マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『松次郎 頭が島の 残暑かな』・・・五島列島巡礼一日目・・・『義のために迫害される人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。』

2019-09-10 12:43:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

9月10日。火曜日。昨日までの日本を横断した大型台風が嘘のような快晴。

 

  『前田枢機卿様と行く上五島巡礼の旅 一日目』

 

11時。 長崎港 発。

          『高速船 シープリンセス』

 

2時間かけて・・・

12時43分。 有川港 着。

    船から『五島』 に降り立てば・・・
   そこは、想像もしなかった『別世界』 でした。
     緑豊かな『島』。 喧噪を離れた静かな『島』
       驚きでした。感動です。一目ぼれです。 
        すばらしい『別世界』が開きました。
 『潜伏キリシタン』が隠れ住まれたのが、妙に納得できました。


そこで・・・

 貸し切り大型バスに乗り換え。

    巡礼の4日間お世話になる  『小田ガイドさん』
    

    「一昨日は大嵐でした。
   そして今日はこんな素晴らしい天気に恵まれました。
      神様に感謝、マリア様に感謝。」

     ・・・とスタートなさった、ガイドさん。
 全国ガイドコンテストで5位?10位?どちらだったかな?)に輝いたガイドさん。
    ともかく聞く人の心をわしづかみする絶妙の話術です。
 五島の潜伏キリシタンの子孫で、信仰生活の話は『博物館物』で、新鮮でした。
『信仰の地・五島』のガイドさんとして生まれてきたような、素晴らしい案内でした。

   偶然に妹さん家族は私の教会の信者さんでした。驚きでした。
    4日間、さすがの『絶妙な話』 を楽しみました。
     沢山笑わせていただきました。感謝!感謝!
      

13時30分。

 巡礼最初のごミサ。
      
        『頭が島教会 世界遺産』 で捧げられました。 
                  重厚 かつ 美しい。
   
 クザン神父様が最初にこの地の宣教師として入ってこられた、という由緒ある教会です。   

     

     『御ミサ』
    枢機卿様 と 頭が島教会の主任・川内神父様

枢機卿様の『お説教』

 『巡礼は無理かと思った台風が、うまく当地をそれてくれました。
     台風のまにまに巡る巡礼となりました。

    『台風の間に間に巡る五島かな』
            
枢機卿様は、途中で時々、力作『俳句』を詠われます。

この頭が島教会は、五島信仰の発祥の地、信仰復活の地と言って良いと思われます。
  桐教会出身のガスパル与作は、怪我をして長崎に行き、プチジャン神父様に会います
   それを聞いたドミンゴ松次郎は、秘跡に与りたいとの一心から、
      プチジャン神父様に願い出て、
      神父様の到島を実現しました。
  クザン神父様が、最初にこの地の宣教師として、入ってこられたのです。   

       
      『松次郎 頭が島の 残暑かな』

 

 今日は 『日本二百五福者殉教者 記念日』 です。

今日の集会祈願の『試みにくじけることのないようお守り下さい。』
   は、205者の『言葉』として与えられました。
     日本の教会を励ますためです。

1867年日本の教会を力づけるために205殉教者が列福されました。
  その前には『26聖殉教者』の列聖もありました。
   2007年には『ペトロ岐部と177人の列福』がありました。
      『高山右近の列福』もありました。
    全てが繋がっているような気がします
  『神の恵み』は、ず~とつながっているのです。

 

 福者祭の今日、
 205の福者と共に、私たちも、
   『永遠の命』への希望を持って、信じて、くじけずに、
      生きていくことを祈りましょう。』
 

 

ミサ後。  

 頭が島教会の主任・川内神父様から、 教会の説明を受けました。

 

      頭ヶ島天主堂(教会の保護者はイエスの父・聖ヨゼフ)
『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』 を構成する 『頭ヶ島の集落』に包括される教会
      信者さんは11名です。11名で教会を支えておられるのです!


