中から『光』を見い出しました。
 イエスの受難を三日後に迎える私たちも、十字架の木によって人類をお救いになる『イエス』から目を離しませんように。 お元気で!

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