    『五島の信者さんは、自分より、まず教会なのです。
  そうすれば、必ず、神が守ってくれると、長い経験で信じているのです。』
              
   と。枢機卿様の『言葉』でした。


1869年(明治2年)頃  キリシタン迫害を逃れ、
             中通島の鯛ノ浦の潜伏キリシタンが無人島だった頭ヶ島に移住。

1887年(明治20年)  カトリックに復帰した信徒たちにより初代の聖堂建設。

1919年(大正8年)   1910年(明治43年)の着工から10年を費やし、現聖堂が完成。

2001年(平成13年)  国の重要文化財に指定。
2003年(平成15年)  境内地が重要文化財に追加指定される

2018年(平成30年)  世界遺産登録が決定

 

    頭ヶ島教会は
 五島列島最東端で幕末までは無人島であった頭ヶ島に建てられた小規模な教会ではあるが、
 西日本唯一の、また日本全国でも珍しい石造の教会堂であり、その意匠も優れている。

     鉄川与助の設計・施工、大崎八重神父の指導により、
     島内の石を切り出し、積み上げて建設されました。

    内観の造形は、『船底天井』と『五島列島の椿』を模した花装飾と、
      青を基調とした華やかな雰囲気が美しい。
教会堂本体とともに付属建物・石垣・石段などが周囲の環境とともに良好に保存されている点が、
      文化財として高く評価されたものである。

   主任司祭は常駐しておらず、カトリック鯛ノ浦教会の巡回教会となっている。

 

懐かしい若い頃・・・
   魚釣りをしたんだよ!   

    美しい海。

   枢機卿様のお話のお声が弾みます。

 

 その昔は・・・
 お墓に埋葬後に土をかぶせて、何かわからないようにしたとか。
  今は、美しい海を眺めながら・・・『お墓』に眠る人たちです。   
 
  
 

     

 今朝四時頃から始まった今日の巡礼。
    私の巡礼は、タクシーの迎えで、4時に始まりました。
 

    今日最後の訪問は、『青方教会』  です。
  

   『上五島のカトリックセンター』 となっている 『青方教会』について、
     枢機卿様が説明して下さいました。 
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    1960年代から1970年代にかけて近隣の信徒達が集団移転により、
   上五島の中心である青方地区に転居移住を始めたため信徒数が急増。
        1975年に聖堂を建立。 
      2000年に現在の教会堂に建て替えられました。


そして。
最後は     『夕食』
  
                 於。宿泊ホテル:ホテルマリンピア

    上五島の9人の神父様方がご一緒して下さいました。
                
   今回に巡礼地の「上五島」だけで29もの教会があるそうです。
 上五島の住民数は18950人。4人に一人のカトリック信者だそうです。
               
ガイドさんの説明を書きとる私で、間違えていたらごめんなさい。
      そして 
        11名の神父様がおいでだそうです。

         お一人の神父様が3つの教会を担当・巡回するということです。
11名のうち9名(お一人は葬儀?で欠席)の司祭様がご一緒してくださり、
     全員がとてもお若いのが目立つ特徴でした。
    全員が五島のお生まれかどうかは聞き逃しました。

     楽しい、笑顔と親しみ一杯の自己紹介が続きました。


私の席の仲間・・・

  同席神父様の提案で・・・ 『同い年仲間:同期会』 です。
 

   神父様から、巡礼者は『信仰の確信』と『元気』をいただきました。
五島の神父様方には、伝統が培う『不動の信仰心』がみなぎります。教えられました。

     同じ年?の神父様から・・・『地酒』
    
      おいしかった。ごちそう様でした。

 

最後は枢機卿様のお言葉を頂き、楽しい夕食の会はお開きになりました。
              


   長い『巡礼一日目』。感謝の一日でした。6547歩。

    私の感動の一番は、『五島の地と信者さんたち』 そのものです。 
 『荒野』ともいえる、 『信仰のための地』 と 『そこに住む人たち』 です。


     皆様!
  御訪問に感謝申し上げます。
  私の感動をお伝えしきれないのが、残念です。

 『信仰とは望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確信することです。』
                   ヘブライ人への手紙 11章1節

    ここ『五島』は、
  望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確信する『地』でした。

 


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